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10 S級迷宮はまだ早い

 昨日から、シエルが怖い。まるで別人になったみたいだった。


 私が追放して、情けなく戻ってくるようにお願いして、それからだ。

 あのような暴力を振るうことは今までなかった。組合の中でだって、見知らぬ他人を昏倒させるような真似なんてしなかった。

 私に言い寄るセナに反応して机を叩き割ったのは……まあ、あれくらいなら何度かあったかもしれないけれど。


 だけど、シエルがそうなった原因は分かっている。


 すべて私が悪いのだ。

 私があまりにも身勝手であるから、怒っているのだ。

 そうとしか考えられなかった。


 私が勝手にシエルに嫉妬した。

 それから、どうしようもなく暴走して彼女を追放した。

 小隊のみんなを巻き込んで何度も失敗した。

 ひどく後悔して、シエルにまた助けを求めた。


 精神が摩耗して疲弊して、限界まで疲れ切ってようやく自分がいかに愚かであったか気が付いた。


 とっくに、いや、昔からずっと私は勇者などではなかった。ただ“勇者”の肩書を背負うだけの恥知らずであったのだ。


 私がやったことは、どれだけ謝罪しようが反省しようが到底許されることではない。

 それでも、シエルは私の味方であると、決して見捨てないと言ってくれた。

 私には、その言葉にむくいる義務がある。それ以外になかった。


 最強の勇者になる、なんて夢はとっくに破れさっているけど、シエルの期待に応えなければいけない。


 その決意だけが、私の原動力であった。




 ロンド地下迷宮へ向かう馬車には、私とシエルと、それから数人の冒険者がいる。

 恐らくは全員がA級からS級の冒険者であり、鎧や武具といった装備は一線級のものばかりだ。当然、私のものだってそれに見劣りしないはずなのに、ひどく気後れした。


 ――一度、私の剣は単眼巨人サイクロプス手折たおられている。


 どうしても、あの光景がまぶたの裏に焼き付いて離れないのだ。


 今回の任務では迷宮の主に出会うことなどないだろう。

 だけど、あの失敗が、敗北が、足元から伸びる影のように決して離れずにじり寄ってくる気がしてならないのだ。


 怖い。恐ろしい。


 なにより、もう一度しくじってシエルに失望され見捨てられることが、敗北による死の根源的な恐怖よりもよほど心臓を掴んで離さなかった。


 車輪が伝える粗悪な路面の起伏をそのまま身体に感じながら、思わず自身を抱く。

 既に日は傾き始めていて夜の冷気がうすらと見えるけれど、この肌寒さは外気に依存したものではない、と、直感で知る。


 もう二度と、失敗などできない。




「――アメリア、大丈夫ですか。寒いですか?」


 シエルは、優しい。そのはずだ。

 今だってこうしてこんな私を心配してくれる。

 隣で膝をたたんで座る彼女がそっとこちらに身を寄せて、触れた箇所から熱が伝播する。


「……ううん、平気だよ」

「そうですか」

 と、それだけ。馬車の中が再び静寂になる。


「…………シエル。私、頑張るから」


 だから、見捨てないで。などとは言えない。


「……そうですか。まあ、()()張り切って臨んでくださいね」

「! …………」


 やはり、私が許されることは無いのだろう、と思った。



     ◆



 ……いまの言い方は、明らかに間違いでした。

 何故、こうも傷付けてしまいたいのか。

 原因は分かっていますが。そういうときのアメリアが非常に可愛らしい表情をするからなのですが。


 セナとの会話を経て、なにやら以前の元気であった頃のアメリアに近づいたような――吹っ切れたような雰囲気を感じます。

 だけど、それを素直に喜べないのは、どうしてか分かりませんでした。


 ……いえ、嘘です。

 本当は、どうしても彼女を手放したくないからなのでしょう。

 ずっと脆弱なままの彼女を、檻に閉じ込めておきたいと願っている。

 その自覚がありながら、己の卑しさを知りながらも欲望に忠実であることは、“僧侶”としてあるまじきことでした。


 それでも――


 馬のいななきと共に馬車が停止し、慣性によって体がつんのめります。

 いつの間にやら、多くの時間が過ぎていたようでした。

 太陽は完全に山肌へと吸い込まれ、夜の闇だけがあります。


 しかし、これから臨む迷宮に、陽光の有無など関係ありませんでした。


 ぞろぞろと、移動の疲れからか緩慢な動作で冒険者たちが荷車から降ります。


 そしてすぐ見えるのが、崖下を長方形にくり抜いた古の遺跡の一つ。

 禍々しいほどの魔力が漏れ出る、夜の闇よりも更に深い暗黒。


 S級・ロンド地下迷宮の入り口でした。


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