第5章 ― 2
山を下っていると、ほどなくして道のようなものが見えてきた。あぜ道ほど整っていないが、生えている雑草が足首ほどしかなく歩きやすい。前を歩く洸が、いちいち足下を踏みしめてくれているお陰もある。
「オレが先に出るから、合図するまで夏希はここで隠れててくれ」
「分かった」
洸は先ほどとは違い、流れるような足取りで道を下っていく。彼が夏希の歩調に合わせてくれていたことに気付いた。
(本当なら、あんなに早く降りられたんだ)
洸の心遣いにありがたいと思いつつも、申し訳なかったなと思ってしまう。都会育ちと山育ちの差なのだから仕方がないとは言え、少し歯痒い。
夏希は洸に言われた通り、茂みに身を隠して合図を待つことにした。
洸が警戒心を出しながら参道に足を踏み入れたにもかかわらず、彼女は音もなく彼の背後から近付いてきた。
「洸」
「!? 芽依か」
洸が振り返るのと、夏希が茂みを掻き分けて顔を覗かすのはほぼ同時だった。参道に現れた芽依の姿に、夏希は思わず息を飲み込んだ。
白い着物の紋様は金や銀の刺繍糸で施され、質素でありながらも絢爛さを醸し出すような装飾品を身に纏い、薄い化粧を施している。微笑を浮かべる芽依の姿は美少女どころではない、今世きっての美女だ。
「洸に一番に見せたくて、待っていたの。昨晩は一体、どこへ行っていたの?」
「おまえには関係ないだろ」
洸は目の前にいる美女の儚げな姿を見て、何とも思わないのだろうか。
首を傾げる夏希の前で、芽依は洸に詰めより両手を包み込んだ。
「あるわ、私はあなたの許嫁よ。赤ん坊の頃に決められた約束だけど、私はずっとあなたを慕っていたわ。あなたの望む良い奥さんになろうと必死で・・・」
洸は長い溜息を吐き、冷たく芽依の手を振り払った。呆然とする芽依に、洸は顔を逸らし目を伏せる。
「おまえの言う良い嫁が、オレにとってはよく分からない。古いしきたり通り、女が男の後ろを歩く生き方が“良い嫁”ってことなら、オレにとっての“良い嫁”は、隣で手を繋げる仲の事だ。後ろにいたら顔が見れないしな」
ニッと、笑みを浮かべる洸に、芽依は両目の端から涙を流し、踵を返して走って行ってしまった。あらぬ現場を見てしい、夏希は内心ヤキモキしていたが、ふと目にした洸の寂しげな横顔が気になり、おそるおそる茂みから出ることにした。
「ねえ、あんな塩対応で良かったの?」
「塩?」
「あ~~、えっと、冷たい対応して良かったの? ・・・お嫁さんなんでしょ?」
「別に、親同士が決めた仲だし、芽依のことは嫌いじゃないんだけど、へんに消極的なヤツは腹の中で何を考えてるのか分からないから好きじゃない。嫁になった後で指摘していこうと思ってたし、今指摘した所で問題ないだろう」
サラリと結婚後の予定まで聞かされ、夏希は額に手を当てて項垂れた。
根本的に、恋愛や結婚に関する概念が違う。現代人はもっと、こう感情を優先に動いていたし、こんなにさっぱりした行為ではなかった気がする。
(それとも、単なる私の経験不足か・・・)
悶々と悩む夏希の前に、洸は手を差し出した。
「へ?」
「この辺に人気はないみたいだし、そろそろ行くか」
差し出された手に戸惑っていると、焦れた洸は夏希の手を取って引っ張った。
(手を繋いで、顔が見れるのが“良い嫁”か)
思い出した瞬間、夏希は顔を伏せて赤くなった顔を隠す。今の現状は非常事態だから仕方がない。洸の行動も、他意は無いはず。
緊張が伝わらなければいいと思っていると、掴まれている手の力が急に強まり、ゆっくりと顔を上げてみると、強ばったまま横を向く洸の姿が見えた。
(何?)
洸の視線を辿ると、芽依が去った方向から、複数の大人達が走って向かってきていた。
「芽依のヤツ、ハメやがったな・・・」
舌打ちをする洸に、夏希は血の気が引いた。逃げ出すにしても、また山道に入るしか手はなく、もし彼らが洸と夏希を追って山へ入ったとしたら、キヨの徘徊する山で彼らが無事である保証がない。そもそも洸も夏希も、今のままではキヨに太刀打ちできないと思い下山したのだ。再び山へ入るのはリスクが大きすぎた。
「夏希、オレを信じてくれないか?」
「洸?」
小声で話し掛けられ、夏希は小さく頷き、握る手の力を強めた。
「キヨを助け出そうね」
「あぁ」
夏希は近付いてくる大人達を見ながら、ふと視界の端に見えた芽依の姿に違和感を覚えた。
白く煌びやかな姿をしているにも関わらず、彼女の周りには薄黒い靄のようなものが掛かっているように見えたのだった。
急展開




