1ー2
翌朝。走り込みをする隊士の足音に起こされた。
昨日は少しおセンチになって泣いてしまったが、いつまでもクヨクヨしている私ではない。根暗魔術師や前任者とは違うのだ。少しだけモヤシ共に感化されかけているが、心まで落ちぶれてはいない。
見た目は老婆だが、中身はオシャレや流行りが大好きな平成の乙女なのだから!冷たい水で顔を洗い、若々しい頬をパチンと叩く。すると一瞬にしてシワシワの老婆へと変貌する。
「よし」
自分を鼓舞すると、ローブを目深に被り、食堂に朝食を食べに行くため扉を開けようとした。その時。
「朝からキツいぜぇ」
「ハハハ、まあ飯でも食って元気出せよ」
ビクリ、と大袈裟なくらい体が跳ねた。取手へと伸ばしていた手に力が入らず、どうしたのかと見ればフルフルと震えている。
「ぇ…、マジで…」
胸元に引き寄せ、反対の手でギュっと握るが、震えが止まる様子はない。それどころか、反対の手まで震えている。声の二人はとっくに通り過ぎているのに、声を聞くだけで胸がソワソワして、あの食堂に入ることを考えると、叫び出したくなるのだ。
(ヤバいヤバいヤバいヤバい…!これはマジでヤバい!)
「対人恐怖症?いや、まさか…」
踵を返し、座り心地の良さそうな深めの椅子に腰掛け膝を抱える。これはよくパニックを起こしていた魔術師が自分を落ち着けるために取っていた行動だ。
「大丈夫、大丈夫。とりあえず、そんなにお腹は減ってないし、携帯食もあるし…」
震えが止まり気持ちが落ち着くと、朝食を食べるのはやめて、少し埃を被った私室の掃除と荷解きをすることにした。
この砦で私に与えられたのは医務室。入って左手の壁には扉が三つあり、手前から浴室、便所、私室となっている。
私室はベッドと机があるだけの手狭な部屋だが、荷物も少ないので、調度良い広さだった。片付けは一時間ほどで済んだが、抜け毛の掃除が大変だった。
次に取り掛かったのは医務室の掃除だ。患者用のベッドが六床と、棚がいくつか。暖炉と水場が備え付けられた広々とした部屋で、染み付いた薬草の匂いなどは学校の保健室を思い出す。
それにしても、とても散らかっている。薬の調合をする作業台には様々な薬草が放置され、混ざり合い、器具が散乱していた。きっと、魔術師が不在の間、粗野な隊士が自分たちでで調合したのだろう。
隊士のことは詳しく知らないが、簡単なものなら自分で調合できるのだろう。薬草は料理と同じで、レシピ通りに作ればまず失敗することはない。
しかし、魔術師は決して薬草をあのような扱いをしない。薬草はそこらに生えている雑草とは違うのだ。ある条件を満たさないと採取出来ないものや、他国にしか生息しないものがあり、とても貴重で高価な物もある。それに、それぞれ正しい保存法があり、そうしないと品質を傷め、効能が失われる。見てみると、いくつか使い物にならない薬草がある。もったいないが、廃棄した。薬草の汁がこびり付いたすり鉢や鍋などの器具も綺麗に洗い、窓辺に天日干しする。
大晦日ばりに細々とした所まで掃除していると、いつの間にか太陽が真上に上がっていて、もう昼なのだと知った。しかし、あの食堂に行く勇気はなく、旅の携帯食として持っていた乾燥パンと水で簡単に済ませた。
「ぅわ…すごい」
医務室の本棚には薬草学、人体学、魔術書など、医療に関する様々なジャンルの書物があった。アグルアムニでは見たことのない魔物に関する書物なんかはとても興味深い。
「ん?何これ…」
忘れていったのか、故意に置いていったのか。書物の間に前任者の手記らしい物を見つけた。時間のあるときに読んでみようと思う。
「さて、あとは…」
綺麗になった本棚と作業台を満足げに見回していると、コンコンと扉を叩く音がした。ビクッと肩を跳ねさせたあと、恐る恐る返事をかえす。
「誰だね…」
魔女らしい、しわがれた声。見た目が老婆でも、声が若くてはすぐにバレる。同僚に教えてもらい、急遽変声魔法を修得したのはいい思い出だ。
「第十部隊、隊長クロード・レネキウスです」
(クロード…あいつらが喜びそうな名前)
フードをしっかり被り直し、老婆の顔になっているか確かめる。そして勇気を出して声を振り絞った。
「…どうぞ」
入ってきたのはその名に相応しい男だった。黒髪と切れ長の目が会いまり、冷ややかな印象を感じる整った顔立ちの男だった。戦士のわりには細身で、こんな辺境よりも王宮騎士とか近衛兵の方がよく似合う。
「…何用ですか?」
そう尋ねると、クロードは数枚の紙を手渡してきた。
「ここに書かれた薬を作っていただきたい」
紙には部隊の名前、不足している薬品名、数量が書かれている。それが十枚。この数量を作るとなると、量がハンパない。
男の顔を見ると、無表情で私を見下ろしていた。その目の冷ややかなこと。紙を握る手に自然と力が篭った。
「全ては…無理です…」
「どうしてだ」
すぐさま返ってきた声の冷たさに指がピクっと跳ねた。ダメだ。怯えを勘付かれてはいけない。気丈に振る舞え、私。
「薬草学の心得のない者がここに来たようで、いくつかの薬草が駄目になり、量も足りない…」
恐る恐るクロードを見上げると、何か考えている様子だった。しばらくすると、クロードは薄い唇を開いた。
「次の配給には間に合わない。新しい薬草が入るのはさらに次の配給になるだろう。明日までに足りない物を書き出し、今ある薬草で出来る限り作ってくれ」
「はい、かしこまりました」
「また明日来る。それでは」
クロードは事務的に告げると、さっさと出て行った。扉が閉まると、へにゃへにゃと床に崩れ落ちた。
「……無理だ」
マジ怖いよ、ここの人間。どんだけ魔術師嫌ってんの。緊張の解けた私は、さっき本棚で見つけた前任者の手記を手に取ると、床に座り込みパラパラとページを捲っていった。
目を通していると、中は日記や研究のメモなど雑多になっていた。そこで私が見つけたのは、信じられない前任魔術師の仕事内容だった。
ここでは医務室がありながら、各隊ごとに救急箱を持っており、怪我をしても自分たちで治療している。前任者はひたすら薬草を作り、時々底をついた薬を隊士が取りにくるという日々を過ごしていた。
(何それ…!?私、何のために派遣されたの!?)
魔術師は薬草学が専門ではない。確かに薬草学を専門とする魔術師もいるが、薬を作るだけなら、レシピと材料があれば料理上手な主婦にも出来る。許せないのは、それだけをさせていることだ。それ以外は何もするなと。それ以外はお前の力を借りないと。そういうことだろう。
(魔術師への冒涜だ…。ここに、魔術師の尊厳なんてありゃしない)
まだ配属されて二日目だが、やっていける気がしない。すごく帰りたい。
(みんな、元気かなぁ…。あぁ、でもあいつらのことだから、自分が選ばれなくてよかったって安心して、いつもみたいにジメジメニタニタしてるんだろな)
簡単に想像がついて、次第にフツフツと腹が立ってきた。
「…頑張れ、頑張れ私」
クロードに渡された紙を見る。じっとしている時間はない。全ての部隊が救急箱を持っているのだ、作る量はハンパない。
傷薬。
解熱薬。
鎮痛薬。
麻酔。
火傷薬。
エトセトラ…。
「傷薬は少しだけなら。解熱は無理。鎮痛薬を作るとススリネ草が不足するから麻酔が作れないなぁ。あ、確か鎮痛は違う調合があったような…」
ブツブツ呟きながら、紙と薬品棚を睨めっこする。
「まずは傷薬ね」
暖炉に蒔きをくべ、鍋で湯を沸かす。薬草を入れてクツクツ茹でている間、違う薬草をすり潰す。部屋に独特な香りが充満する。
(あぁ、薬学研究所の匂いだ)
あそこは育毛の薬に痩せ薬、さらに媚薬まで。彼女いないくせに、意味のない薬を作ってるやつがいて面白かった。
木の実をゴリゴリすり潰しながら、アグルアムニでの日々を思い返す。
(帰ったら、まずは買い物に行こう。派遣は給金が倍くらい高くなる。可愛い服とか、流行りのスイーツを買って、新しい部屋は白に統一して…)
考えればワクワクするような未来が待っている。たった二ヶ月の我慢だ。
***
「クロードです。入ってよろしいですか」
次の日、また昼過ぎにやって来たクロードを招き入れ、作業台に並べられた薬の数々を見せた。何日か寝かさないといけない物もある中、完成した物は全て個包装にしたり、瓶に入れ、出荷できる状態にした。
「明後日には鎮痛薬と水虫の薬が出来上がります。それと、これが不足している薬草などです」
ドヤァとクロードを見上げると、彼は紙を受け取り、完成した薬を籠に入れた。
「ご苦労でした。薬草は手配しておきます。それでは失礼します」
そう言ってさっさと出ていった。
「は…?」
(ちょ、ちょっと待って。ご苦労でしたって、それだけ?徹夜してこんだけ作ったんだよ?それがどれほど凄いかわかってる?乾燥させないといけない薬は魔法で無理矢理乾かして、違う生成法はないか探しまくって、無い薬草をどうにかやり繰りして、ご丁寧に個包装までしてあげて…!)
「っ〜!!」
前任者の手記が目に入った。それに飛び付くと、空いてあるページを見つけ、ペンを握ると思いつく限りの罵詈讒謗を日本語で書き殴った。
私の髪が抜け落ちるのも時間の問題かもしれない。
クロード・レネキウス:第十部隊・隊長。中二病が好みそうな名前のクールビューティー。
薬学研究所:アグルアムニの魔術省に属する研究所。薬草学を主に研究している。育毛の薬、痩せ薬、媚薬など。