第二話・1
南校舎一階の保健室までやってきたところで、俺は自分で立つ――やはり痛めてから時間が立つと腫れてきてしまい、壁に手を付いて負担を和らげる。
「杜山先生が在室しているようだから、治療をしてもらうといい。一人で大丈夫か?」
「はい、ここまで連れてきてもらえれば大丈夫です……せ、先生……」
普通に返事をしただけで岸川先生は嬉しそうにして、頭を撫でてくる。これがまた悔しいほどに落ち着くのだが、子供扱いされているようなので素直に喜べない。
「よくここまで頑張ったな。お姉ちゃんは……いや、もうそろそろ切り替えなくてはいけないか。先生は嬉しいぞ」
「……駄目ですよ、そんなに俺に甘くしたら」
「人に見られてはいけないからな……それは分かっている。次からは気をつけるから、そんなに嫌そうな顔をするな。では、またあとでな」
「は、はい。ありがとうございました、先生」
俺は岸川先生が廊下の角を曲がって見えなくなるまで頭を下げる。そして、保健室の中に入った。
「失礼します……あれ?」
岸川先生の言葉に反して、部屋の中には誰もいない。いつもこの部屋の主である彼女が使っているデスクを見ると、椅子が少し引いてあって、誰かが座っていたような痕跡がある。
「うーん……て、手が届かない……も、もうちょっと……」
部屋の中から声がする。くぐもった声が聞こえてくるのは、カーテンで仕切られているベッドの方向――何となくその向こうを覗き込んで、喉から変な音が出そうになる。
「んしょ……届いたっ……!」
端的に言えば、床に四つん這いになって、ベッドの下に手を伸ばしている人がいた。この角度ではスカートの中こそ見えないが、素足の太ももが半分くらい見えてしまっている。
「はぁ~、やっと取れた……」
先生はそのまま後ろに下がって、身体を起こす。そして後ろを振り返って、俺がいることに気がついた。
「……あら?」
「み、見てません……俺は何も……!」
「見てない……きゃっ……も、もしかして、ずっと見てたの……?」
言い訳が通じるわけもなく、先生はまだ床に膝をついたままで頬を赤らめる。
しかし怒るわけでもなく、ゆるく巻いた髪を撫で付けて整えてから、すっと立ち上がった。岸川先生よりは少し小柄で、しかし――彼女もまた、正面から向き合うのにとてもエネルギーが必要とされるスタイルをしている。
「はぁ、びっくりした。海原くん、来てくれてるなら言ってくれたらいいのに。お姉さん心臓が止まるかと思っちゃった」
最初に見た時は、本当に俺より年上なのかと思った――だが、彼女は大学を卒業して二年目のれっきとした養護教諭だ。
杜山知聖。彼女こそが、この学校における「二大女神」のもう一人だ。
先生とはいうものの、同じ学校の先輩と言われても通用しそうな童顔で、白衣の下に着ているワンピースは胸の部分がぱつんぱつんになっており、岸川先生と同じように前が閉じられない状態になっている。「二大女神」と言われている理由は、どこがとは言わないが、ビーナス像よりも豊かなところから来ているのは間違いない。
姉ヶ崎高校の教師の中で、男子生徒から崇拝に近い人気を集めている存在。その理由はもちろん教育熱心な姿勢によるものであって、決して美人すぎるからだけでも、二人が並ぶと壮観としか言いようがないからだけでもない。
「あら? 海原くん、お顔が真っ赤。大変、熱があるんじゃないかしら」
「い、いえ。ここに来たのはそういうわけじゃ……」
杜山先生は俺の額に手を当ててくる――体育の後なので色々と気になるが、先生はただ熱を測ることだけに集中している。
岸川先生と違うのは、杜山先生は真剣なときにも、ゆるふわな雰囲気のままだということである。保健室の先生としては理想的なのかもしれないが、話していると無限に癒やされてしまい、毒気を完全に抜かれてしまいそうになる。
「あらあら……これは……うーん……」
「せ、先生。俺は別に、熱があるわけじゃないです。手を当てたりする必要は……」
「……あら? 海原くん、どんどん顔が赤く……大変、それに熱も……」
先生が接近しすぎで熱が上がっているわけで、状況は悪化する一方だ。しかし先生はあくまで熱を測っているだけなので、このままではどんどん追い詰められていく。
「あっ……た、大変。海原くん、動悸がどんどん激しくなってる……」
「そ、それは……体育が終わった直後なので……うわっ……!」
「どうしたの海原くん、そんな可愛い声を出して。海原くんはいつも可愛いけれどね、うふふ」
先生に接近されすぎて反射的に、触れそうな部分をかばった。具体的には胸の辺りをガードしたのだが、その上から先生の胸がぽよん、と当たる。
手の甲に一瞬で全神経が集中してしまう。白衣の下に着ているワンピース越しの感触――先生の服装はある程度自由なようで、あくまで落ち着いたデザインの服なのだが、それを着ている彼女のプロポーションを抑え込めていない。
女騎士先生は体育の授業中だからかワイヤーの入っていないスポーツ系のブラをつけていたが、杜山先生の場合はレースの刺繍の凹凸が感じられ、しっかりワイヤーが入って、中におさまった豊穣の女神たる部分をしっかりとサポートしていた。
「……いけない、どんどん熱く……それにこの心臓の鼓動はただごとじゃないわ、小鳥みたいにとくとく言ってる……胸が苦しいのね、そんなふうに押さえて」
「く、苦しくありません、俺は本当に、別の場所にちょっとした怪我をしただけで……ほ、本当です、ですから……っ」
何とか離れてもらおうとするが、先生は全く言うことを聞いてくれない――それどころか。
思考が全て停止し、俺の手の感覚だけが残る。
まさか自分の心臓の鼓動と比べるなんて、そんな非現実的なことが――まさに今俺の身に起きている。
「先生と比べてみたらわかるでしょう。どれだけ海原くんの胸がドキドキしているのか……先生も触って確かめてあげる」
先生の手が、俺の胸に触れる。この状況で平静なままでいられるわけもなく、俺は言い訳のしようもない状態で、微笑む先生を見ているしかなかった。




