第二話・5
「海原くんのことを偶然見つけて、バイトをしてるところを見てたのはね、謝らないといけないと思ってるの。でもね、やっぱり見ちゃったから、海原くんの担任の藤田先生に聞かなきゃいけないと思って」
「聞くって……ま、まさか……」
「そう。海原くんがどうしてアルバイトをしてるのか……そうしたら、お父さんの単身赴任でご両親が留守にしてるから、海原くんも自立心が強いんじゃないかって教えてくれたの」
まだ藤田先生には、この春からの二週間しか受け持ってもらっていない。しかし俺の家庭の事情を知ると「何かあったら先生に相談しなさい」と言ってくれていた。
純からすると「オカンみたいな先生」とのことだが、まだそんな年齢ではなくて、岸川先生より幾つか年上というくらいだ。そんな先生同士のネットワークで俺の事情が伝わってしまったと思うと、仕方ないことではあるが無性に恥ずかしいものがあった。
「それで、ずっと気になってたの。私も先生になってから一人暮らしなんだけど、一人でお夕飯を食べてるときに、海原くんは同じようにしてると思うとね……」
それは普通のことというか、あまり気にされても申し訳なくなってしまう。俺はただでさえ、岸川先生に餌付け――もとい、弁当のお裾分けをされているのだから。
「先生の家に俺を招いてくれて、夕食を作ってくれる……っていうことですか?」
答えは出ているのだが、半分くらいは否定してほしいという思いがあった。
学校の先生に招かれて家で食事をするなんて、それは先生と生徒の関係性として、壁を超えてしまっている気がする。岸川先生もまだ俺の家に来たことはないし、彼女を差し置いてというのも言い方として自意識が過剰だとは思うが、杜山先生の家に行くのは後ろめたさが無視できないほど大きい。
「大丈夫よ、海原くんがお腹いっぱいになったら、ちゃんとお家まで送ってあげるから。先生、送り狼さんにはならないわよ」
先生はキリッとして大人のジョークを言っているつもりなのかもしれないが、それを生徒に言うのもどうなのか。女性が送り狼になるというのはまず聞かない話なので、俺もそれを心配してはいない。足を挫いたくらいでほんわかした杜山先生にいいようにされてしまうほど弱くはない。何かが起こることを期待しているなんてことはない、断じて。
「俺はもう普通に立てますし、これ以上お世話をしてもらうと、サポートをしてもらっているというか、過保護になってしまうと思うんですが……」
「遠慮しなくていいの、二人分作る方が楽なんだから。お姉さんに任せなさい」
理詰めで説得を試みても、普通に押し切られてしまう――こうなってみてわかったことだが、杜山先生はこういうときに押しが強いのだとわかった。
しかし岸川先生に知れたらというのは、どうしても気にかかる。彼女がお姉ちゃんを自称しているからといって、ここで俺は岸川先生の弟のようなものだと主張し、芽瑠お姉ちゃんに操を立てているのですと言ったら、さすがに杜山先生もちょっぴり引いてしまうだろう。そして岸川先生を大いに喜ばせてしまうか、杜山先生にはそういうことを言ってはいけないとTPOをわきまえて俺をたしなめることだろう。
杜山先生も岸川先生と似た方向の理由で俺の面倒を見ようとしてくれているという可能性も否定はできない。別に俺は、誰彼構わず年上の女性を惹きつける弟体質というわけではないはずなのだが。そんなことを自認していたら勘違いもいいところだ。
「怪我をしてないときでも、いつでも遠慮しないで、何でも言ってくれていいのよ。私は海原くんに感謝してるの。あのとき吹奏楽部を助けてくれたこと」
「俺は……恩義に感じてもらうほどのことは、してないですよ」
あのとき俺は、何を思っていただろう――久しぶりに楽器に触れられることを、どう思っていたのか。それを思い出すことから、今は意識をそらす。
俺は中学最後のコンクールで、もう楽器はやめると決めた。嫌気がさしたわけでも、部活が面倒だというわけでもない。十分にやりきったと、そう思っているから。
◆◇◆
先生の実家も近くにあるらしいのだが、大学の頃から実家を出て暮らしていたそうだった。今のマンションには、姉ヶ崎高校に勤めるときが決まったときに引っ越してきたらしい。
近隣では目立つ、十階建ての九階。セキュリティがとてもしっかりしていて、いかにも高級という感じがした。
先生はもしかして、お嬢様育ちなのではないだろうか――と思っていたのだが、先生の家に入れてもらってから、それはほとんど確信に変わっていた。




