第七話・3
俺が遠慮しているので、岸川先生も察したようだった――俺がまだ、吹奏楽部に参加するかどうかを決めていないことを。
「吹奏楽部に協力するかどうか、まだ決めていないからということか。それでも、考えてくれているだけでも嬉しい。私も君が演奏しているところを見たいからな」
「そんなに格好いいものでもないですよ。それに、急に俺がやりたいと言っても、他の部員の気持ちもありますし」
言っている途中で、岸川先生はくすくすと笑う――その笑う姿さえ絵になるので、笑われても怒る気などは全く起こらないのが困ったものだ。
「ふふ……すまない、君はやはり優しいな。そんなに優しいのに『インテリヤクザ』と呼ばれているのは、理不尽に感じる」
それは俺が年上に弱く、目つきが悪くても岸川先生も杜山先生も全く気にしないから――というのが分かってきてはいる。同年代だと普通にしていても威圧感を与えてしまうというのは、俺に年下という補正が無くなると怖さしか残らないからだろうか。そう考えると少し落ち込みそうになる。
「水泳大会は、試験が終わった一週間後に行われる。うちの部としては不利にはなるが、一週間あれば試合に向けて状態を仕上げることはできるだろう」
「運動部は大変ですね……俺が言うのもなんですが」
「どこの学校でも、条件は似たようなものだ。試験期間でもあまり考慮せずに部活をしているところもあるがな。うちは進学校だから、原則練習をすることはできない。それでも筋力を落とさないように身体を動かしてもらうことはできる」
岸川先生はダンベルを持ち上げるような動きをしてみせる――ゆっくりした手振りではあったが、それくらいの動きでも胸が大きく揺れて、視線を思わず上下させてしまう。先生は気づいてないようだが、本当に気づかないものなのかいつも不安になる。
「海原も腕の力が強そうだが、それは楽器をやっていたからか」
「男手が少なかったので、重い楽器はなるべく俺が運ぶようにしてたんです。それで多少は鍛えられたかもしれないですね」
ありのままに答えただけなのだが、先生が何か俺を見てふるふるしている。この反応は――もしかしなくても、密室ではちょっと危険な流れになりかねない。
「……君は本当に……いや、何でもない。あまりにいい子すぎるので抱きしめてあげたいのだが、インクの匂いがする部屋でそんなことをするのも無粋だな」
「イ、インクは関係なく、俺をあまり甘やかさないでください。ただでさえ……」
「……ただでさえ?」
二人きりでいると意識すると、先生と生徒という自分で設定した壁が、頼りない強度に思えてくる。これで抱きしめられたりしたらどうなってしまうのか――。
「ん……印刷した原稿がまだ残っているな。誰か印刷の途中で……」
「っ……せ、先生っ!」
岸川先生が足元の配線につまずき、開いているコピー機の上面に倒れこんでしまう。そして先生はスイッチを押してしまう――すると。
機械が動いている。無機質なまでに決められたルーチンをやり通すコピー機。こういう機械のスキャナーって、原稿のカバーを閉じないと動かないんじゃないのか。
岸川先生の胸が大きすぎたがゆえに、コピー機のセンサーを誤作動させてしまった。そんな奇跡を俺は目の当たりにしていた。
「っ……せ、先生、大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫だ……何か眩しかった気がするが、ボタンを押してしまっただろうか……ん?」
ガーッ、とコピーされた紙が数枚排出される。それを何とはなしに手に取った先生は、最初は何か分からないようだったが――。
「こ、ここっ……これは……っ」
「む、胸がコピーされたみたいですね……」
「っ……ふ、普通はこんなふうにコピーはできないはずだっ、だからこれは……これは私のおっぱいではない!」
岸川先生がコピー用紙を自分から見せてくれる。そこに映し出されているのは、思った以上に高精細にスキャンされて印刷された、二つの立体的なバストの膨らみだった。
文明の利器は、女性の美をそのまま再現するに至った。コピー機を開発した人も、こんなことに使われて称賛を受けるとは思っていまい。
「……あっ……」
「さ、最近のコピー機は凄いですね……ここまでくっきり印刷できるなんて」
「っ……わ、忘れろっ、今の映像を記憶から消去しろ! しないとどうなるかっ……ほ、本気で抱きしめてやる!」
「ま、待ってください先生、まずコピー機のスキャンデータを消しましょう! これが残ってるとまずいことになります!」
「む、むむ……っ」
岸川先生が涙目になっているが、まずコピー機を操作してデータを消す。コンビニでバイトしているときもたまにあるのだが、スキャンデータが消されずに残っていたら、消さなければ次の人が同じものを印刷できてしまうのだ。時間制限があるので、そこまで問題になることはないのだが。
「これで大丈夫そうですね。あとは印刷した紙ですが……」
「……これをシュレッダーに自分でかけるのは、少し……ど、どうしたらいいと思う?」
「そう言われてもですね……わ、分かりました。俺が責任を持って保管するというのはどうでしょう」
「う、うん……い、いや、捨ててもらってかまわないのだが。できれば私の見ていないところで破って捨ててほしい。君のことを信頼しているぞ」
俺はコピー用紙を回収し、先生がくれたクリアファイルに収めて鞄に入れた。果たして捨てられるのだろうか――と、そろそろ脱線のしすぎだ。
「岸川先生、試合の予定を教えてくれてありがとうございました」
「あ、ああ……大事な話をしていたのに、腰を折ってすまなかった。話したいことというのは、それだけでいいのか?」
「は、はい。すみません、チャットで聞いても良かったんですが、それはちょっと違うと思ったので……」
「……海原、応援に来てくれるのか?」
試合の日程を聞いておいて、ただ聞いただけというのは通らない。そうなると分かっていて、俺は聞いた――この場で参加すると答えることはできなくても。




