3-1
ある日の放課後。
恒例の居残り授業を済ませた夢姫は解放感に声を弾ませ、拳を天高く突き上げている。
「――いやっはー! 今日はいい天気だわね! 何だかイイコトが起こりそうな予感……ねっ和輝もそう思わない?」
一方で、そんな夢姫を半ば冷ややかな目で眺めていたのは和輝だ。“そう思わない?”と問われても、彼にはどう答える事が正解なのかわからない様子。何か言いたげに夢姫の姿を眺めていた。
「なんで無反応なのよ。こんなにいい天気だよ、もうちょっとテンションあげようよ? そんなんだから彼女出来ないのよ!」
「それは関係無いし……っていうか、いい天気っていうのはさ――」
「お二人とも、何をごちゃごちゃ言ってるんですか。ほら、夢姫も……傘ささないと濡れますよ。こんなに酷い雨なんですから」
言い淀む和輝を早足で追い抜くと、梗耶はおもむろに玄関に据えられた傘立てに向かう。
手に取ったのは花模様が彩る明るい色の傘だ。呆れたようにため息を落とす梗耶の背後、校舎の外では激しい音と共に大きな雨粒が地面へ打ち付けていた。
「……だよな。これはいい天気じゃないよな……? 普通はそのリアクションだよな……?」
一足先に歩き出した梗耶の背中に、和輝はそう呟く。自分の常識がずれているだけなのかもしれない、などという不安が払しょくされ安堵していた。
「ん? 何で二人ともそんな、変なイキモノ見るような目で見るかな~?」
――空を仰ぎ、夢姫は跳ねるように回りながら傘をさす。どうやら夢姫にとってはこの大雨こそが“いい天気”であるらしい。その感覚が理解できないままの梗耶と和輝は顔を見合わせ……またため息をついたのだった。
この日は梅雨らしい空模様。朝からずっと雨が降っていた。
嬉しそうな夢姫とは対照的に、空は薄暗く黒い雲が太陽を覆い隠している。
しとしとと雨音が傘を打つ中――和輝は傘のふちから垣間見える空を見上げていた。
「……こんな雨なのに、本当に来るの?」
「あったり前でしょ! だって、あたし達もう“大親友”だもんね!」
どこから湧いてくるのかもわからない根拠のない、自身ありげな笑みを浮かべると夢姫は傘を天に掲げてポーズを決める。
“いつの間にお前の大親友になったんだ”と問いただしたい気持ちに駆られたが、言えば面倒になるだろう。和輝はぐっとこらえ、その言葉を呑み込んだ。
「……夢姫、私も行きますよ。あなただけでは何があるか分かりませんからね」
「え? 別に良いけど……っていうか逆に良いの?」
「和輝さんも人の子です。突然同世代の女子が一人で訪ねてきたら親御さんに迷惑も掛かるでしょう? だから私も行きますよ」
――“親が迷惑を被るだろう”という想像ができるだけの良識を持ち合わせているのに、どうしてその“非常識な行動”を止めようとはしないのか……。
夢姫に対して、まるで母親のような口ぶりで何かを指導している梗耶を横目に――
――和輝は頭を抱えていたのだった。
―――
そもそもの発端は夢姫の突拍子もない一言だった。
「――あたし、和輝んち見たい!!」
前日の事だった。この日もいつものように居残りで課題に取り組んでいた夢姫は、解放されるや否や廊下へと飛び出してそう提言した。
――それはつまり“家に遊びに来たい”という意味であろうと和輝は理解していた。
夢姫からすると、和輝とはすでに親しい友人という感覚であるのだろう。友人がどんなところに住んでいるのか、それもごく自然な興味といえる。
和輝は拒否するつもりであった。それは“深入りされたくない”という意味でもあるが――
曲がりなりにも自分たちは高校生。後数年もたてば大人の仲間入りをする年頃の男子にとって、ただの友人といえど異性を家に招くという行為は禁忌であるかのような感覚でもあったのだ。
「大丈夫! 和輝の意見は聞いてないから! ……じゃ、予告はしたんだからね! 今夜の内に見られちゃマズい物隠しときなさいよ?」
「……いや、お前な」
「男の子だもんね。うんうん。存分に隠しなさいっ! まぁ捜すけど!!」
「結局捜すのかよ!」
――だが、どうやら夢姫の中でそれは既に“決定事項”であったらしい。和輝の意見など聞く耳も持たず、生来の強引さで押し切りその日の会話は終了してしまった。
そしてその翌日――思い立ったが吉日、善は急げと言わんばかりの仕事の速さで夢姫は“和輝の自宅押し掛け計画”を実行し、今に至るのだった。
「うち、お化けが住んでるんだけど」
「……もうちょっと質のいい嘘をついたほうが賢明だと思いますよ、和輝さん」
まあ、深く考えず……“注意力散漫気味である夢姫をどこかしらで逸らし、こっそりと帰ってしまおう”と企んでいた和輝だったが――梗耶もついてきてしまったことにより、それも無理になってしまった。
どうにか逃げ切ることはできないか?
人通りの多い道をあえて通ってみたりしてみたが、天にまで見放されたかのようなどしゃ降りの中では通りを歩く人はまばら。せめてもの抵抗として、和輝は人を遠ざけられそうな情報を引っ張り出してみたが……淡々と眼鏡を指先で押し上げる梗耶には何の効果もなかった。
――やがて、和輝は商店街の細い道に立つ一軒の家屋の前で立ち止まる。
時代劇にでも出てきそうな古風なつくり、元は質屋か骨董屋といった重厚な店構えの日本家屋だ。だが、元は白かったであろう漆喰の壁には似つかわしくない洋風のツタが蔓延り、屋根を守っていたであろう瓦は所々剥がれてしまっている。
そこにあったのは、趣のある和風建築……と言えば聞こえは良いが、実際はどう見ても“幽霊屋敷”であった。
「……二人とも、心臓強い? ……あ、水瀬は心臓もゴテゴテしてそうだからいいか」
「どういう意味ですか?」
しばしの間扉の前で何やら躊躇していた和輝が問いかける。その“心臓に悪いもの”が扉の奥で待っているかのような口ぶりに夢姫と梗耶が首を傾げていたその時。
――扉の向こう、薄暗い室内の奥の方から女のように叫ぶ野太い声が三人の耳に突き刺さった。
「ああもう……またやってる。だから嫌なんだ。……お前らはここでちょっと待ってろ」
和輝はため息交じりに呟くと慌てて扉の向こうに去っていく。
後に残されたのはしとしとと振り続く雨と――傘を打つ水の音の中に取り残された二人の少女だけだった。
―――
「――あの声。ご兄弟の方でしょうか」
和輝が家屋内に消えると同時にあの野太い悲鳴は鳴りやんでしまい――あたりは雨音が支配する沈黙に包まれていた。先ほど聞こえたのは確かに男の声であった、と梗耶が思案にふけり何気なくそう言葉を紡ぐ……が、隣にいたはずの夢姫の姿は既にそこにはなかった。
……退屈を紛らわせているのだろうか、夢姫は建屋の周りをぐるぐると回り詮索していたのだ。
「……ちょ、ちょっと夢姫!? 何してるの、和輝さんは待ってろって――」
建屋の外周をぐるりと巡ってきたのだろうか。路地の隙間から再び姿を見せるやいなや、夢姫はおもむろに扉に手をかける。
「あたしの辞書に“待つ”なんて言葉は無いわ!!」
“まぁ、無いだろうな。信号も無視するし”と、梗耶は納得しそうになったが……すんでのところで思い留まる。先ほど和輝が口にしていた“心臓に悪いもの”の話が妙に引っかかっていたのだ。
「いやあのね。和輝さんだって“何かあるから待ってろ”って言ったんだと思うんですよ。だから」
「だからこそ! あたし達は中に入る必要があるわ! だって、マブダチに隠し事は無用だもの!!」
いつから“マブダチ”に進化したのか。梗耶がツッコミをいれるよりも一足先に――夢姫は力いっぱいにその扉を押し開けた。
――さびついた扉の開く音、そして扉に付けられている来客を迎え入れるベルの音が交ざり合って招かれざる二人を迎え入れる。目の前に広がっているのは随分と薄暗い空間であった。




