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 セラティオーラへ向かっているはずなのに、どうしてもたどり着けない。道順は何度も確認した。それでも、森を抜けるたびに同じ場所へ出てしまう。


 さっき通ったはずの倒木がまた目の前にある。枝の裂け目も苔の模様もまったく同じ。進んでいるはずなのに、景色が繰り返されている。


「どうして……」


 木々の間隔が妙に均一で、どこを見ても同じ景色が続いている。鳥の声が遠くから聞こえたかと思えばすぐ耳元で響く。音も距離も時間さえも、どこかでねじれている気がした。 まるで、森そのものがわたしを拒み、迷宮の中を彷徨わせているようだった。


 足元の草を踏みしめ立ち止まったそのとき、背後でガサリと茂みが揺れた。


「あなたは……!」


 そこには、王都からわたしを運んでくれた馬が立っていた。馬はわたしを見つめぶるると鼻を鳴らすと、くるりと背を向けて歩き出した。


「待って……どこへ行くの?」


 馬のあとを追うと、木々の間から湖が姿を現した。水面は鏡のように静かで、風も音もない。


「こんなところに湖と……石碑?」


 湖のほとりには苔むした石碑がひっそりと立っていた。わたしはその前に膝をつき、ペンダントを握りしめ祈りを捧げた。


「……どうか、わたしを導いてください。セラティオーラへ行かねばなりません。彼らに伝えなければならないことがあるのです。彼らを守るために、どうか、あの村へたどり着くための光をお示しください」


 祈りの言葉が終わると、頬を撫でる風が変わったのを感じた。目を開ければ、そこは湖ではなく小さな丘の上だった。眼下には小さな家々が並ぶ村が広がっていた。


「セラティオーラへようこそおいでなすった、お嬢さん」


 振り返ると、灰色の髪を編んだ老齢の男性が立っていた。


「わしはこの村の長じゃ。森が、導いてくれたようじゃな」


 彼の声には咎めるでも探るでもない、不思議な温もりがあった。わたしがここへ来ることをずっと前から知っていたかのように。その眼差しは深く、問いかけることなくすべてを見通しているように感じられた。


「あ、あの……! わたくしはアンジェリカと申します。どうか、わたくしの話を聞いてください!」


 彼は優しげに微笑むと、わたしを家へと招いた。そこで、わたしは過去の出来事を語った。










 わたしの話を聞き終えた長は、しばらく黙っていた。蝋燭の火が揺れ、壁に映る影がゆっくりと形を変える。静寂の中、時だけが流れていく。


 信じられない話だとわかっている。けれど、引くわけにはいかない。


「危険が迫っています。どうか、逃げてください!」


 わたしの声は震えていた。祈りにも似た懇願だった。けれど、長は静かに首を振った。


「わしらはこの村を捨てることはできん。わしらは咎を背負い、ここで生きると決めた者たちじゃ」


 その声には、諦めでも恐れでもない、深い覚悟が滲んでいた。


 長は部屋の隅に控えていた男性に目配せをした。男性は無言で頷くと静かに部屋を出ていった。やがて扉が開き、男性は五十代ほどの女性を連れて戻ってきた。灰色の髪をきちんと結い麻の衣をまとったその女性は、静かな足取りで長の隣に腰を下ろした。


 彼女はわたしに一礼し、長の言葉を待った。


「この村のこと……セラティオーラについて話さねばならんようじゃの」


 長はそう言うと、わたしの胸元のペンダントを見つめながら、ゆっくりと口を開いた。



 そして、語られた村の秘密——



 セラティオーラは、聖女が生まれる地。清らかな心を持つ者が生まれる、祝福された地。


 だがその反動として、数十年に一度、残忍な心を持つ魔女が生まれる。


 聖女の瞳は、すべて紫紺。対して魔女の瞳は、必ず赤。


 一族には、赤い瞳を持つ赤子を生かしてはならないという厳しい掟があった。


 そうして均衡を保ってきた。


 しかし、十七年前——


「わたしの娘が産んだ赤子は、赤い瞳を持っていました……娘は子を守るため、掟を破り、赤子を連れて村から逃げたのです。わたしはそれを追いませんでした……」


 彼女の言葉に、わたしは小さく息をのんだ。



 その赤子が——ヘレンなのだ。



「ヘレンは聖女ではなく魔女じゃ。魔女に治癒魔法は使えん。あれは……魅了の魔法じゃろう」


 長は言いながら、そっと横の女性に目をやった。彼女は俯いたまま静かに涙を流し、過去の罪を悔いているようだった。


「それならっ……!」


 わたしはもう一度、避難を訴えようとした。けれど、言葉が喉に詰まり、その先は声にならなかった。


「どのようになろうとも、わしらは運命を受け入れるだけじゃ。じゃが……」


 長はおもむろに立ち上がり、奥の棚へと歩いていった。そこから古びた木箱を取り出すと、わたしにそっと差し出した。


「実はなお嬢さん。わしらにそれを知らせてくれたのは……お前さんで二人目なんじゃ」

「え……?」


 強い緊張が全身を締め付けた。



 わたしの他に、未来を知る者がいる……?



 長は蝋燭の火に照らされたわたしの顔をじっと見つめたあと、静かに言った。



「お嬢さん……どうか祈ってくだされ。あなたの祈りが道を開くかもしれん」



 その言葉に導かれるように、気づけば、わたしは湖のほとりの石碑の前に立っていた。



 理由もなく言葉もなく、ただ声がこぼれた。 旋律は胸の奥から湧き上がったものだった。





 ***





 その報せを受け、俺は城門番の職務を放り出し、妻の故郷であるセラティオーラへ急いだ。


 セラティオーラは、地図上では周辺国の中央に位置しているが、その周囲は深い森に囲まれ、よそ者は決してたどり着けない地と言われている。


 俺は焦燥と祈りだけを頼りに、枝をかき分け、絡みつく蔦に足を取られながら進んだ。やがて視界が開け、空を飲み込んだような湖が姿を現した。


 湖のほとりには苔むした石碑がひっそりと立ち、その足元では、出産のため里帰りしていた妻が、焼け焦げた衣姿で横たわっていた。


 急いで妻に駆け寄り、その体を抱き起こした。彼女の瞳はうっすらと開いていたが、焦点は合っていなかった。息は浅く、今にも消えそうだった。


 妻は震える指で、胸元から小さな銀の器を取り出した。器には古代文字が刻まれており、中心には淡く光る紫紺の石が嵌め込まれていた。



「時の器……郷に地に伝わる……秘宝……時を、戻して……」



 彼女はそれを俺の手に握らせると、微かに微笑んだ。


 名を呼ぶ声は彼女に届かず、彼女はその言葉を最後に、静かに息を引き取った。



 その瞬間、器が淡く光を放ち始めた。大地が震え湖面が揺れ、石碑の文字が青白く浮かび上がる。


 時を戻す魔法が、光の咆哮とともに発動した。空間の縫い目が裂かれ、周囲は別の世界に包まれていた。


 全てのものが音を発するのをやめたような無音の世界。


 呆然とする俺の耳に、声のようなものが響いた。



 ——そなたは聖なる力を持たぬ者。それでも、時を戻すことを望むか。代償を払う覚悟はあるか。



 俺は、肯と答えた。


 光にのまれた刹那、俺は少年になっていた。片目の視界は闇に沈んでいたが、あの記憶だけは何ひとつ失われていなかった。





 俺は誓いを胸に刻んだ。今度は必ず彼女を守る。この手で、必ず魔女を討つ。


 俺は鍛えた。小さな体に過去の痛みと悔いを叩き込んだ。剣を握るたび、かつての喪失を執念に変えて振り下ろした。


 誰よりも早く起き、誰よりも遅く眠った。剣術、騎乗、戦術、礼儀、すべてを生き直すための糧にした。


 王国軍に志願し、戦場へと赴いた。戦場では年齢よりも剣が語った。視界の半分が闇でも敵の動きを読み、誰よりも冷静で誰よりも速く動いた。


 仲間は俺を讃え、敵は俺を恐れた。





 そして、彼女に出会った。



 妻となる人。



 彼女は俺を覚えていなかった。過去の出来事も、何も覚えていなかった。ただ、俺の記憶と重なるその微笑みが、どうしようもなく愛おしかった。



 俺たちは結婚した。そして、俺は彼女に過去を語った。



 順調に実績を重ね副将軍になった俺は、妻の故郷であるセラティオーラを訪れた。





 隣国との関係がきな臭くなり始めた頃、妻が身籠った。その知らせは、俺の胸を満たした。あのとき生まれなかった我が子を、今度こそこの腕に。



 しかし同時にそれは警鐘でもあった。あの魔女がじきに現れる。



 出征が決まり、俺は王太子の執務室へ向かった。







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