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ユメユメ~一年目~  作者: サトル
2.鬼の為に
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2-4


 和輝の後を追いかけてきていた梗耶は深呼吸で気持ちを整えなおすと、屋上へ足を踏み入れる。外は少しずつ夕闇に呑まれ始めていた。

 オレンジ色の空、まだ冷たさが残る春の風。吹奏楽部の奏でる音、気合が入った運動部生徒達の声……屋上に広がる景色はいつもと何ら変わりない“日常”そのものだ。


「本当について来たのかよ。……まぁ、良いか。あの“ま”の狙いは風見みたいだったし」


 “ま”と呼んでいた黒い(モヤ)のようなものと対峙して以降の和輝は口調も、振舞いもそれまでとは違った。それまでのどこかおっとりとして見える少年の姿が影を潜め、乱暴に言葉を投げ返すその瞳は夕陽のせいなのか、炎のような紅をまとっているようにさえ見える。


 その手には、刀が握られている。だがそこには先ほどのような光の刃は見えない。あるのはただの柄だけだ。


「本当に……倒せるんですか?」

「倒すよ。何が何でも」


 先ほどまで聞こえていた生徒たちの声が無くなり静寂があたりを包み込む。まだ部活動が終わる時刻ではないから、おそらくは休憩か何かなのだろう。


「灯之崎君は……何であいつらと戦ってるんですか? あれは、本当に危険なものです。人の命を奪う力だって持ってます。なのに――」


 ――口を閉ざしたままではまた悲観的な感情に支配されてしまいそうだと思った梗耶はそう問いかける。


「……俺を救ってくれた人がいる。俺に居場所をくれた人……その人が望む事に従っているだけ」


 そんな少女の心情を察したのかは定かではないが、和輝はそう答えると梗耶に背を向けた。


「そんな理由? ……もっと大きい理由かと思ったのに」

「それはご期待に沿えませんで」


 “世界を救いたい”だとか、“大きな使命がある”と言った大義名分があるのでは……。

 この素性の知れない少年の言う事だからそれくらい浮世離れした答えが返ってくるだろう、などと想像していた。だが返ってきた言葉は随分と小さな理由である。

 だが――和輝の言う“救ってくれた人”という存在が、彼にとっては命を賭しても守りたい存在であるのだろうという事。おそらく“嘘偽りのない等身大の答え”であるということが梗耶には理解できていた。


「……いえ、逆に安心しました。……ちゃんと普通っぽい人間なんですね」

「風見って基本言い回しにとげがあるよな」


 ――その時。遠くからかすかに鈴の音が聞こえ、屋上を吹き抜ける風が湿度を伴った生暖かいものに変わった。不快な風が告げるのは“それ”の到来だ。

 手すりに囲い込まれた一角には、まるで意思を持っているかのように黒い靄が集り――やがてそれは頭と細長い体、両腕と両足を模した形を成す。……だが、その姿は梗耶が今まで見ていたものとは少し姿が違っていた。


「――最近はどうもおかしい……初めて尽くしだ」


 黒い“ま”はぐんぐんとその背を伸ばし、瞬く間に細長く巨大な姿へ形を変えた。その背丈は軽く見繕っても大人三人分ほどはあろうか。

 空気が重くなり、立っているのが辛くなる程の倦怠(ケンタイ)感が梗耶の体にのしかかった。


「まあ、片付けるだけだけど!」


 その異様な光景を前に、梗耶は思わず叫びそうになったが両手で口を押え堪える。

 まだ信頼したわけじゃない、と自分に言い聞かせるその反面――“悲観的になってしまってはあの手合いを引き寄せてしまう”と言った和輝の言葉が頭に残っていたのだ。


 巨大な“人型”の両手は体に対して異様に長い。直立の姿勢であってもだらりと垂れ下がり、地面につきそうなほどだ。立ちはだかる格好の和輝を払いのけようとしているのか、それは長い両手を左右に振るい襲いかかってくる。一方で対峙する和輝は臆することもなく慣れた様子で刀を用いかわしていた。


「――この俺が直々に祓ってやる。感謝するんだな!!」


 少年が光の刃を横に一閃させると一筋の光が傷を刻み、やがて亀裂となり黒の体をいくつもの断片に切り裂く。傷口からは血の代わりに光の粒が輝きながら溢れ出していった。


 閃光のような眩さに梗耶が思わず目を閉じる。

 ――時間にして一分も経っていないだろう。閉ざした瞼の向こう側に静寂が訪れた気配があった。

 梗耶は恐る恐る目を開き辺りを見渡す。だがそこには何もない――ただの屋上が広がっているのみだった。


「……なんかどっと疲れた気がする。……帰ろう」


 光の刃を夕刻の空に返すと、和輝はため息を落とす。心なしかまたぼんやりとした少年の雰囲気が戻ってきていた気がした。

 立ち尽くしていた梗耶の姿を一瞥し、“お疲れ様でした”と言わんばかりの軽い会釈をして見せると、そのまま屋上から立ち去ろうとしていた。


「待ってください! ……本当に、あれを……“ま”っていうのを、倒したんですか?」


 すれ違いざまに呼び止めた梗耶がそう問いかける。心の奥でその答えは分かっていたが、確かめたいと思ったのだ。

 足を止めた和輝にその問いかけは耳に届いているはずだ。だが明確な答えを返すことはなかった。

 ……それこそが“答え”なのだろう。


「――風見さんが言ったことも間違いじゃない。……操るなんて芸当は出来ないけど、俺が呼び起こしているとともいえるから」


 答えの代わりに和輝は小さな声で呟く。

 ――和輝と接してみたわずかなやり取りの中で先ほどから感じていたことがあった。

 それはひどい言い方を選ぶとすればこの少年に対してならば“どんな感情をもぶつけてしまえる”という事。

 遠慮や常識を重んじひた隠しにしている心の中の弱いモノを自然と吐き出してしまえる。心を許す、許さないといった次元ではなく言いやすい空気をまとっているのだ。


「水瀬をどうにかしてほしいのは、そういう意味合いでもある。俺の傍にいる人はやがて負の感情を抑えられなくなっていく。“魔”に取りつかれる。だから“疫病神”なんだよ。……そういう事、だからよろしく――」

「……」


 和輝は再び歩き出し、階段を降り去っていく。

 ――現に自分がそうなってしまった。保護者でもある伯父夫婦にも、教師にも言わなかった“激情”をこの少年は数分の邂逅で腹の底から引きずり出した。だが――



 ―――



 ――次の日。


「きょーやっっっ!! さあさあっっ! 今日も張り切って登校よ! 勉学に励むわよおお!」

「励まないくせに。今日はまた一段とテンションが高いですね」

「んっふふー! ちょっと良い発見してね!」


 夢姫はまるでミュージカルのヒロインのようにクルクルと回り、踊りながら学校へと続く坂道を登る……と見せかけ猛ダッシュ。……その行動が読めないのはいつものことだ。


 梗耶は小さくなっていく夢姫の進む先を目で追う。そこには件の少年が見えた。

 夢姫は少年の周りを衛星のように回ってみたり、かと思えば突然ハイタッチを強要している。遠目に見ても完全に夢姫の扱いに困っているのが伝わってきていた。


「――夢姫! 困っているでしょ、やめなさい」

「あ、風見さん……助け」

「とっとと学校に行きますよ夢姫。今日は勉学に励むんでしょう? ……()()()()も、ほら」


 鬼の形相で叱りつけてくる姿を想像していた夢姫は、呆気にとられた様子で口をぽかんと開けている。


「……よく考えたら、私が見た“疫病神”はもっとおじさんになってないとおかしいなと思っただけです。別に和輝さんを信用したとかじゃないですけど、ただ嫌う材料もないので」

「ほあ」

「という事でお願いの件は一旦保留にしますので」

「ええ……」


 ――梗耶の保護者でもある伯父夫婦にも、教師にも言わなかった“激情”をこの少年は数分の邂逅で腹の底から引きずり出した。

 だが、怖いという感情なく……むしろ晴れやかでさえあったのだ。


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