第二話・8
一人暮らしの女性の部屋でこうして待っているのは、何かしてはいけないことをしている気分になる。
高校ともなれば大人の階段とやらを上ってしまうこともあるのかもしれないが、俺は基本的に大人になってからそういう交際をすべきだと思っている。自分にそういう出会いがあるかといえば、全くもって分からないとしか言えない。
そんな俺がこんな状況にあるのは、やはり先生が優しすぎるからだ。
普通は生徒が足を挫いても車で送ってくれたりはしないし、夕食を作ってくれたりもしない。しないのだが――。
制服のポケットからスマホを取り出すと、岸川先生からチャットのメッセージが来ていた。届いたのは一時間ほど前――ちょうど、杜山先生に夕食を食べさせてもらっていた頃だ。結局自分で箸を使ったのは味噌汁だけということに、我ながら呆れてしまう。
岸川先生:こんばんは
岸川先生:怪我の具合はどうだ? 帰りに君の家を訪問したいと思っていたのだが
杜山先生の家に来なかったとしたら、岸川先生が俺の家に来ていたかもしれない。
姉ヶ崎高校の二大女神に、二股をかけている――そんなつもりは決してないのだが、客観的に見ればそう見られてしまっても無理はない。
先生たちにそういうつもりがないのに、俺がそんなことを考えていたら自意識過剰だ。最優先で直すべき、俺の悪い癖だ。
自分:怪我は大丈夫です、ご心配おかけしました
岸川先生:良かった、なかなか返信がないので心配していた
岸川先生:では、明日こそ君の家に夕食を作りに行ってもいいだろうか?
岸川先生:やむをえない用事で順延していたが、明日の夜なら訪問できそうだ
岸川先生:足を怪我している生徒のために夕食を作るということなら、訪問しても変ではないだろう
四連メッセージの最後を見て、俺は思わずスマホを持ったまま固まっていた。
今日は杜山先生にお世話になったのに、その次の日は岸川先生が夕食を作ってくれるとか、さすがに甘えすぎではないだろうか。
岸川先生:返事がないな
岸川先生:急に言い出してすまない、押し付けがましかっただろうか
岸川先生:都合が良くないのであれば、またの機会にしておこう
俺が答えないことを、先生は嫌がっていると思っている――そんなことはない、しかし甘えすぎている自分を自制するためにも、俺は心を鬼にしなければいけない。
自分:先生にはいつもお世話になってますから、俺の方からお礼をしないといけないと思ってます
岸川先生:そうか
岸川先生:うん、大丈夫だ
岸川先生:全然大丈夫た、都合が悪いなら仕方がない
岸川先生:先生はお礼がしてほしいわけではない、それは気にするな
岸川先生:では、おやすみ
「……先生、すみません」
隠そうとしてはいるようだが、凄くがっかりしている様子が伝わってくる。俺は就寝の挨拶を返しつつ、胸をチクチクと刺すような罪悪感にさいなまれた。
現在、杜山先生の家に滞在していることはとても言えない。隠しておいて知られてしまった場合の方が良くないと分かっているが、今そんな報告をしたら、それこそショックを与えてしまう気がして――、
そのとき、風呂場の方からだろうか、大きな物音が聞こえてきた。
カポーンというのは風呂桶の音だと思うが、それ以外にも何かが倒れるような音がした。俺は右足に重心をかけないようにして、病院で借りた松葉杖を使い、できるだけ急いで浴室に向かう。
「杜山先生、今何かすごい音が……先生?」
脱衣所の外から呼んでみても返事がない。俺は入っていいものかと迷うが、何か大変なことになっている気がして中に踏み込む。
浴室に続くドアはすりガラスになっている。棚に置かれている服を見て、俺は瞬時に目を逸らす――大きすぎるカップのブラと、先生の服が畳まれて置かれている。
普段の先生ならきっちりとしていそうだが、お酒を飲んでフワフワしていたのか、脱いだタイツが丸まったままになっている――と、何だかんだと言って見てしまっては言い訳が立たない。
それよりも、先生だ。返事をしてくれれば問題ない、このまま撤退するだけだ。
「杜山先生、大丈夫ですか?」
「うぅ~ん……」
「っ……せ、先生、どうしたんですか!?」
次に呼びかけても返事がない――しかし、浴室からはシャワーの音が聞こえてくる。
「先生っ……!?」
「……う~ん……」
浴室は湯気で満たされていて、初めは中の様子が良く分からなかった――しかし扉を開けたことで湯気が薄れて、広い浴室の床に倒れている先生が目に入る。
「先生、大丈夫ですか!? 先生っ!」
なりふり構っていられずに、先生を抱き起こす。先生は熱に浮かされたような状態で、意識が朦朧としているようだった。
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