エピローグ エレナの日常と光の霊廟へ
木漏れ日が柔らかく揺れる王宮の温室庭園に幼く鈴を転がすような笑い声が響いている。
「おかあさまみて、おはなふわふわしてる」
柔らかな銀の髪を揺らし、短い足で駆け寄ってきたのは三歳になる娘のリュシエンヌだった。
その瞳はカディス譲りの理知的な群青色を湛えながらも好奇心に満ちて輝いている。
リュシエンヌの小さな手のひらの上では、淡い光を帯びた風の妖精たちが楽しそうに花びらを躍らせている。
「上手に妖精さんとお話しできるのね、リュシー」
優しく微笑み、膝をついて娘を抱きしめたエレナの手はあかぎれや傷跡など跡形もなく白く滑らかで温かい。
「エリナに似て、リュシーも妖精たちに愛されているな」
執務の合間を縫って現れたカディスが、柔らかな眼差しを向けながら歩み寄ってくる。
国王となったいまも、エレナと娘への深い慈愛が溢れている。
カディスは腕を伸ばし、我が子を軽々と抱き上げるとエレナの肩を優しく引き寄せた。
「お仕事はお済みなのですか。カディス様」
「ああ、今日はこれ以上ないほど順調だ。約束の日だからな」
カディスの言葉に、エレナは胸元に手を当てそっと微笑む。
今日は、一年に一度、ヴィクトール侯爵領にある母レティシアの霊廟へと赴く日だ。
白亜の石造りの霊廟は、初夏の澄んだ陽光と一面に咲き誇る白百合の甘やかな香りに包まれていた。
誰にも知られず、冷たい土と枯れ葉の下に隠すように母を葬ったあの日から十数年の月日が流れていた。 母が眠るこの場所は、ヴィクトール侯爵家と王室の手によって美しく手入れされ光と風が絶え間なく吹き抜ける聖域となっていた。
棺の前に進み出たエレナは、庭園で娘と一緒に摘んだ白百合の花束を大理石の墓前へと静かに手向ける。
棺の蓋には、かつて母が命を削って隠し通しエレナが故郷へ連れ帰った双翼の鷲の銀の指輪が、誇らしげに埋め込まれている。
「お母様、会いに来ましたよ」
エレナの澄んだ声が、静かな霊廟に優しく溶けていった。
「おかあさまの、おかあさま」
カディスに手を引かれたリュシエンヌが不思議そうに首を傾げながら棺を見上げた。
エレナは娘の目線に合わせてしゃがみ込み小さく頷く。
「そうよリュシー。とても優しくてどんなに暗い夜でも私を全力で愛して守ってくれた。世界で一番誇り高いお母様よ」
かつて吹きさらしの納屋で母が自分のためにしてくれたように。
理不尽な悪意に晒されながらも、愛する心と気高い誇りを決して失わなかった母の温もり。
その愛があったからこそ、自分は泥水をすする中でも心を腐らせず運命を切り拓くことができた。
エレナは娘の柔らかな頬を包み込み愛おしそうに額を寄せた。
「リュシー。お母様から私が愛されたように、私もあなたを命のすべてをかけて愛するわ」
「リュシーも、おかあさまも、おとうさまも、だいすき」
無邪気に笑う娘を、カディスが温かな掌でそっと包み込む。
エレナの胸の奥に、言葉にならない幸福がじんわりと満ちていった。
フェルデンツ伯爵邸で奪われ、踏みにじられた命の連鎖。
あの冷酷な檻を越え、母から受け継いだ愛は途切れることなくこうして次の光の世代へと確かに受け継がれていく。
ふわりと、霊廟の中を心地よい一筋の風が吹き抜けた。
百合の花弁が舞い散り、まるで母レティシアの優しい手がエレナの銀髪と娘の小さな頭をそっと撫でてくれたかのような温もりがその場を満した。
「幸せにおなり、私のエレナ」
風のささやきのような、懐かしい愛の調べが耳の奥で優しく揺れる。
「はい、お母様」
エレナはカディスと手を取り合い、青空の広がる霊廟の外へと歩み出した。
幼い娘が二人の間で嬉しそうに跳ね、空へと笑い声を響かせる。
見上げた空は、どこまでも澄み渡り降り注ぐ陽光が家族の歩む道を黄金色に照らしている。
国王は、側室を置かず王妃エレナ一人を愛し続けた。
二人の間に、二男一女に生まれた。
嫡男レオンハルトに王位継承をするまでの間、治世三十五年間の間戦争は一度もなく平和に国を治めた。




