38:見送り
ざわついている外と比べて、そんなに人数がいないせいか、3年生の廊下に卒業生たちの声がよく響いている。西岡さんが教室の鍵を開けてくれたのか、教室の中にはまだクラスメイトが数人残っていて、その中に梓達の女子グループもいた。空港での集合時間を知ってか知らずか、梓はグループ内で無邪気に記念撮影しているが、迫り来る時間にドギマギしている俺からしたら実にじれったい。俺は教室に一歩足を踏み入れると同時に梓を呼びつけた。
「梓! ちょっと!」
力いっぱい手招きする俺を見て、数人の女子が互いに顔を見合ってキャッキャ言っている。
「え、呼び出し?」
「幼馴染から卒業式に呼び出しって! え、そういうこと!?」
「梓、第二ボタンもらってきなよ!」
バカ、そんなんじゃないから。そんなんじゃないけど……そんなのもあったりなかったり。キャッキャ言っている女子たちに押し出されるように、梓が目の前に近づいてきた。気まずいのか目が合ったのか合っていないのか曖昧な所で視線が交差しそうになる。そんな風にされると、俺だってまっすぐ梓を見られない。
「え、な、何?」
「梓、空港! 飛行機の時間! 間に合うか??」
「ちょっ! バカ!」
梓の手のひらが急に俺の口をふさぐ。手を洗ったときの石鹸の匂いなのか、手のひらから優しい良い匂いがして力が抜けてしまいそうだ。そのまま教室の外、階段の端っこまで押された。教室の出入り口付近からこっちを覗く数人の女子が見えて、急に恥ずかしくなる。でも、梓にこんな風にしてもらえるなら、一生このままでも良い気がした。
「渡り廊下の方で待ってて。今からカバンとってすぐ行くから。荷物はさっきお母さんたちが空港まで持っていってくれるってメールくれたから、私はこのまま空港まで直行する。潤、自転車乗せてくれる? 幼馴染のよしみで! お願い!」
「お、おう」
そんなことは容易い御用だった。やっぱりそんなに時間的な余裕はなかったんだ。渡り廊下でっていうのはちょっと引っかかるけど、まぁ良い。空港までは坂道が多いけど、そこは男子としての俺の腕の見せ所だ。何より梓に期待されているっていうだけで力がみなぎってくる。俺と梓は二人で踊り場まで降りて、俺はそこからこそっと渡り廊下の方まで歩いた。梓は教室に戻ってカバンをとってすぐに来るらしいから、何もなければすぐにでも出発することになるだろう。若干足腰をストレッチしながら渡り廊下まで行き、目立たないように端っこの方で梓を待った。
東の渡り廊下は閑散としている。すぐ下では筒状の卒業証書の入れ物をポンポン言わせながら帰っている卒業生たちが数人。それに、淡い色のスーツの保護者と思われる大人が数人。在校生たちもそろそろ卒業式の片付けが終わって下校している時期だろう、人気がどんどんなくなっているのが分かる。
渡り廊下を渡った先には美術室や図書室など普段のクラス教室以外の部屋が並んでおり、卒業式なのでもちろん鍵が閉まっているので誰もいない。なるほど、渡り廊下の方からなら他の卒業生に見られる可能性が少ないというわけか。俺といるのが嫌なのか、それとも単に恥ずかしいだけなのかは分からないが、とにかく今から空港に行くのは俺と梓だけの秘密だから、その秘密を秘密にするためだと思えば良いわけだ。
しかし十数分立っても梓は来ない。教室から渡り廊下なんて階段を降りてすぐだから、ゆっくり歩いても2,3分てとこだろう。おかしいなとおもって教室に戻る手もあるが、またあの女子に絡まれたら話が長引きそうだからやめておく。もしかして梓もいつものメンバーだし、話が長引いてなかなか出られないのかもしれない。それか留学の話を説明して長引いていたりして。そうだよな、急に俺がやってきてこそこそ話をして急にカバン持って下校する梓を怪しく思わないわけないもんな。
青空を流れる雲は、どこへ向かって飛んでいるのだろう。飛んでいるというよりただ浮かんで風に運ばれている受動的な様子がなんだかもどかしい。梓は自分の足で自分の未来へ向かって歩こうとしている。俺はあの雲みたいに流されてばっかり。雲を眺めているとそんな気がしてきた。明日から違う空の下で生活するんだよな。俺と梓。
「ごめんごめん、遅くなっちゃったね」
乱れた前髪を直しながら、梓がやってきた。誰もいない東の渡り廊下。もし告白するのなら、ここがベストなスポットだろう。もしもこのあとの予定が何もなければ、俺もここで梓に想いを伝えていただろう。でも今日は仕方ない。梓を空港まで連れて行かないといけない。俺と梓は急いで渡り廊下を渡って図書室の横の階段を降り、踊り場でしっかり踏ん張ってターンし、下駄箱まで急いだ。今まで当たり前のように通っていた場所を最後に懐かしむ余裕もなく、そのまま自転車置き場まで行って籠の中に二人分のカバンを詰め込んだ。
「あと何分?」
「大丈夫、間に合いそうだから、安全運転で!」
「了解!」
まさか昨日に引き続いて梓を後ろに乗せられることができるなんて思ってもみなかった。背中に感じる梓の体温。目の前にある梓のぷっくり膨れたカバン。もう明日には感じることが出来ないんだ。俺たちには今しかない。そう実感し直した。
グラウンドの横を抜け、歩いて帰る卒業生たちに冷やかされながら自転車でかっ飛ばした。そういえばハナケン、俺が教室に帰ったのも気づかずに帰ったのかな。それとも俺が梓と一緒にいるところを見て空気を読んだか。まぁ良い。アイツらのことよりも今は梓だ。どれだけ冷やかされようと明日からはもう会うこともない。と思う。校門の横で並んでいる桜の枝が風に揺られて、俺や梓に手を振っているように見えた。
校門を抜け、昨日と同じように坂道を下っていく。見慣れた通学路。本当は遠回りしてゆっくり帰りたいのだが、もちろんそんな余裕はないからまた今度にしよう。梓にはもうまた今度はないんだから。十字路を曲がり、見晴らしの良い大橋まで出ると、3月の強い風が俺の行く手を阻むように向かってきた。髪がグチャグチャに乱れているがこの際どうでも良い。このまま突っ走るのみだ。
大橋を渡り終え、今度は登る方の坂道に。この坂を登りきると空港だ。大丈夫、きっと間に合う。でも、俺の太ももはもうすでに悲鳴をあげていた。
徐々に落ちていく推進力。たまっていく乳酸。夏でもないのに溢れ出てくる汗。ヤバイ、もうダメだ。
「降りようか?」
「ごめん、歩いていっても間に合うよね?」
「うん、ここまでありがとね。助かった!」
「よかったよかった」
情けないけど俺にできるのはここまでだ。そこから先はゆっくりと、一歩一歩踏みしめるように坂道を二人で登った。
「ねぇ、最後まで来てくれるの? もう十分間に合うし、疲れたでしょ?」
本当は俺はお役御免で帰っても良いのだが、もうここまで来たら最後まで見送ってあげたかった。それに、最後に伝えたいこともあるし。
「当たり前だろ、幼馴染なんだしさ、俺ら」
「そっか、幼馴染だもんね。でも……幼馴染っていうだけなの?」
言葉に詰まった。これは、梓の方から聞き出そうとしているのか、それとも。でもこんな単なる坂の山道で汗だくのやつに告白してほしいって思うのだろうか。普通、こういうのはもっとシチュエーションを大切にするもんなのではないか。俺の考え過ぎなのだろうか。
「幼馴染なんでしょ? 私のことなら、なんでも分かるんじゃないの?」
「幼馴染でもなんでも分かるわけじゃないでしょ」
例えば梓の俺に対する気持ちなんて、全然分かりっこない。もちろん、ただの幼なじみっていうだけなのかもしれないけど、もうすでに俺はその先を期待してしまっている。
「鈍感なのか、なんなのか」
やれやれ、とため息をつく梓の横顔に、決心した。もう俺は流されるだけの雲みたいなのは嫌だ。春風のように、雲を動かすように、俺自身が積極的になにかしないと。その何かは、今だ。
「なぁ、梓」
「ん?」
今だ。




