12話 船へ
潮風が鼻に充満する頃、小さな港町がレオナの前に広がる。市場には新鮮な青光りする魚が並べられ、家の窓には網がぶら下がっていた。レオナは生まれて始めてみる浜辺に、目を輝かせる。
「ここがホワイトウェーブ湾だ。吾輩の知る限りなら、この港から定期船が出ているはずだ」
グリフは船着き場である浜辺に行こうとするが、異変に気づいて足を止める。
「おかしい、船が一隻もない。まだ到着していないのだろうか」
「ん~定期船はしばらく出ないと思うぜ。何でも、海賊がホワイトウェーブ湾近海で暴れてるんだとよ」
首を傾げるグリフに、ネズミのような出立ちの魔物が話しかける。青いエプロン姿の魔物は、片手に魚を持っていた。
「誰だ?」
「俺は魚屋のダスティ。うちも商売上がったりだよ」
グリフの問いにネズミのような魔物の店主、ダスティは縮れた髭を掻く。
「どうにかならないの? 僕達、この先に行かないといけないんだ」
「さあな、魚屋の俺が知るわけないだろ。海賊がいなくなれば、船を出せるようになると思うがな」
歯に衣着せぬ口調で告げられ、レオナは肩を落とす。その様子を見て、ダスティはばつの悪そうな顔をした。
「ほ……ほら、そう気を落としなさんなよ。ほら、魚の塩焼きをやるからさ」
ダスティはレオナ達に魚の串焼きを渡す。レオナは見慣れない串焼きを渡され、困った顔をする。
「え? でも、これ、大切なものなんじゃ……」
「お代はいらないぜ。商品じゃなくて、もらいもんだしよ」
レオナは怖々と、串焼きを口にする。口内に暖かい磯の匂いが広がった。グリフは腑に落ちないような表情で、魚を器用に串から取って口にした。
「しかし、魚は取れないはずであろう? 誰が魚を渡してるんだ?」
「時々、俺の家の前に魚が木箱に詰められているんだよ。誰が置いたのかは分からないんだけどな。魚は確かに少ないけどよ、商売するには困らねぇぜ」
ダスティは気楽そうな顔で、魚の入った木箱を叩く。沢山の魚の目玉に睨まれ、レオナは串を落としそうになった。
突如として町中に汽笛が響き、レオナは身をすくませる。グリフも全身の毛を逆立たせ、飛び上がった。
「これは……船の汽笛!?」
「どうやら、海賊船のお出ましのようだな。あんたら、早く逃げた方がいいぜ」
ダスティはそう言うと、店の中に入ってしまう。レオナは浜の方を見る。すると、地平線の向こう側から、紺色に光る巨大な船がやってきた。黒い帆には、魚の骨をかたどったマークが描かれている。船は砂浜まで来ると、錨を降ろした。レオナは船を見に行こうと、船着き場へと走る。
「ま……待て! お前、海賊船がどんなものか分かっているのか!?」
「船に乗せてもらうんだ。それしか方法はないよ!」
グリフはレオナを止めようと追いかける。けれど、レオナは足を止めない。僅かな希望に向かって走り続けていた。
船着き場につくと、船がレオナの前に立ちはだかる。船に付いた砲台が、威圧するように黒光りしていた。グリフは息を切らし、砂をかき分けてレオナに追いつく。
「お前、海賊船なんか乗り込んだら、簀巻きにされて海の藻屑になるのがオチだぞ」
「魔王のせいでみんなが苦しんでるんだよ。だから、早く先に行かないと」
グリフは釘を刺すようにレオナに言う。だが、レオナも引き下がらない。このチャンスを逃したら、当分船は来ないだろう。レオナは筆を構える。それを見てグリフは、慌ててレオナのマントを引っ張った。
「馬鹿なまねはよせ!」
グリフに引っ張られてながら、レオナは筆箒を握り締める。筆先が巨大な黄緑色の光を作り出した。レオナはジャンプし、光に飛び乗る。光はレオナ達を深く包み、弾き返した。レオナとグリフの体は宙に放り出され、潮風に煽られて船の方へと落ちていく。恐れる事なく、レオナは船へと向かっていった。
「うひゃあああー!!」
グリフの悲鳴が、吸い込まれるように消えていく。レオナも帽子が落ちないように頭を押さえる。悲鳴が消えた後には、海賊船の汽笛が波音と共に流れていった。
すさまじい音と共に、二人は船の木箱に落下する。中に入っていた葡萄が潰れ、レオナの服はベトベトになってしまう。グリフは口に入った大量の葡萄を吐き出す。
「ペッペッ! なんだこれは! 葡萄か!?」
「うわあ、ベトベトになっちゃったよ」
グリフは葡萄の汁で乱れた羽毛を直す。レオナも帽子を脱ぎ、中に入った葡萄を取り出した。
「で、これからどうするつもりだ? まさか葡萄汁まみれの顔でこの船の持ち主に、“乗せてください”なんて言うつもりではないだろうな?」
「そのまさかだよ……」
グリフは不満げに葡萄を噛み潰す。レオナは帽子から葡萄汁を絞り出しながら考える。この葡萄はおそらく海賊達の食糧だ。見つかったらただでは済まない。
「このまま木箱に隠れるしかないのかなあ?」
「そんなことをしたとて、見つからない保証がないだろう」
二人が言い争うちに、まばらな足音が船尾の方から聞こえてきた。滑りを帯びたような、奇妙な足音だ。
「何の音だ?」
「まさか、また奴が来たのか?」
口々に騒ぐ声が聞こえ、レオナの頬に冷や汗が伝う。荒々しい足音はどんどんこちらに迫ってくる。
「まずい! 隠れるぞ!」
グリフは頭を木箱に突っ込む。レオナもめいっぱい息を吸い込み、葡萄の海の中に潜った。葡萄が潰れ、顔中に紫色の汁が伝ってくる。粘つく葡萄の汁にまみれて、レオナは吐き気を催す。むせ返るような匂いに息が詰まる。湿気と吐き気に耐えるために、レオナは口を押さえ、息を圧し殺す。
「変だな? 確かに音がしたんだけどな」
「誰もいねぇじゃねぇか。とりあえずアイツじゃねぇようだな」
海賊らしい野太い声が葡萄の海の外から聞こえてくる。足音と共に、船の床が揺れた。
「ん? 木箱にあんなモン、入ってたか?」
木箱の異変に気づいたのか、数人の足音が近づいてくる。レオナは心臓が高鳴るのを感じた。冷や汗と葡萄汁で、レオナの服はぐっしょり濡れている。木箱の隙間から光が漏れ、レオナの髪が強い力に引っ張られた。あっという間に視界が晴れ、目の前に大勢の半魚人達が現れる。どの魚人もバンダナや縦縞のシャツなどを身につけ、いかにも海賊のような出で立ちだ。レオナの横ではグリフが尻尾を何者かに掴まれている。
「何だ、テメェらは? どうして箱の中に入ってたんだ?」
背後から力強い声が聞こえてくる。振り向くとそこには、ずんぐりとした体格の鮫の魚人がいた。がっしりとした両腕で、レオナとグリフを掴んでいる。縫い目の入った眉間に皺を寄せ、凶悪な目つきで二人を睨んでいた。筋骨隆々の青い体には、革のベルトが巻かれている。
「ふぁ……ふぁの~。ひゃがふぁいりゃはふぁやひいひょのひゃないふぉ」
必死に弁明しようとするグリフ。その口には、葡萄がたっぷり詰まっていた。鮫の魚人は乱暴な手つきでレオナ達を床に叩きつける。グリフは口から葡萄を吐き出し、咳き込む。
「俺達の食糧を盗もうたぁふてぇ輩だ。テメェら、コイツらを海につまみ出せぇ!」
鮫の魚人は部下とおぼしき魚人達に向かって怒鳴り散らす。すると、魚人達は一斉にレオナ達に襲いかかった。
「ま……待ってよ! 僕達はただ……」
「うるせぇ! このブドウ泥棒め! ブドウは頭の好物なんだぞ!」
レオナは説得を試みるが、殺気立った魚人達は聞く耳を持たない。各々短剣やら棍棒やらを持ち出して、二人に向かって来た。
「レオナ、こうなったら奴らは聞く耳をもたん。逃げるぞ!」
レオナ達はマストによじ登る。魚人達も波のようにマストに押し寄せた。二人は慌てて上へ上へと登っていく。
「どうするつもりだ? こうなったからにはこの船にはいられないぞ!」
グリフはレオナを叱り付ける。マストを揺らされながら、レオナは思考を巡らせた。
「もう一度、空を飛ぶ事はできる?」
「冗談はよせ! 吾輩らは今、海のまっただ中だぞ!?」
レオナの提案を、グリフは声を張り上げて却下する。マストの揺れに、レオナの指先も震えてきた。
「何ごちゃごちゃ言ってんだぁ!? 逃げられはしねぇのによぉ!」
レオナの足下に、魚人達の荒々しい腕が迫る。レオナはさらに登ろうとするが、波で船体が大きく揺らぐ。揺れに掬われ、レオナはマストから落下してしまった。
「うわあっ!」
「お……おい! 大丈夫か!?」
グリフはレオナを助けに行こうとするが、無数の海賊達が行く手を阻む。グリフはマストからぶら下がるロープに飛び移った。嘴で食いつき、グリフはロープを放すまいと食いしばる。落下したレオナの視線の先には鮫の魚人が立っていた。鼻息を吐き出し、手の関節をバキバキと鳴らす。
「馬鹿な奴だ。船に慣れてねぇからマストから落ちんだ」
「ま、待って! 話を聞いてよ!」
鮫の魚人はレオナのマントを掴み上げる。レオナは手足をばたつかせるが、鮫の魚人はびくともしない。鮫の魚人は拳を振り上げ、レオナに一撃を見舞おうとする。
「冥土の土産に一発食らいやがれ!」
「危ないぞ! 魔法を使え!」
グリフの言葉に、鮫の魚人は一瞬マストの方を見る。拳の勢いが緩んだ隙を突いて、レオナは筆箒を取り出す。筆箒を振り、黄緑色の光が現れる。光は盾と化し、鮫の魚人の拳を弾き返した。
「うげえっ、痛ってぇ!」
盾に弾かれ、鮫の魚人はレオナを離す。鮫の魚人は涙目になり、赤く腫れた手に息を吹きかける。
「ドッキーの兄貴!」
「あのまじない野郎、よくも兄貴を!」
魚人達は鮫の魚人を見て、次々とマストから降りようとする。
「そうはさせないぞ!」
グリフは体を振り、勢いを付けてマストに体当たりをする。すると、魚人達はバランスを崩し、次々と船のデッキに落ちていった。デッキに叩き付けられると、さしもの血気盛んな魚人達も、伸びてしまう。レオナは息を整え、鮫の魚人、ドッキーと対峙した。
「テメェら、もう生かして帰さねぇぞ。海の藻屑にしてやらぁ!」
ドッキーは腕を振り上げ、再びレオナに突進してくる。レオナはそのまま、黄緑色の盾を構えた。
「待ちな! 海賊とあろうものが寄ってたかって、見苦しいぞ」
突如として海賊達を牽制する声が聞こえる。海賊達は急に大人しくなり、動きを止めた。船内から、一人の魔物が出てくる。鯱のような風貌に、黒い海賊帽。はためくコートと手に握っている錨が、よりいっそう畏怖の念を抱かせる。鯱の魔物は青い瞳を鋭く光らせて、こちらに向かってきた。




