第六章:冷たい自信
真秀が現場に到着した時、すでに規制線が張られていた。
路地に入ると、沖田が待っていた。
「嬢ちゃん、覚悟しとけ。今回は特に酷い」
真秀は頷き、シートに近づいた。
そして――息を呑んだ。
これまでの二件よりも、さらに損壊が激しい。まるで、怒りを込めて殺されたかのように。
「被害者の身元は?」
「財布から身分証が見つかった」沖田が資料を見せた。「榊原真、二十六歳。榊原テクノロジーズの重役だそうだ」
真秀は拳を握った。
榊原真。ビーストのメンバー。
間に合わなかった。
「係長」
花山が走ってきた。
「残りのメンバー、衛藤ミキと華村凛、榎本大輝の三名。全員に連絡を試みています」
真秀は立ち上がった。
「手分けして警告に向かう。花山は華村凛を、夢見は榎本大輝を。私は衛藤ミキに接触する」
「了解です」
三人はそれぞれ動き出した。
移動中の車の中で、真秀は携帯を確認していた。
花山からの報告メールが届いている。
『華村凛に接触。警告は伝えましたが、反応は薄いです。「私には警備がついているから大丈夫」とのこと。外出を控えるよう伝えましたが、聞き入れる様子はありませんでした』
続いて、夢見からのメール。
『榎本大輝に会いました。完全に舐めてます。「そんな安い脅しに怯える俺じゃない」だそうです。一応警告はしましたが、効果なしです。係長、こいつら全員クソですね』
真秀は溜息をついた。
特権階級の子息たち。自分たちが傷つくなどと、微塵も考えていない。
親の力、金の力。それがあれば、何も怖くない。
そう信じて生きてきた人間たち。
だが――
真秀は榊原真の遺体を思い出した。
あの惨状。心臓と脳を奪われた死体。
犯人は、確実に彼らを狙っている。
理由は分からない。だが、このままでは――
車が、高級マンションの前に停まった。
港区の一等地。タワーマンションの最上階に、衛藤ミキは住んでいる。
真秀はエントランスで身分を示し、エレベーターに乗った。
最上階。
ドアチャイムを押す。
数秒後、ドアが開いた。
「はい?」
そこに立っていたのは、二十代半ばの女性だった。
長い黒髪を後ろで一つに束ね、シンプルな白いブラウスと黒いパンツ。化粧は控えめだが、整った顔立ちは隠しようがない。美人だった。
だが、その目は冷たかった。
感情が欠落しているかのような、冷酷な視線。
「衛藤ミキさんですね。警視庁の真田と申します」
真秀がバッジを見せた。
「ああ、電話で聞きました」ミキは表情を変えずに答えた。「どうぞ」
部屋に通される。
広いリビング。高級な家具が並び、窓からは東京の夜景が一望できる。
ミキはソファに座り、真秀に向かいのソファを勧めた。
「それで、何の用ですか?」
「あなたの知人、北条隆史さん、森田健太さん、そして榊原真さんが殺害されました」
真秀は真っ直ぐにミキを見た。
「三人とも、あなたと同じ『ビースト』というグループのメンバーです」
ミキの表情は、微動だにしなかった。
「ええ、聞きました。不幸なことですね」
その声には、感情が感じられない。
「不幸、ですか」
真秀は眉をひそめた。
「あなたの友人が、三人も殺されたんですよ」
「友人というほど親しくはありませんでしたから」
ミキは冷静に答えた。
「学生時代の付き合いです。卒業してからは、たまに連絡を取る程度でした」
真秀は、この女性の冷たさに戸惑いを感じた。
「衛藤さん、あなたも狙われる可能性があります」
「可能性、ですか」
ミキが僅かに笑った。
「警察は憶測でものを言うんですね」
「憶測ではありません」真秀は声を強めた。「被害者三人は全員、ビーストのメンバーです。残りはあなたと、華村凛さん、榎本大輝さんだけ。犯人は明らかに、あなたたちを狙っています」
「そうですか」
ミキは興味なさそうに答えた。
「でも、私には父がいます。衛藤慎一郎総務大臣。あなたもご存知でしょう?」
真秀は黙った。
「父の力があれば、どんな犯人でも捕まえられます。それに、私には警備もついています。心配には及びません」
ミキは真秀を見下すような目で言った。
「あなたたち警察が無能だから、犯人を捕まえられないんでしょう?私たちに警告するより、仕事をしっかりしてください」
真秀の拳が、握られた。
この女性は、何も分かっていない。
自分が、どれだけ危険な状況にいるのか。
「衛藤さん、犯人は普通の人間ではありません」
真秀は、慎重に言葉を選んだ。
「何か、得体の知れない生物を使って、被害者を襲っています。心臓と脳を持ち去り――」
その瞬間、ミキの目が僅かに動いた。
「――遺体は激しく損壊されています。まるで、野獣に襲われたかのように」
ミキは黙っていた。
だが、その表情に、僅かな変化があった。
「何か、心当たりはありませんか?あなたたちが、誰かに恨まれるようなことをしたとか」
「ありません」
ミキは即座に答えた。
「私たちは、何も悪いことはしていません」
真秀は、その言葉に違和感を覚えた。
何も悪いことはしていない。
だが、ビーストのメンバーたちの評判は最悪だった。飲酒運転、暴力、薬物。
本当に、何も?
「分かりました」真秀は立ち上がった。「ですが、外出は控えてください。そして、何か思い出したことがあれば、すぐに連絡を」
真秀は名刺を置いた。
「それでは」
ミキは答えなかった。
真秀は部屋を出た。
ドアが閉まった後、ミキは一人、ソファに座っていた。
心臓と脳を持ち去る。
野獣に襲われたかのように。
その言葉が、ミキの脳裏に何かを呼び起こした。
数年前――
父が、夕食の席で話していたことがある。
「あの科学者、妻子を交通事故で失ってな。可哀想に」
「誰の話?」
「国家プロジェクトの研究者だ。優秀な男なんだが、ひき逃げで家族を失った」
「ひき逃げ?犯人は?」
「もう処理済みだ。秘書が自首して、自殺した」
父は、そう言って話を終えた。
だがミキは知っていた。
あれは、北条隆史の事件だった。
北条が飲酒運転で、母子を轢き殺した。
そして、北条の父親である北条議員と、自分の父が揉み消した。
秘書を身代わりにすることを提案したのは――
自分だった。
あの時、北条から電話があった。
「どうしよう、人を轢いちゃった」
ミキは冷静に答えた。
「あなたの父親に、私の父と相談するよう言いなさい。私の父にはちょうどうってつけの秘書がいる。秘書の名義の車だったことにすればいい。秘書に自首させて、お金を渡せば黙るわ。あの秘書、借金を抱えて困ってるはずだから」
北条は、その通りにした。
そして秘書は、自殺した。
すべて、計画通り。
ミキは、何の罪悪感も感じなかった。
それが、自分たちの生き方だった。
だが――
もし、あの科学者が――
もし、真実を知ったとしたら――
ミキの手が、僅かに震えた。
いや、そんなはずはない。
証拠は、すべて消されている。
秘書は死んだ。
誰も、真実を知る者はいない。
ミキは、深く息を吐いた。
大丈夫だ。
父の力があれば、何も怖くない。
そう、自分に言い聞かせた。
だが、心の奥底で――
小さな不安が、芽生え始めていた。




