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「かわいいよ、ひめ」
私の目の前でそんなことを言う男性をどうにかして欲しいと切実に願うのは、もう何度目のことになるだろうか。
困惑の表情しか浮かべられない。どうにかして周りに助けを求めよう。幸運なことに、今は通学途中だ。助けてという意味を込めて周りを見渡す。
「困ってる表情もとっても可愛いよ、ひめ」
ひいっ、と声に出しそうになったのをなんとか堪えた私を誰か褒めてください。
「……でも、どうして周りにすがるような視線を送っているんだ?俺はとても悲しいよ……その可愛らしい瞳には俺しかうつさないで?」
あなたが原因なんです理解してください!
と、叫べたらよかったのだが、そんなこと言えるはずもなく私はただ沈黙したまま顔を俯かせることしかできなくなった。
とりあえず言いたい。
――――――――――どうしてこうなってるの!?
**
私、結城姫乃はどこにでもいる高校生だ。今年で2年生になる。無事進級もできたし、一安心。
容姿は普通だ。姫乃、なんて可愛らしい名前の割には普通なのだ。美人系ではない。それはもう確実に。だって童顔だから。これで美人だと言われたら、病院に行ってくださいと懇願する。
本当にどこにでもいる普通の高校生である。
桜も咲き始め、新入生がワクワクしながら新しい制服に袖を通してるのかなと考えるとちょっと微笑ましい。自分も去年同じことを感じながら制服に身を包んだのだ。中学とあまり変わらないにもかかわらず、高校生という響きだけでなんだか大人の仲間入りした気分になるのだから不思議だ。
ひらひらとまう桜の花びらを横目に、桜並木の下をのんびりと歩きながら、目的地である学校に向かう。
歩いて行ける距離の高校というのはとても便利だ。自転車を使えばもっと早くに行けるだろうが、歩くことが何気に好きな私はテクテクといつも通りに歩いていく。
学校に着けばクラス替えの紙が張り出してあるに違いない。みんな、それを毎年ワクワクしながら見に行くのだ。だから、今日はちょっと早めに家を出た。混雑の中その紙を見るのは、低身長の私にはなかなか難しい。
「もうちょっと身長あったらいいのになぁ〜」
すでに成長期も終わり、生涯はほぼこの身長で過ごさなければならない。
あともう少し、あともう2、3センチで念願の155センチなのに、ギリギリ届かなかったのだ。ちょっと悔しい。
今更嘆いても仕方のないことなんだけれども。
「あっ!ひめー!」
「あ、千霞ちゃん!おはよー」
私の名前を呼んでくれた声を頼りにパッと前を見ると、そこには高身長の美人さんが私に向かって大きく手を振ってくれているところだった。
名前は坪井千霞ちゃん。去年同じクラスで私に話しかけてくれた女の子。165センチの高身長にきりっとした凛々しい表情を縁取るのは漆黒の短い髪。なんか長いとうっとおしいらしくて切ってしまったと以前聞いたことがある。
「おはよっ、ひめ。今日早いね?」
「うん。掲示板、見るために早く家を出たの。そうしないと私見えなくなっちゃうから」
「なるほどね。でも言ってくれればあたしが確認するのに」
「頼ってばかりじゃ申し訳ないよ。だから、自分でできることは最低限自分でやらなきゃ!」
「相変わらずできた子ね、ひめ……もう、愛してるっ!」
「あははっ、ありがとう、千霞ちゃん」
そんなことを話しながら、私たちはゆっくりと桜並木を歩き始めた。会話の内容はいつもと同じだ。
昨日見たドラマのお話とか、あのアーティストのあの曲がいいとか、あの俳優さんがかっこいいとか。いつも通りの毎日の中で交わされる会話ばかり。
千霞ちゃんと話しながら歩いているとあっという間に学校に着いた。
けれども、なかなか遅かったのか、すでに掲示板の前には人だかりができていた。
「わぁ……みんな早いね……」
「まあ。年に一回のクラス替えだしね」
「このままじゃ見えないや……波が引くまで待ってようかな」
「あたしが代わりに見てあげるって。えっと………あ。あたしの名前発見。んー、3組かぁ。おっ!ひめの名前も発見!同じだね」
「やったぁ!千霞ちゃんとまた同じなんだね!嬉しい!」
「それはあたしのセリフ!今年もよろしくね、ひめ」
「うん!」
千霞ちゃんと笑いながら握手をして、お互いに教室に向かう。
「今日、学校終わってからは暇?どっかで一緒にランチでもしない?どうせ昼までなんだし」
「あ、うん。大丈夫だと思う。ちょっとお母さんに聞いてみるね」
私は慌ててスマホを取り出してお母さんにLINEを送る。すると今日は起きてるのかすぐに既読がついて【いいよ、その代わりあまり無駄遣いしないように】と返信が来た。
私はそれに対して【了解しました!】と返信をして千霞ちゃんに大丈夫の旨を伝える。
千霞ちゃんは喜んでくれて、近くのファミレスに行こうという話になった。
教室に着くとみんなが思い思いの場所に座っていた。どうやら今日は自由席らしい。私と千霞ちゃんも隣同士になるように席を確保して先生が来るのを待った。
今日のメインは新入生の入学式だから、私たちにはあまり話はないらしい。とりあえず、明日から授業が開始する旨と、宿題をきちんと持ってくること、あと、帰りにどこ通ってもいいがあまり遅くならないことなど、軽く注意をされてその日はほとんど解放となった。
「あー、坪井ー」
「えっ、あたしですかー?」
「おー、お前だー。ちょっと部活のことで話あるからあとで職員室きてくれー」
「はーい、了解でーす」
先生と千霞ちゃんが話しているのを聞きながら大変そうだなぁと思う。
千霞ちゃんは元々の高身長を生かしてバスケットボール部に所属している。平日は毎日部活があって大変そうだなぁと去年から思っていた。
ちなみに私はどこにも所属していない。
あまり運動が得意ではないということと、うちは母子家庭でもあり、お母さんにあまり負担をかけないために、部活にははいらないようにしてるのだ。
お母さんは気にしなくてもいいと言ってくれるけれど、いつまでも甘えていられないことも自覚しているので、夕飯は基本的に私が作ることにしている。
といっても、私が帰る時間帯にはお母さんはいないので、多少遅くても全然大丈夫なんだけど。
だから、いつもは図書室で本を読んだり勉強をしたりして時間を潰して、部活が終わった千霞ちゃんと帰ることにしている。
千霞ちゃんは一度うちにも来ていてたまたま忘れ物を取りに帰ってきたお母さんとも遭遇している。その時に友達と紹介すると、いい子そうね、大切にしなさいと言って、慌てて出かけて行った。
休みの日に千霞ちゃんが部活をしているという話をすると一緒に帰ってこればいいじゃない?と提案してくれたのだ。ひとりで寂しく帰るより誰かと一緒にいてくれた方が安心すると言っていた。
そこまで言われたら断ることなんてできなくて、私は一応千霞ちゃんにも聞いてみると言って学校の日、尋ねてみると大歓迎と言われたため、帰りは千霞ちゃんと帰ることになったのだ。
教室で千霞ちゃんが戻って来るのをぼーっと待っていると、突然、廊下が騒がしくなった。
「…ん?」
ばたばたばた、とあまりよろしくない足音が何重にもなって鳴り響いている気がする。先生に見つかったら絶対に怒られるのに……と思いながらも、正直私には今の所関係ないので千霞ちゃんを待つ。
しかし、廊下から聞こえてくる足音はどんどん大きくなってくる。どれほどの人が走り回っているのだろうか?とどうでもいいことを考えていると、突然教室の後ろ扉ががらっ!っと大きな音を立てて開いた。
あまりの音の大きさに私は体を飛びあがらせて慌てて後ろ扉を見る。するとそこには、とても容姿が整った男の人が立っていた。
私よりはるかに高い身長は多分180は超えているだろうと思う。どこかの絵本から出てきたかのような金髪だが、色素が薄いため白金に見えなくもない。瞳の色もサファイアのような蒼色。思わずぽかんとその人を見つめてしまう。
しかし、そのひとは私を見た瞬間に顔を歪めた。なんだか嫌悪感をあらわにしているような表情だ。どうしてそんな表情をされるのかわからなくて私はこてんと首をかしげる。
何か、気に触るようなことをしたのだろうか?
「あまり俺をジロジロ見ないでくれないか」
発された声は艶のある声だった。
しかし、その言葉の意味を理解した時、私は少し反省した。確かに、初対面の人間に自分の顔をジロジロ見られるのはあまり気持ちのいいことではない。もしも立場が逆なら、私だって言い方はもう少し遠回しにするが同じことを言うだろう。
だからこそ、謝った。
「すみません。不躾に見てしまって」
ぺこりと頭を下げて謝罪をし、再び頭を上げて相手の人の見上げると、そのひとは今度は心底驚いたような表情をしていた。
え?なにかおかしかったかな?と思いつつ、このまま彼を見つめていてもまた同じことの繰り返しだと自覚した私は彼がふいと視線を外した。
彼を気にしないようにするためには気をそらさなければ、と思い、鞄からあらかじめ持ってきていた小説を取り出して読み始める。
今話題の恋愛小説だ。推理物や歴史物、ファンタジーなんかも読む。
「……お前は……俺を気にしないのか?」
驚いたようなその声は私に向けられているのだと思い、私は一度顔を上げて彼の方を向いた。
「いえ、気にはなりますけど……あまり自分を見られたくないのでしょう?」
「……まぁ……」
「かっこいいですもんね。私だってこんな狭い空間に二人きりだと気になっちゃいますので、他に気をそらせます。本を読んでいれば多分気にならないと思いますし」
「…………」
「なんだかよくわからないですけど、廊下走ってたんですよね?先生に怒られちゃいますよ?今はここで休憩していってはいかがですか?」
「…………」
「あっ、私がいると休憩できませんか?じゃあ、私は図書室にでも行きますね」
廊下を走っていたのなら、誰かに追いかけられていたのだろう。足音の大きさ的に。だからとりあえずここに身を隠すために入ったに違いない。
だったら、私もいない方がいいのだろう。
私はカバンの中を確認してから立ち上がって、彼がいる後ろ扉とは反対の前扉に歩いていく。
「じゃあ、気をつけてくださいね」
私はそう彼に挨拶をして教室の扉を開けた。
すでに足音は遠くになり、少し安心する。走られていたら私は確実に廊下に出られない。とりあえず図書室に行って、千霞ちゃんにLINEを送らなければ。場所を移動したということを伝えておかないと心配してしまう。
ブレザーのポケットに入れていたスマホを取り出して手に持ち、そのまま図書室に向かおうとした時、スマホを持っている私の手首を突然掴まれた。
「!?」
驚いて硬直してしまう。
自慢じゃないが、私は年齢=彼氏いない歴であり、あまり男の子と話すのも得意ではない。だから、必要のない時に近くに入られたり、体に触れられるとさすがに怖かったりする。
「っ、あのっ!」
私の手首を掴んだのであろう人物が声をかけてきた。
「別に……邪魔だなんて思ってないから」
それを伝えるためにわざわざ私の手首を掴んだのか?と思ったが、どちらかというと彼の言葉よりも手を離してほしい、という気持ちの方が強い。
「そ、そうですか?でも、私は落ち着かないので、やっぱり図書室に……」
「行かなくてもいいって」
「……あ、いえ……も、もう友達に……図書室に行くって……」
「いつ?ついさっきスマホ取り出して手に握っただけだよね?」
「……えーっと…………………」
「まだ伝えてないなら、別にここにこのままいても問題ないじゃん」
わかった!わかったので手を!手を離してくださいっ!
頭の中がすでにパニックになってきた。こんなに近くに男性がいた事はあまりない。どうしよう。視界がにじんできた。
「ねぇ、どこにも行かないで」
まるで甘えるようなその言葉と同時に、後ろ扉が再びガラッと音を立てて開いた。
「ひめー、おまたせ〜…………って、何してんの!?」
「せっ、千霞ちゃんっ!」
「誰」
千霞ちゃんは私の状況に驚いて、私は天の助けとばかりに千霞ちゃんを呼び、男の人は少しピリッとした声で千霞ちゃんに言葉を投げる。
そこまでぴりぴりしなくてもいいのに、と思わなくもないが、今はそれよりも千霞ちゃんに助けてと視線で伝える。
それが伝わったのか、それとも、もともと私が男の人が苦手だということを知っていたからなのか、ものすごい形相で千霞ちゃんは私たちの方に早歩きできて、私と相手も人を引っぺがして、私を背後に庇ってくれた。
その時に握られていたても離してもらえたためちょっとほっとする。
「何してんの、あんた」
「その子と話してただけだが」
「話してただけ?よく言えるわね。相手のことも見えてないのに。それは話してたんじゃなくて一方的に話しかけてただけよ。しかも自己満足。あー、最低だわね」
「なっ……!」
「何?なんか文句あるの?」
「ちゃんと会話していた!」
「会話ねぇ。姫乃の状況見てから言いなさいよ」
「あっ、そ、そこまでじゃ、なかったし……」
といっても、隠しようもないほど目は潤んでるし、少し声も震えている。
これで何もないと言い張る方が無理がありすぎた。
「………………」
言葉が出なかったのか、男の人は私を凝視していた。
「あ、の。ごめんなさい。特に深い意味はないの。ただちょっと、苦手意識が出ただけというか……」
「ひめ、そんな野郎に優しい言葉かけなくてもいいから。さ、早く帰るわよ」
そういって、千霞ちゃんは私の手を握って自分が座っていた席に行き、ぱっと荷物を持ってそのまま男の子が固まっている前扉とは反対の後ろ扉に向かう。
扉柄出ようとした時、私は少しだけ踏みとどまった。
「あの。さよなら。気をつけてね」
そう言って、私はそのまま千霞ちゃんと一緒に教室を出た。