紙にだって夢と誠実さは載せられる。
ドレイク船長との魔導砲をめぐる激論を乗り越え、プロジェクトはようやく一つの船として、同じ方向へ進み始めた。事業側の最大のヤマ場を越え、俺の心には束の間の安堵が訪れた。しかし、息をつく暇はなかった。次は、金融側の、最も重要で、最も地味な作業が待っていたのだ。
「『南方大陸探検株式会社』、定款および株式募集要項、最終草案……。さあ、ここからが本番だ」
オフィスの大きなテーブルに、分厚い羊皮紙の束を広げ、俺はゲルト、オズワルド、そしてリリアナに向かって宣言した。
「俺たちの仕事は、ただ金を集めることじゃない。投資してくれた人々を守り、この会社が公正に運営されるための『ルール』を、ゼロから作り上げることだ」
事業計画という派手な花火を打ち上げた後は、それを支える法と制度という、頑丈な土台を築かなければならない。
まずは、「株主の権利」の定義だ。これは、会社の根幹をなす。
「株主とは、単なる金主ではない。会社の共同所有者だ。だから、会社の重要事項を決定する『株主総会』での議決権を持つ。原則、一株につき、一票の権利だ」
俺がそう説明すると、ゲルトが鋭く切り込んできた。
「タナカ代表、それはつまり、大株主が会社の全てを決められるということにもなりますな。少数株主の意見が無視される危険性はないのですか?」
「いい指摘だ、ゲルトさん。だから、役員の選任や、会社の解散といった、特に重要な議案については、『特別決議』として、全議決権の三分の二以上の賛成を必要とする、という条項を加えよう。これで、一部の暴走を防ぐ」
次に、株主の「義務」と「責任」だ。
「株主は、会社の負失に対して、自らの出資額以上の責任を負わない。これを『有限責任』と呼ぶ。これが、多くの人々が安心して投資できるための、最大の保証になる」
俺の言葉に、会計係のオズワルドが、そろばんを弾く手を止めて顔を上げた。
「なるほど……。事業が失敗しても、出資した金がパーになるだけで、それ以上の借金を背負わされることはないと。これなら、市民も参加しやすいですな」
払込金の管理も、透明性が命だ。
「投資家から集めた資金は、すべて商人ギルドに預託する特別口座の中で管理される。資金の引き出しは、株主総会で承認された財務責任者――つまり、オズワルドさんの署名と、俺の署名、二つが揃わなければ行えないものとする。これで、誰かが勝手に資金を使い込むことを防ぐ」
譲渡制限、配当の取り扱い、そして会社の解散規定……。
一つ一つの条文を、ああでもない、こうでもないと議論を重ね、作り上げていく。それは、まるで精密な機械を組み立てるような、地道で、根気のいる作業だった。
そんな折、俺たちの耳に、ある噂が飛び込んできた。
「なあ、聞いたか? 隣のロンバート辺境伯領でも、『鉱山株式会社』の株券ってやつが、もうすぐ売り出されるらしいぜ」
その噂を聞いた瞬間、俺の全身に、カッと熱いものが込み上げてきた。
(あの、強欲な若造め……。俺たちの猿真似を、もう始めやがったか!)
レオポルト辺境伯が、シュタイン商会と組んで、俺たちのスキームを模倣して資金集めを始めたのだ。どうせ、彼らが作るものは、発行者にだけ都合のいい、穴だらけの欠陥品だろう。投資家保護の概念など、微塵もないに違いない。
「……上等じゃないか」
俺は、静かに闘志を燃やした。
「ゲルトさん、オズワルドさん。こうなったら、我々の沽券にかけて、あのいんちき株券とはレベルが違う、完璧なものを作り上げるぞ。投資家の権利、情報の透明性、ガバナンス……その全ての項目で、我々が『本物』だと、誰の目にもわかるような、圧倒的な差を見せつけてやる!」
俺の熱意は、二人にも伝播し作業は、深夜まで続いた。
慣れない金融の概念を、俺は二人に適宜、噛み砕いて教えた。「信託」「デューデリジェンス」「コーポレート・ガバナンス」。彼らにとっては呪文のような言葉も、その本質を説明すれば、すぐに理解してくれた。彼らは、俺が思っていた以上に、優秀だった。
リリアナも、事業推進担当として、船乗りたちの意見を代弁し、現実的な視点から、俺たちの作るルールが現場で機能するかどうかを厳しくチェックしてくれた。
「こんなに規則でガチガチに縛ったら、いざという時、船長が臨機応変に動けないんじゃないの?」
「そのための『緊急時における船長への権限委譲』条項だ。ただし、事後報告と、株主総会での承認を義務付ける」
様々な立場からの意見がぶつかり合い、磨かれ、俺たちの作る「ルール」は、より公平で、より強固なものへと昇華していく。
そして、数週間後。
ついに、『南方大陸探検株式会社』の設立趣意書と、株式募集要項の最終版が完成した。
それは、ただ金を集めるための紙切れではなかった。
リスクとリターンを公正に分配し、異なる立場の人々の夢を一つの船に乗せるための、約束の証。
「……できたな」
完成した羊皮紙の束を前に、俺たち四人は、誰ともなく呟いた。そこには、疲労感と共に、大きな達成感が満ちていた。
アクアフォールの、いや、この大陸の歴史上、最も公平で、そして最も夢のある金融スキームが、今、産声を上げたのだ。
俺は、窓の外に広がるアクアフォールの街並みと、その向こうに広がるロンバート辺境伯領の方角を眺めながら、静かに笑みを浮かべた。
さあ、どちらが本物か、世界に見せつけてやろうじゃないか。




