第八話・14
料理を手伝わせてもらったのは、じっと待っているだけでは申し訳ないというくらいの理由だったが、先生二人には大いに喜ばれたようで、それからずっと二人は機嫌が良かった。
皿洗いをしたいとも言ったのだが、先生の家には食器洗浄機があり、自動的に乾燥までできてしまうらしい。うちにはない家電なので目を輝かせてしまった。
――そして、夕食の時間と相成ったのだが。
テーブルを挟んで座ることを前提として考えていた俺は、先生二人が当然のように俺を挟むように座ってきて、気がついたときには逃げられなくなっていた。
「あ、あの、お二人とも。お二人も、自分の夕食をゆっくり摂ってもらって……」
「今日は海原くんに日頃の感謝を伝えたくて来てもらったんだから、私たちの食事はついででいいのよ。そうですよね、岸川先生」
「は、はい……杜山先生、すでに海原との距離が近いのですが、先に食べさせたいということですか?」
「うふふ、岸川先生も先にしたいんですね。分かりました、ジャンケンしましょうか」
俺を挟んで話が進んでいるのだが、したいとは何をだろうか。分かっていても響きだけで反応してしまう。わざとエッチな言い方をしているつもりはないと思うが、たまに杜山先生は俺を翻弄してくることがあるので気が抜けない。
そして二人が俺を挟んでジャンケンをする。手を出すときに勢いよく胸が揺れて、俺の二の腕に当たる――二人は痛くないのだろうかと心配になる。俺は痛くないが、意識が朦朧としそうになるような攻撃だ。
「杜山先生の勝ちですね……分かりました、私は二番目で構いません。お先にどうぞ」
「ありがとうございます。じゃあ、みんなでいただきますしてから……はい、あーん」
そんな大胆なことをしておきながら、杜山先生は少し照れていて、頬が紅潮している。紅潮した肌というと、記憶が連動して呼び覚まされ、風呂でのことを思い出してしまう。
あのとき杜山先生は、かろうじて胸を隠していたが、山の頂の部分をルーズに覆っていただけて、少しズレてしまっていたら――駄目だ、俺の記憶を消し去る方法を検索エンジンで探さなくては。
「……あーん……」
これは逃れられないカルマだ。俺は前世では羊であり、先生たちという羊飼いに飼われていたのだ。
口を開けると、先生が卵焼きを俺の口の中に入れる。舌だけで切れそうなほど柔らかい卵焼きは、下の上でなめらかに蕩けて、バターと甘みのあるダシの風味が広がる。
「……美味しい。こんな玉子焼きを食べられるなんて、俺……」
「……本当に美味しそうに食べてくれて、私まで嬉しくなっちゃう。もう一つ食べる?」
「次は私の番です、先生。海原、お味噌汁がいいか? それともご飯?」
「それとも岸川先生? なんて言ってみたりしたら、海原くんも慌てちゃうかしら」
「私……というと、私の分も食べてくれるということだろうか。私としては、食べさせてあげられるのなら、それでも構わないのだが」
「い、いえ、自分の分だけで十分というか、もう胸がいっぱいですから……っ」
杜山先生の冗談を全く否定せず、岸川先生は最大限真面目で俺に優しい方向で解釈する。
先生の箸使いはすごく綺麗だ――大和撫子の手本とも言うべき、美しい作法。はしたない点がもしあるとしたら、俺に食事を食べさせていることくらいか。
だがそれも厭わずに、まだ熱々の白米を先生はふうふうと冷ましてから、俺の口元に運んでくる。
「あーん……」
「あ、あーん……んっ……こんなに粒が立ったご飯が、家で炊けるなんて……」
「……海原の感想は、どんどん私たちの気分を良くしてくれるな。杜山先生もそう思いませんか」
「ええ、色んな料理を作って、ぜーんぶコメントを聞きたくなっちゃう」
ごく平凡なことを言ってここまで褒められたら、俺はそのうち本格的に駄目になってしまわないだろうか。
この全肯定の空間で、逃げることもできず、右を向けば岸川先生に、左を向けば杜山先生に食事を食べさせられ、なぜか徐々に距離が近くなっていて、二の腕に二人のおっぱいが当たっている。
「次はこの煮付けを食べてみて。海原くんが好きそうな味付けにしてみたのよ」
「杜山先生、すでに海原の好みをそこまで把握して……私も負けていられませんね」
杜山先生が差し出してきた人参の煮付けを口に入れる。素材がいいのか、それとも調理法なのか、俺が知っている人参のクセが全くなく、噛むと甘くて塩気もちょうどいい。
「海原くんがもぐもぐしてるところ、こうして見てるのが最近一番幸せかも……」
「い、一番ってことは……」
いいんですかと言いたくなるが、頬に手を当てて俺の咀嚼を眺めている先生の表情は、控えめに言っても蕩けきっていた。
「そういえば……杜山先生、今日は晩酌はなさらないんですか?」
「は、はい……本当はしたいんですけど、お酒を飲むと車が運転できなくなっちゃうので。美味しい梅酒を漬けてあるので、本当は岸川先生ともご一緒したいんですけど……」
「私と……? 私もご一緒させていただけるなら、ぜひ今度の金曜日辺りにでも」
「本当ですか? 嬉しい、この前からずっとお誘いしようと思ってたんです」
岸川先生と杜山先生はどんどん親しくなっていく――見ていると羨ましくなるほど、気が合う二人だ。
「海原くんを通して親しくなれたので、本当は海原くんにもいて欲しいんですけど……」
「そうですね……」
二人が寂しそうに俺を見る。お酒を飲める年齢になったら先生たちと――そう考えて、俺は思う。
卒業したら、二人との接点は薄れてしまう。そうなってしまったら、今約束をしたとしても、現実にはならない。
「……海原は、楽しみにしていてくれるか?」
岸川先生の問いかけに、俺は――少し前なら常識に縛られて、社交辞令のようなことを言っていたところを。
「俺も楽しみにしてます。お酒を飲んでるときの杜山先生が、凄く楽しそうですから」
「言っちゃったわね、海原くん。お姉さんはちゃんと覚えてるから、あのときは気を使って言っただけなんて言っちゃだめよ?」
杜山先生が微笑む。俺のほうこそ、絶対に覚えているつもりでいた。
けれど杜山先生はこれからも、つい飲んでしまって何かをしでかすのではないか――そう思わせるくらいには、お酒を飲みたそうにしていた。身体を壊さないようにというのは、また改めてちゃんとお願いしておこう。
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