ep:0 【私の箱庭】
この世界には、色がない。
ーーー「困るんだよね、こういうことで足を引っ張ってもらっちゃ」
バンっと書類が彼のデスク上に乱雑に投げつけられる。
これは私、佐藤シオリの日常。
頭頂部から大切なものがなくなっている、そんな男性課長にいびられながら、
今日も課長含めみんなのストレス発散道具役に徹する。
「申し訳ありません」と頭を下げ続ける私の心はすでに麻痺していた。
元の原因は私ではなく、目の前の人物の書類の見落としなのだが
良かれとカバーしたのが悪かったのか、ロックオンされ、現在罪を擦り付けられている。
責任を負いたくない彼は何とかいちゃもんつけをして私を悪者にしようとしており、
大声でみんなに聞こえるように言えば、コントロールできると思っているのか、先ほどから比較的大声でだらだらと持論を述べている。
ここで反論すると更に面倒くさいことになるのは明白なので、受け流す。
黒い細縁の、十数年来の相棒のウェリントンメガネ。
職場と家の往復で気力を使い果たした自分にはヘアケアをする時間もなく、ゼリー飲料を流し込むしか栄養を取ることがない私の髪はギシギシ、ぼさぼさでそんな髪を後ろで一つに束ねている。
社会人としての身だしなみは必要最低限といった具合だ。メイクも時間がないから眉しか書かないし、
女性にはメイクという、女性ならではの身だしなみ項目があるが、何工程も行う必要がありメイク道具にかける金額も馬鹿にならない為、ドラッグストアで一番安いアイブロウと、日々の激務にて誕生したクマを隠すためのコンシーラーしか持っていない。
そんな私は女性失格だろう。
一見して、ザ・地味女と言わんばかりか、
うつむきながら相手の言っていることをはい、はいと聞き流す自信のなさげな様子は、その場所だけ空気を重くしており、学生、社会人になっても一回も染めたことがなかった黒髪。生気のない少し灰色がかった瞳であるため、まわりの人間にも舐めた態度をとられ、無碍にあつかわれたり陰口で嫌味を言われる。
「佐藤さんって普段何考えてるか分からないし、まともに目すらも合わせてくれないし、ぶっちゃけ不気味ぃ…」「本当ほんとう…誰ともつるまないしさあ、いないと思ってたらいつの間にか居てびっくりしたことあるんだよなあ」
そんなこんなで私の社内での評価は最底辺。誰にも相手されないし、しない。同僚や部下も関わりたくないと離れていく始末。
もはや疫病神扱いだ。
そんな私の一番の癒しは
隙間時間で作る物語。他の人がメイクやらご飯に充てる時間を惜しみなく注いでできる私だけの箱庭。
物語を書き溜めたノートを開くと、美しく鮮烈な世界がそこにぶわっと広がる。
この愛しく儚い世界を守るためなら、私はどんなことだってやってみせる。
物語を書いているときは、世界に色が帰ってきて鮮やかに見える。
色のない世界で暮らす私の、生きる一つの意味なのだ。
物語の内容は、ファンタジーであり王道ハーレムもの。
主人公の男性、ヴァン・カシアンは常に笑顔を絶やさず、元気がない者がいれば駆け寄り背中に手を添え大丈夫かと激励する勇者候補の一人で人格者。まさに絵にかいたような少年マンガの主人公にふさわしい、かつ勇者になる未来がほぼ確定している器の持ち主だ。
町中のみんなからはカシアン様と慕われており、中には勇者様、とすでに呼んでいる者もいる。
彼を取り巻く女性6名。みな性対象は異性でありカシアンにぞっこん…のはずだった。
はずだった…というのが
私のとある事故をきっかけに世界が狂い始めたからだ。
いつも通り、サービス残業をこなし、定時から5時間を過ぎた22時。
普段徒歩で最寄りの駅まで歩く私だが、何だか今日はいつもと様子が違った。
生ぬるい風、ほおを撫でながら通り過ぎていく風は何だか心地が悪く、少し鳥肌が立つようなそんな不気味な風だった。
いつもは季節関係なく安定して気持ちの良い風が違和感を感じてしまうほどに、だ。
急にめまいがして、その場で立ちすくむ。ガードレールがそばにあったので、手をかけ少し休もうとガードレールに少し体重を預けたところ、大型車が猛スピードでこちらに向かって突っ込んでくる。
大型車のスピードと重量にはさすがのガードレールも大きく変形して、休んでいた私はとっさに動くこともままならずガードレールとその向かいにあったコンクリートの壁との間に勢いよく挟まれ、意識が一瞬でなくなってしまった。
―――意識が飛ぶ寸前、私は走馬灯と不思議な光景を見ていた。まず走馬灯。根っからの文字書きであった私は、親にも「そんなオタクっぽい趣味ばかりで少しは現実見なさい」と嫌がられていた。
隠れて書き溜めたノートも見つかって中身を見られて、冷笑された。
私の人生、結局はこんなものか…と肩を落としつつも「この子たちは、私のように理不尽に傷付けられたりしない。みんな前を向いて、誰かを愛して、優しく生きて行ってほしい」と願いを込め、私にとっても理想を詰め込んだ優しい世界を作り上げる時間だけが、自分が自分でいられる唯一の証だった。
なんとかその証を生きる糧にしつつ、やってきた。
大した走馬灯じゃなかったと思っていると、目の前が徐々に真っ暗になっていって
夜空のように暗い中、透明で、それでいてキラキラと薄いヴェールのようなものが浮遊しながら目の前に現れシャラシャラと音を鳴らす。
人がしゃべっているような、風鈴が鳴るような、鈴が鳴るような…なんとも言えない音を発しながら
現れた幻想的なそれは、私をゆっくりと包み始める。
「もし生まれ変われるなら…あの世界でみんなの幸せを陰から見守るモブになりたかったなぁ…」と
願望をぽそぽそと呟きながら、来世では幸せになれるよう願いながら目を閉じた。




