第二話・6
モデルルームのような内装――家具も高級そうで、ソファは今まで座った中で最も座り心地がいい。
広いリビングの段差を上ったところに畳が敷いてあって、ちゃぶ台が置かれている。いつもここで食事をしているそうで、俺は手伝うこともしなくていいと言われ、座布団に座ってお茶を飲みながら待っている。
先生のペースに、完全に流されていると自覚はしている。しかし、そろそろ落ち着いて厚意を受け入れた方が、先生に対して誠実なのではないだろうか。
しかし腰を落ち着けると、立ち上がりにくくなるくらい気分が安らぐ部屋だ。広いのに、ここだけ和風のつくりだからか。
ちゃぶ台の下は足を下に出せるようなスペースがある。これが冬には掘りごたつになるそうだ――冬にもお邪魔してみたいと思ってしまう俺を、誰が責められるだろう。
「ふんふん、ふふんふ~……」
キッチンからは、先生のハミングが聞こえてくる。流行りの歌ではない懐かしさのあるフレーズで、先生のおっとりとした優しい響きの声を聞いていると、ついウトウトとしてしまう。
待っている間に勉強でもやろうと鞄からノートと参考書を取り出したが、図書室ですでにやるべきことは終わっている。今は先の範囲に手をつける気にもならず、ただ待つだけの時間でも退屈を感じていない自分がいた。
岸川先生は家で料理をするとき、やはりエプロンをつけるのだろうか。いや、杜山先生の家で岸川先生のことを考えるのは、いかにも気が多いみたいだ。
トントンと包丁がまな板を叩く音が聞こえる。そして、この和風だしの香り――このままではまずいという予感が、脳裏を過ぎる。
俺には一つ、あまり口には出せない弱点がある。
先生が料理を作ってくれるという時点では、そこまで警戒していなかった。杜山先生のイメージでは洋食を作ってくれそうな雰囲気で、岸川先生のように、俺の弱点をガッツリと攻めてくることはないと思っていたからだ。
◆◇◆
その認識が誤りだったことを、俺は十五分後に思い知ることになった。
まず杜山先生は、キッチンでは割烹着を着ていた――俺は料理をするところを見せてもらえなかったので、彼女がエプロンか何かを着けているものだと思っていた。まずその時点で大きく予想を裏切られるが、杜山先生の割烹着姿はこれ以上なく似合っていた。しかし似合いすぎると逆に、俺には認めたくない理由ができる。
俺は家庭的な料理に弱い。岸川先生の料理を食べたときの彼女の反応を思い出すと、あまり人に見せられないと自分でも分かっている。
俺の前に並べられた夕食は、至極一般的な家庭料理だ――肉じゃが、お浸し、卵焼き、なめこの入った味噌汁。すでにもう運んでくる途中で分かっていた、これは間違いないやつだ。
好き嫌いを事前に聞くという配慮もしてもらったが、俺は嫌いなものがない。出されたメニューはすべて、垂涎の出来というしかなかった。立ち上る湯気の向こうに見える杜山先生の優しい笑顔に、全てを投げ出して飛び込みたいと思わされる。
「この割烹着は、うちの母から受け継いだものなの。エプロンでもいいんだけど、これでお料理をするのに慣れちゃってて……やっぱり変だった?」
「い、いえ……そんなことは全くないです。むしろ、似合いすぎてるというか……」
「も、もう……そんなに大げさに褒めても何も出ません……ご飯は出てきますけど」
先生は俺を諭す時は、丁寧な口調になる。不意に出てくるそういう部分に、俺はどちらかというと弱いほうだ――と、考えているうちに冷めてしまってはいけない。
「じゃあ……先生、いただいてもいいですか?」
「っ……せ、先生をいただくのはちょっと……そんなに割烹着が好きなの? 三角巾もつける?」
「い、いや、そうじゃなくてですね……俺がそんなことを言うと思いますか?」
「……海原くんも男の子だし、場合によっては言いそうかなって……な、なんて、先生がそんなこと言ってちゃいけないわよね、生徒を信頼しなきゃ」
胸に手を当てて言う杜山先生――谷間に手が普通に挟まれ、割烹着越しに胸の膨らみが強調される。
先生が俺を信頼しても、俺はその信頼に答えきれるのか。などと弱気になっている場合じゃない。何のために俺はここに来たのか、それを決して忘れてはならない。
夕食を御馳走になりに来ただけのはずが、正念場を迎えている。それもこれも、先生の割烹着姿が似合いすぎているせいだ。
「……あっ。海原くん、可愛い……お腹がくーって鳴ってる」
「……あまりからかわないでください」
「ふふっ、ごめんなさい。海原くん、どれから食べたい?」
先生はそれが当然というかのように箸を手に取る。白くて細い指が、きれいな持ち方で箸を扱うさまは、見ているだけで琴線に触れるものがあった。
「ごはんとお味噌汁とおかずをバランス良く食べるのがいいのよ。最初はごはんから……あーん」
「っ……」
このまま流されていいのか。しかし躊躇する間もなく先生に先手を取られて、逃げることはできない。先生は左手で箸を持ち、右手を受けるように添えながら、湯気の立つ白米を差し出してくる。
「……海原くん、あーんして?」
女神の笑顔と、耳を甘やかすような声。そこには純粋な慈愛だけがある。
もう、どうにでもなれ――我慢は身体に悪いので、そろそろ素直になりたい。
覚悟を決めて口を開ける。そっと白米が口の中に差し入れられ、舌の上で米粒がほろりと崩れる。噛めば噛むほど甘みが広がる。炊き方も硬さも完璧だ。
「おいしい?」
「は、はい……せ、先生、俺、自分で食べられますから……」
すでに頭がぼーっとしてきている。これほど魅力的な年上の女性に懐柔されたら、俺じゃなくても男子高生はみんなこうなるんじゃないだろうか。




