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第2章 12話 僕らの次の一行

学校へ戻った朝、教室の空気は、まだ一時間目だというのに昼休みのあとみたいにざわついていた。

 机に鞄を置く前から、あちこちでスマホの画面が光っている。

「見た?」

「あれ、誰のだろ」

「いや、これ、分かるって」

 聞こえよがしではない。むしろ、聞かれたくない声だった。

 僕の席にたどり着く前に、ひかりが僕の袖をつかんだ。

「湊」

「うん」

「先に見たほうがいい」

 差し出された画面には、相談箱に投函された紙の写真が四枚並んでいた。

 名前は書かれていない。けれど、内容の癖だけで誰のものか分かってしまう相談がある。

 進路の迷い。家の金。欠席の言い訳。別れ話のあと、教室にいるのがつらいという短い文。

 どの紙も、折り目までくっきり写っていた。

「……最悪だな」

 僕が言うと、ひかりは画面を伏せた。

「お帰り、って感じしない?」

「歓迎が雑すぎる」

「でも」

「でも?」

「お前が戻ってきて最初に相手する事件としては、分かりやすい」

 言いながら、ひかりの目はもう教室の外を見ている。

 僕は息を吐いた。

「行くんだろ」

「ラノベの主人公ならそうする」

「知ってる」

 返しながら、鞄からノートを抜いた。

 開いた最初のページの上に、昨日の夜に書いた見出しが残っている。

『誰も一人で背負わない終わり方』


 相談箱は旧校舎と本校舎をつなぐ渡り廊下の手前に置かれていた。

 白い木箱の蓋は閉じたままだったが、周りに人の気配が溜まっている。通りすがりの生徒が、わざわざ歩幅を緩めて見ていく。

 小峰が先に来ていた。

「先生たち、今会議室」

「誰が最初に気づいた」

「朝の当番。箱そのものは無事。でも、たぶん昨日の放課後にはもう撮られてる」

 小峰の指先が、箱の差し込み口の縁を示す。

 薄く、爪でこすったみたいな跡が残っていた。

「開けたの、何回目だと思う?」

 ひかりが屈みこんだまま聞く。

「一回じゃない」

 僕は答えた。

「最初に探りを入れて、うまく取れなくて、何回かやってる」

「うん」

 ひかりが立ち上がる。

「雑」

「でも、箱の扱いに慣れてる手つきだ」

 僕が言うと、小峰が眉をひそめた。

「管理当番かな」

「たぶん」


 会議室の前には、もう三人いた。

 相談内容を流された側だと、見ただけで分かる顔だった。

 誰も泣いていない。誰も怒鳴ってもいない。

 ただ、自分の名前ではない相談文を、もう自分のものとして読まれたあとみたいな顔で立っている。

「中、入っていい?」

 ひかりが聞くと、一年の女子がすぐには頷かなかった。

 唇を噛んでから、やっと言う。

「……入ってどうするんですか」

「決める」

「何を」

「勝手に“いいことのつもりだった”で終わらせない方法」

 女子は目を伏せたまま、小さく笑った。笑った、というより、息が切れたみたいに口元が揺れた。

「助けてもらうために入れたんじゃないんです」

「知ってる」

 ひかりは即答した。

「でも、助けを求めた人間が恥を引き受ける仕組みは、壊さないとだめ」

 そのとき、別の男子が低い声で言った。

「相談箱なんか最初から置かなきゃよかったんだよ」

 会議室の前が、少しだけ冷える。

 僕はその男子を見た。怒っているというより、怒っていないと立っていられない顔だった。

「そうかもしれない」

 僕が言うと、ひかりが横目で見る。

「でも、置いたことより、開けてもいいと思ったやつがいたことのほうが問題だ」

 男子は何も返さなかった。

 それでも肩の力が、ほんの少しだけ抜けた。


 職員会議室の中では、教師と生徒会役員、それから相談箱の管理当番だった二年生が座っていた。

 榊原の姿はまだない。

 当番の男子は、机の端に指先だけ乗せていた。爪の周りを噛む癖があるらしく、皮膚が荒れている。

「写真を撮ったのは君?」

 教頭の問いに、男子は俯いたまま頷いた。

「……はい」

「一人で?」

「最初は」

 その言い方で、部屋の空気が変わる。

 ひかりが一歩前へ出た。

「最初は、ってことは」

「先生に見せるつもりだったんです」

「誰に」

「担任か、養護の先生に」

「その前に撮った?」

「……はい」

「その前に開けた?」

 男子は答えるまでに少し時間がかかった。

「はい」

「迷わなかった?」

 ひかりの声は低い。責めているのに、怒鳴ってはいない。

「その紙を入れた人より、自分の判断のほうが上だって思ったとき」

 男子は顔を上げた。

「そんなつもりじゃ」

「でも、そうした」

 そこで初めて、男子の目が揺れた。

「……危ないの、あったから」

 声が少しだけ大きくなる。

「家庭のこととか、欠席とか、金のこととか、放っておけないの、あったから」

「だから、開けた?」

「はい」

「だから、撮った?」

「先生に見せるためで」

「だから、友達に送った?」

 男子の喉が動く。

「……一人だけ、相談して」

「そこから広がった」

 ひかりの言葉で、男子は黙った。


 沈黙のなかで、椅子の脚がわずかに鳴った。

 教頭が咳払いをする。

「とにかく、本人の軽率な行動が」

「それだけじゃないです」

 僕の声が、自分で思っていたより先に出た。

 全員がこっちを向く。

「箱の鍵、誰が持ってます」

「生徒会と、担当教員が」

「複製は」

 担当教師が言いよどんだ。

「……予備が職員室に」

「封筒の回収記録は」

「毎日ではなく、相談が多い週は」

「多い週は、何人が見ます」

 今度は生徒会長が答えた。

「内容によっては、共有して」

「誰と」

「先生と」

「何人で」

 生徒会長は口を閉じた。

 もう数字を言いたくない顔だった。

 ひかりが、僕を見る。

 行け、と言っている顔だった。


 僕はノートを開いた。

 朝から震えていた指が、紙の上に乗ると少しだけ静かになる。

「相談箱って、名前だけで安全そうに見えるんです」

 誰に向けたともつかないまま、僕は言った。

「でも箱にした時点で、まず最初に必要なのは、善意じゃなくて境界線だ」

 教頭が眉をひそめる。

「真壁くん」

「善意で覗ける余地があるなら、いつか必ず誰かが覗きます」

 自分の声なのに、少し硬い。

「“これは助けるためだから”って言いながら」

 机の向こうの男子が、肩を揺らした。

 僕はそちらを見ないまま続けた。

「問題はこの人だけじゃない。箱を作った側も、“いいことをしている仕組み”だと思い込みすぎた」

「言い方があるだろう」

 担当教師が言う。

「ありますよ」

 ひかりが先に答えた。

「でも、今きれいな言い方で守るべきなの、箱ですか、人ですか」

 教師は黙った。


「再開はしないほうがいい」

 僕はノートを見ながら言った。

「少なくとも同じ形では」

 教頭が椅子に背を預ける。

「代案は」

「一つにまとめない」

 ページの端を押さえる。

「担任、養護、外部窓口。入口を分ける。生徒会は受け皿にならない。相談内容の一次仕分けもしない。箱は置いても、その場で誰かが“読める”構造をなくす」

「生徒主体の取り組みが弱まる」

 生徒会長が言った。

「弱めたほうがいいところです」

 僕は顔を上げた。

「困ってる人の言葉を、誰かの善意がつまみ食いできる状態のまま主体性を残す意味はない」

 言い切ったあと、手が小さく震えた。

 すぐ横で、ひかりが何も言わずに頷く。

 それだけで、次の一文が出た。

「壊れたものを、気持ちはよかったからって残すのが、一番まずい」


 そのとき、遅れて会議室の扉が開いた。

 榊原だった。

 まだ少し痩せた顔で、それでも自分の足でまっすぐ入ってくる。

 ひかりが小さく目を見開いたが、何も言わなかった。

 榊原は空いていた椅子に座る前に、管理当番の男子を見た。

「僕も、前は似たこと考えてました」

 部屋の視線が一気に集まる。

「自分が少し無理すれば、相手は楽になるって」

 榊原の声は大きくない。けれど、途中で誰も口を挟めない声だった。

「でも、そういう人間が近くにいると、周りも勝手に寄りかかります」

 そこで、ほんの少しだけ息を継ぐ。

「助けるつもりの顔をしてるから、止めるのが遅れる」

 僕は椅子の上で指を止めた。

 榊原は僕を見ないまま続けた。

「だから、助ける側の気持ちよさまで含めて疑わないと、たぶんまた同じことになります」

 会議室の空気が、そこでようやく動いた。

 教頭が短く息を吐く。

「……分かりました。まず運用停止。再開の形は、改めて組み直します」


 会議が終わったあと、廊下へ出ると、朝の一年女子が壁に寄りかかって待っていた。

 僕らの顔を見ると、すぐには近づいてこない。

「どうなりました」

「箱は止まる」

 ひかりが答える。

「同じ形では戻さない」

 女子は、そこで初めてちゃんと息を吐いた。

「……よかった」

 その“よかった”は、喜びより先に疲れが混じっていた。

 僕はそれを聞いて、少しだけ目を伏せた。

 誰かを安心させる言葉は、たぶんもっと早く言えていなきゃいけなかった。


 榊原は校門までの途中で、僕を呼び止めた。

「真壁先輩」

 振り向くと、まだ顔色は薄い。それでも前より足元が定まっている。

「今日の、聞いてて思ったんですけど」

「うん」

「先輩、前みたいに“全部拾う”つもりでは、もう喋ってなかったですよね」

 すぐには答えられなかった。

 榊原は少しだけ笑う。

「それなら、たぶん大丈夫です」

「何が」

「少なくとも、前より」

 それだけ言って、彼は先に歩いていった。

 背中を見送りながら、僕は息をつく。

 救われた、とはまだ思えない。

 でも、前みたいに、誰かの言葉をそのまま免罪符にしたいとも思わなかった。


 校門を出て、ひかりと並ぶ。

 春の終わりの風が、坂の途中で少しだけ強く吹いた。

「仕切り直しだね」

 ひかりが言う。

「何を」

「全部」

「でかいな」

「でも、ゼロからではない」

 信号待ちで止まる。

 向こう側の歩道を、見覚えのある制服が何人か通っていく。

「前みたいに、お前が暴いて、僕が拾う、だけじゃなくなった」

 僕が言うと、ひかりは横目で笑った。

「やっと言った」

「言いたくなかった」

「知ってる」

 風が髪をさらって、ひかりは片手でそれを押さえた。

「でも、たぶん本質は変わらないよ」

「そこが嫌なんだよ」

「嘘つけ」

「少しは本気」

「少ししか本気じゃないなら、だいたい同じ」

 信号が青に変わる。

 僕らはまた並んで歩き出す。

 依存だと知った。共犯だと認めた。仕切り直したつもりにもなった。

 それでも結局、同じ歩幅で帰っている。

 あんまり健全じゃない。

 でも、前よりは、たぶん正直だ。


 家に帰って、机に向かう。

 パソコンを開き、昨日のファイルを呼び出す。

 タイトルの下に、一行だけ足した。

『主人公が誰かを救おうとするとき、隣で結末の形を気にしてしまう共犯者がいる。』

 少し長い。

 でもまだ削りたくなかった。

 保存して、画面を閉じかけたところで、スマホが震える。

 ひかりからだ。

『旧校舎の空き教室で、存在しない生徒の答案が見つかったって』

 その直後、もう一通来る。

『ラノベの主人公ならそうする』

 僕はしばらく画面を見て、それから小さく笑った。

 ノートを開く。

 次の白紙の上に、見出しを書く。

『次の会話が続く終わり方』

 ペン先が止まらないうちに、一行目を書き始めた。

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