Awakening 「覚醒」
帰還したマリアーンは明らかに殺気立っていた。たじろぐ部下たちをかき分け、上官に殴られる覚悟でラファエルの元に向かった。
「マリアーン」
「覚悟はできています」
戦士としての使命を果たせないなら、と血走った目の彼をラファエルは椅子に座って見ていた。
「何のだ」
「ここを、離れる……」
度重なる任務失敗による降格や隊の離脱を、マリアーンは決心していた。だが次に紡ぐ言葉の前に、ラファエルは彼を殴っていた。歯こそ折れなかったが、マリアーンの唇から血が滲んでいた。
「逃げる気か!お前は、何のためにここに入隊した!お前は、何を目的にここまでやってきたんだ!」
振り向くと普段は軟派で人たらしのラファエルが、激昂している。逆に面白おかしく感じてきたマリアーンは、妙に冷静になってしまった。開き直りというべきか。
「へぇ、感情論で軍は動くのですか。さぞ弱い軍隊ですな」
彼は皮肉を込めて返した、その瞳に輝きはない。
「お前っ」
「嘗ての俺だってそうですよ。復讐心に燃えて戦ってきた。ただ、何かおかしいことに気づいたんです。だから俺は、この"軍"に向いてないって」
「マリアーン」
冷静さを取り戻したラファエルは、急変した部下の心情変化についていけなかった。
「強くなること、殺すことだけに集中して、理解者がいないことを言い訳にプライドだけ高くなって、人を信じられなくなった。多くの部下を見殺しにしてまでも執着した。なのに、奴は、」
「奴がどうかしたのか」
「俺を信じようとした。俺は奴の敵なのに。仇なのに……っ!」
再び彼の目には迷いが見えていた。彼がもっと小さな子どもであったら、ぐずって泣いていたかもしれない。初めての彼の心境に、ラファエルも戸惑った。
「惑わされるな、お前の目的は何だ」
「友のため、です。それは変わりません。でも、俺じゃあっ、まだ、すべてが非力すぎる……!」
取り乱したことを恥じるように、マリアーンは仕切り直して話し続ける。
「ここを除隊するか、無能として居残るかはお上の判断ですよ。だから貴方が居ろというのなら、います」
「……お前は、そこまで落ちぶれたのか」
「そうかもしれません。現実を見ていなかった所以ですが」
低い声は、男たちが意気消沈したことを感じさせるものであった。
「マリアーン、」
ため息をつくのを堪えたラファエルは、電子端末を軽く操作し、言葉を続けた。
「今日は夜出を許可する」
「了解です……しかし、こ、こんな時期に」
「飲んでこい。気晴らしになるだろう」
慌てるマリアーンに、ラファエルは椅子を回転させそっぽをむく。電子タバコの紫煙が、執務室に広まった。
「今のお前に足りないのは、日常を楽しむことだ」
ヴィエンチャンの夜はビビットカラーのネオンに包まれる。マリアーンは焼き家鴨の振る舞われる酒場に足を運んでいた。彼は連合陸軍の証である緑色のスカーフを巻いた以外は、Tシャツに薄手のジャケット、ジーンズという一般人のような格好で、プラスチックの椅子に座り現地のビールであるビアラオを飲んでいた。相変わらず不機嫌ではあったが、気晴らしにはなるかと、ぐいと呷る。肉や酒を嗜む人で騒乱する店内では低音ばかりを強調したロック・ミュージックが流れていた。マリアーンは出された家鴨のステーキも無心で頬張った。鴨特有の深い味わいとスパイスの効いた刺激的な味に感動する味覚にも乏しくなっていた。そんな中だ。「彼女」は店に入ってきた。
黒のワイシャツの一番目のボタンを開け、スキニーの白ジーンズに、黒いサングラスをかけた金髪の女が店の戸を開け、カウンターの席に座った。マリアーンとは1席分空いている。白い肌――マリアーンと同じスラヴ系の人種特有のそれ――に興味津々な客には目もくれず、店主にビアラオを注文した。この場にふさわしくないが、妙に慣れている。マリアーンもつい、その違和感に彼女を見とれてしまっていた。
「何、ナンパの類は受け付けないわ」
そんなマリアーンに、彼女はサングラス越しで睨みを効かせた。
「翻訳機、アップデートしてないだろ?随分キツい言葉になってる」
口説くつもりはないが、舐められても困る。マリアーンは彼女の翻訳機という装備から「同じ所属の軍人」であることを見抜いたのだ。
「……配属は」
緑のスカーフから彼も同じく軍人であることを察した彼女は、頬杖をつきながら尋ねる。
「第24中隊」
「……お気の毒に。」
「悪かったな」
「影」を2回も逃したことは他部隊にも知れ渡っていた。これで自分が隊長であるなんて言えるはずもない。
「私も世話になるけど」
「どういうことだ、……上司からはそんな話聞いてないぞ」
もし「彼女」が配属されるなら、上官から司令が来るはずだ。
「貴方のプライドを傷つけたくないから隠してるんじゃない?大尉。」
「何故分かった」
「向かって右眉が無い人なんて、この辺りではそうはいないわ。」
見透かされた。癪に障る女だ、美貌を台無しにする鋭さを持っている、と思ったがこんなことで大人気なくなってはいけないと、マリアーンは煙草を取り出した。
「笑えばいい」
「そのうち顔が引きつるわ」
彼女はビールを飲みながら、いくつもの酒を貯蔵した棚を見つめていた。つまり彼に関心など抱いていなかった。だが、いかつい顔をした複数の男性客が声をかけてきてから状況は変わった。翻訳機を通じて受信された不快な声が伝わる。
「お姉さん、かわいいねえ!」
「そこの彼氏なんてほっといて、俺達とちょっと遊ばない?」
「そうだなァ、3000バーツで」
下心を隠そうともしない男が彼女の肩に触ろうとした瞬間、素早く跳ね除けた。
「ナメられたようね。悪いけど、私は軍人でね。それと隣の男は他人よ」
男たちの耳に翻訳機能が搭載されているわけではないので、母国語では通じない。彼女は訛った英語で突っ返した。
「気の強い女だな。タイプだ」
別の男が頬を触ろうとしたが、椅子を軸に回転し蹴りを入れる。えづく男に殴りを入れ、重い音が鳴る。容赦がない。席を立ち上がると「クソアマ」という男どもの声を軽く無視し、殴り掛かろうとしたボス格の男の攻撃を躱しながら鳩尾を狙って蹴り入れた。白いスキニージーンズの下に履いているのはスパイク付きのシューズ。角度を変えて踏み込めば棘が刺さり、男の無様な悲鳴が上がる。よろめいて覚えていろと捨て台詞を吐いた男と残党の弟分が逃げていくのを横目に、彼女は椅子に座り直した。騒然とした店内の中でマリアーンは口笛を軽く吹いたが、彼女はサングラスの位置を直しながら、不服そうに彼を睨んだ。
「味方なら手伝いなさいよ」
「俺の部隊を馬鹿にしておいて手を貸すつもりはねえよ」
彼女は舌打ちした。マリアーンは笑って返した。
「けど、気晴らしにいいモノを見せてもらった。礼を言う」
勝手にすれば、と今度は彼女が不機嫌になる。それから、彼ら彼女らが店で話すことはなかった。
翌日、中隊長のマリアーンの元に軍部でラファエルから新任の中尉が参入したことが告げられた。そして昨夜の「彼女」が迷彩服と深緑のスカーフに身を包み、執務室の扉を開け現れた。
「第24中隊に所属します、アナスタシア・スヴィナレンコ。」
結局名前を聞かずに帰ったマリアーンは、初めてそこで彼女……アナスタシアの名を知った。
「昨日は楽しかったぞ」
「私情は謹んでいただきたい、マリアーン大尉」
その夜に何があったかラファエルは知らなかったが、軽口を叩く彼に釘を刺した。
「あまり怒らせるなよマリアーン。レディの扱いがなってない」
「……中将、私は女である前に軍人です。配慮は不要です」
上官のジョークにも通じず、アナスタシアは冷たく返す。
「そうか、可愛いのに」
「私に期待をして昇級をさせたのではないですか、中将」
アナスタシアは不服そうな顔を隠せないでいた。癖の有る部下とはいえ彼女は鍛えられた機能美のある体躯を持ち、それなりに顔も整っている。色男で女好きのラファエルが反応しないはずがないのだ。中将はセクシャルハラスメントで懲戒処分を食らってしまえばいいとマリアーンは内心思っていた。そんな彼の耳元に、唐突に中将の提案が入る。
「せっかく入ったんだ、二人で手合わせでもしてみろ」
「……閣下?」
耳を疑うマリアーン。だが中将は本気で言っているようだ。
「打倒"影"への軍事訓練ってな」
そうラファエルは言うと、軽くウィンクをした。
軍の訓練場は前述した地下施設以外にも、野外に幾つか存在した。兵器の試験場や射的場、ヘリポート、悪路・悪天候に対するミッションの演習施設、通信演習場などがそれにあたる。アナスタシアを始めとした数人が中隊に組み込まれての軍事演習は初となり、女の士官である彼女をマリアーンの部下たちも興味深く観察していた。
「親善試合といくか」
ラファエルが笑う。今回やることは言ってしまえば「組手」だ。連合軍の世界では、兵器や武器による攻撃が最も使用されている対テロ組織への報復ではある。しかし、本当に強い、倒すべき敵……ここで言えば「影」だ、それらには広範囲の攻撃が通じない。否、通じる前に武器に頼る弱者を葬ってしまうか、すでに兵器の情報を手に入れていて、躱されるのだ。彼らは「自分たちは既に死んでいる」という共通の信仰を持つ。自分たちが「蘇る」には命を捨てることも厭わないという覚悟がある。そういった精神的に追い詰められ極限状態でテロリズムを繰り出す相手に対しては、やはり連合軍もそれ相応の覚悟がいるのだ。以上のような精神論の観点から、陸軍では白兵戦も蔑ろにはしない。その方針に従う気のないラファエル中将はさておき。
「閣下はそう仰せられているが、手を抜いた時点で命はないと思え。お前たちはそうでも、奴らはそうじゃない」
それとは対称的にマリアーンは部下達へ、厳しく言いつける。訓練用の殺傷能力のないナイフをくるくると回しつつも、オリーブ色の目は真剣だった。
「ルールはトーナメント制でやろう。先に首にナイフを突きつけた者の勝利、審判は1試合に2人、試合終了後、交代する。あくまで訓練だから賞金の類は出さぬが、大尉に勝てるレベルなら昇給もありえるだろうな」
中将の言葉に目を輝かせる兵士たち。負ければ矜持も地位も危うくなるし、何よりそれでは「影」に勝てないとマリアーンは身を引き締めた。心残りが有るとすれば、彼女と戦わなければならないことだが、
「本当にやる気なのですか、閣下」
「アナスタシアが平等を望んだからな。お前も本気で戦え」
ラファエルも、飄々としているようで、心の内は案外真剣であったようだ。
「さて、楽しもうか。用意はいいか?」
演習開始。インドシナ半島の熱く湿ったモンスーンが、深緑を縫うようにそよいだ。




