第一話 森で出会った薬師
第一話 森で出会った薬師
目を開けた瞬間、知らない空が広がっていた。
青く澄んだ空。木々の隙間から差し込む柔らかな陽射し。頬を撫でる風には土と草の匂いが混じっている。
「……え?」
ゆっくりと体を起こす。
制服のまま座り込んでいる場所は見たこともない深い森だった。
「ここ、どこ……?」
夢じゃない。
頬をつねるとちゃんと痛い。
スマートフォンを取り出そうとポケットを探るが、圏外どころか電源も入らない。
周囲を見渡しても人どころか道すら見当たらない。
胸が苦しくなる。
学校へ向かう途中だったはずなのに。
信号を渡って――その次の記憶がない。
「帰らなきゃ……」
そう呟いて歩き始めたもののどこへ向かえばいいのか分からなかった。
似たような木ばかりで方向感覚は失われ、歩けば歩くほど森は深くなる。
何時間歩いたのだろう。
喉は渇きお腹も空いた。
足はもう限界だった。
「……お母さん」
思わず零れた言葉に自分で苦笑する。
今さら帰ったところであの家に私の居場所なんてなかった。
それでも知らない場所で一人なのはやっぱり怖かった。
視界がぼやけた、その時だった。
ガサリ、と草むらが揺れる。
息を呑んで振り返ると一人の男性が立っていた。
長身で黒い外套を羽織っている。
肩から革の鞄を提げ片手には薬草の入った籠。
切れ長の瞳は鋭く整った顔立ちなのに表情がほとんどない。
思わず一歩後ずさる。
「……」
「……」
沈黙。
怖い。
怒っているようにも見える。
男性は私をじっと見つめたまま動かなかった。
やがて低く落ち着いた声が響く。
「……君は、異世界人か。」
「え……?」
意味が分からず目を瞬かせる。
「服装。靴。見慣れない素材。言葉もこちらと違う訛りがある。」
淡々と観察するような口調。
「文献の特徴と一致する。」
文献?
異世界人?
何を言われているのか理解できない。
「……質問を変えよう。」
男性は少しだけ声を和らげた。
「名前は?」
「……り、りつか、です」
「そうか。」
それだけ言うと、今度は私の顔色を見た。
「顔色が悪い。」
「だ、大丈夫です……」
反射的に答える。
昔からの癖だった。
大丈夫じゃなくても、大丈夫と言ってしまう。
男性は小さくため息をついた。
「嘘だな。」
「え……」
「空腹。脱水。疲労。」
まるで診察するように言葉を並べる。
「歩けるか?」
「……はい。」
返事をした瞬間、足元がふらついた。
「あ……」
倒れる。
そう思った瞬間。
ぐらりと傾いた身体を、大きな手が支えた。
「無理をするな。」
低い声がすぐ近くで聞こえる。
驚いて見上げると、怖そうだった瞳がほんの少しだけ柔らかくなっていた。
「……帰るぞ。」
「帰る……?」
「私の家だ。」
「えっ?」
「この森で一人では生きられない。」
それは事実だった。
何も言い返せない。
「安心しろ。」
彼は少し考えるように間を置いてから続けた。
「薬師だ。」
「薬師……?」
「怪しい者ではない。」
見た目だけなら十分怪しい、と心の中で思ってしまった。
けれど、その言葉を口にする勇気はない。
男性は私の表情を見て、小さく首を傾げた。
「……信用されていないようだ。」
「い、いえ!」
「その反応は肯定だな。」
少しだけ困ったように眉を下げる。
その表情を見て、初めて思った。
この人、怖い顔をしているだけで、本当は優しいのかもしれない。
「私はレオン。」
彼は短く名乗る。
「薬師で、研究者でもある。」
「研究……?」
「君には興味がある。」
その一言に体が固まる。
やっぱり怖い人なのでは。
そんな私の様子に気付いたのか、レオンは少し慌てたように言い直した。
「研究対象として、だ。」
それもどうなんだろう。
心の中でそう思ったけれど、口にはできない。
「もちろん無理強いはしない。」
そう言うと、彼は自分の水筒を差し出した。
「まずは水を飲め。」
恐る恐る受け取る。
冷たい水が乾いた喉を潤していく。
「……おいしい。」
「そうか。」
レオンはそれだけ答えた。
でも、ほんの一瞬だけ。
本当に一瞬だけ、口元が柔らかく緩んだ気がした。
その小さな変化に気付いたのは、きっと私だけだった。




