第九話・1
五月十四日、火曜日。
水泳部の試合が終わり、吹奏楽部での応援演奏も成功に終わった――と思う。水泳部の全ての選手が勝つというわけにはいかなかったけれど、空野先輩を初めとして、何人かの選手が次の大会に進むことができた。
「……ん」
カーテン越しの朝の光で目を覚ます。
少し勿体ないと思うのは、いい夢を見ていたからだ。
水泳部の試合を応援しているときの夢。空野先輩が一位を取ったあと、岸川先生と一緒に、嬉しそうにこちらを見ている光景。
今でもあのときの高揚感が身体に残っている。
考えれば考えるほど、あれは本当に夢だったのではないかと不安になるくらい、達成感と充実感しかない出来事だった。
久しぶりに合わせで演奏してほぼ完璧にできたことも、応援演奏に参加した吹奏楽部員に良い印象を持ってもらえたことも――それだけでも十分すぎるのに、昨日は岸川先生と杜山先生に呼ばれて、杜山先生のマンションで夕食をご馳走になってしまった。
――海原、こちらの肉じゃがはどうだ? もう少し味を染み込ませたいところだが、なかなか上手くいったと思うのだが。
――岸川先生のおかずを食べたら、はい、次は……白いご飯が食べたくなるわよね。あーん……うふふ、美味しい?
あの時間を楽園と表現しないわけにはいかないだろう。
そして俺にご馳走してくれるあいだに、やはり杜山先生は晩酌を始めて――岸川先生が杜山先生にお酒を注ぐという貴重な場面が見られたのだが。
もちろん、それがいけなかった。
――うみはらくん、前にね、おふろでね……わたしのこと、助けてくれたでしょう? それでね、ずっと、お礼をしようと思っていて……おふろでのこととのお礼は、おふろでしなきゃって思ったり……うみはらくんは、ひっく。めいわく……?
――う、海原……杜山先生と、いつの間にそんなことを……い、いや、分かっている。何か思いがけないことが起きて、海原が杜山先生を助けたと、そういうことなのだろう。海原がいい子だということは、私が一番よくわかっているからな。
――きしかわせんせいも、うみはらくんにいっぱいありがとうって思ってるから、いいですよね? いっしょに、おふろ……。
――い、いえ……わ、私たちと海原は、教師と教え子の関係です。一緒に入浴するというのは、その一線を超えてしまうことになりかねないかと……。
――そういうことなら、やっぱり……うみはらくんと、わたしが、いっしょにれすねえ……おふろで背中を流したり、一緒に入って百数えたり……あっ、うみはらくん、どこにいくんれすかっ、まだ先生のお話はれすねえ~っ……!
あのまま逃げずにいたら、一体どんなことになってしまっていただろう。
倒れてしまった杜山先生を助けるために、あの豊かな起伏を持つ双子の山――手で押さえてもまったくカバーしきれないバストを多少なりと見てしまうというのは仕方がないことだ。
人命はどんな状況においても第一に優先すべきことであり、年上の女性が湯あたりして気を失っているときには、おっぱいの裏側の汗なども丹念に拭くべきであって、彼女の方からお願いされた場合などは、特に躊躇するべきではないのである――だが。
「先生と風呂に入ったりしたら……俺はどうなってしまうんだ」
独り言は良くないと思いつつ、思わず自問自答してしまう。外で朝を告げている鳥にでも気持ちを聞いてもらいたい気分というか、そういうときもたまにはある。
「っ……な、なんだ……」
机の上に置いておいたスマホが震えて、思わずビクッとしてしまう。やましいことを一瞬でも考えた俺を、牽制しているかのようなタイミングだ。
メッセージアプリの通知が来ているので、アプリを開く。
空野先輩:おはよう。もう起きた?
岸川先生:おはよう、今日もいい朝だな
二人は寝起きが俺よりいいみたいで、結構前にメッセージが送られてきている。
杜山先生はというと、二人よりは少し遅れて送ってきていた。「ごめんなさい」というスタンプが押されていて、何事かと身構えるが――。
杜山先生:海原くん、もう起きてる? ごめんなさい、昨日のことをあんまり覚えてなくて、謝らないといけないと思って。私、お酒を飲んで変なことしたりしなかった?
こんなとき、どう返事をしたものだろう――いや、先生にショックを与えないようにするべきではあるのだが、先生がどれくらい覚えているかによっては、嘘がばれる可能性もある。
返事をしないというのは、メッセージを既読にしてしまった以上はできない話だ。こんなときにはまるで回らない思考回路で、それらしい内容を絞り出す。
自分:先生はお酒を飲んで眠気が出てしまって、俺と岸川先生で寝室に運ばせてもらいました。
自分:すみません、杜山先生が起きるまで待っていた方が良かったですね
我ながら無難なところに落ち着いたのではないだろうか。そう思って待っていると「入力中」の表示が出る。今まさに、杜山先生がメッセージを打っているのだ。
杜山先生:ううん、私こそごめんなさい、嬉しくなるとついお酒に手がのびちゃって
杜山先生:それで、これは夢を見てただけかもしれないし、気のせいだったらね、それで安心なんだけど……
メッセージから先生の緊張が伝わってくる――俺も待っているだけでは駄目な気がして、相槌を入れる。
自分:はい、何でしょう
杜山先生:私、海原くんのこと、お誘いっていうか、そういうことはしたりしなかった?
自分:い
しまった――思わず一文字だけ打って返信してしまった。慌てて削除するが、動揺しているのが丸わかりだ。




