39:桜色の紙飛行機
高台にある空港がだんだん見えてきた。滑走路の先の赤い橋みたいなのが空の方に伸びている。空港の存在は知っていたけど、改めて見ると電車の駅やなんかとは雰囲気がぜんぜん違う。今にも離陸しそうな飛行機が滑走路を飛び出したのが見えて、ヒヤヒヤした。梓はこんなのに乗って、本当に向こうにつけるのだろうか。全く想像もつかない世界だ。
そんな俺だが、自分からはまだ、何も言い出せないでいる。今だ。と自分ではわかっていても、体が反応しないのだ。しかし待ってましたと言わんばかりに、梓は屋上で見たときのように、こっちを向いて首を傾げている。ポニーテールが歩く度に揺れて、その度に胸が苦しくなっていく。想いを伝えるということは決めている。問題はその先だ。引き止めるべきか、それとも潔く送り出すべきか。
本音を言えば、引き止めたい。このままずっと、今までみたいに幼馴染として一番近くにいたい。いや、今度は幼馴染としてではなく、もっともっと親密な関係として、だが。でも梓の未来のためにはここでしっかり送り出さないといけないこともわかっている。勢いだけでなんとかなった高校時代は今日で最後。ここからは、大人になって冷静に判断しないといけないんだって先生にも何度も言われたはずだ。でも、でも。
空港の入り口まで続く桜並木の中をゆっくりと進んでいく。もうすぐ目の前に柵で覆われた滑走路が近づいている。早くしないと梓は行ってしまう。引き止めるべきか、送り出すべきか。そして、どうやって俺の想いを伝えるべきか。頭の中が複雑に絡み合う。
「知ってた? 桜って開花したばっかりのときは真っ白で、散り際には桃色に色づくんだって」
雰囲気を察してか、梓が桜の木の方を見ながら口を開いた。
「へ、へぇ、そうなんだ……」
「うん、昔なにかの本で読んだことがあってさ。まるで私達みたいだよね。何も知らない中学卒業したての私達が、今こうやって寒空の下で鼻の頭とか頬とかもう真っ赤にしちゃって」
そんなことを言っている梓は鼻の頭も頬もちっとも赤く染まっていない。ということは、俺か? 俺の鼻の頭や頬が赤くなってしまっているのか? 緊張したら赤くなるタイプだったのか、初めて意識したかもしれない。どうしよう、緊張したのがバレたか。
「元気でな」
「あ、うん」
「メールとか、できたらしような」
「うん」
「そのセーラー服、向こうでウケると良いな。日本のアニメとか、人気らしいし」
「うん……」
格好をつけようとすればするほどうまくいかない。さっきハナケンに対して感じたいじらしさの正体が、今度は俺にまとわりついている。自分の番になるとなぜか上手くできない。頭の中で複数の俺が討論している。ただ伝えれば良いんだよ、自分の気持ちを。でも、嫌がるかも。関係ないさ、明日からどうせ別々だ、忘れるよ。でも、帰ってきたときに覚えていたら恥ずかしいし……。埒が明かない。こうなったらもう、奥の手しかない。
「なぁ、梓」
「うん?」
「もしもの話ね。10秒以内に答えて」
「いいよ」
よし、もうこれしかない。今しかない。これしかないんだ。
「もしも、俺が梓のことが好きだったら、どうする?」
「え?」
遂に言ってしまった。もしもの話で、ごまかしながらだけど。まともに梓の目が見られず、俺は桜の方に目線を移した。ちらっと梓の方を見てみると、梓は飛行機の方を見ている。そして10秒のカウント開始。
10,9,8,7……。
「えっと……」
6,5,4,3……。
「もしも、梓が俺のこと好きだったら、行かないで欲しい! 俺と一緒にいて欲しい!」
2,1。
「ごめん。もう、行かなきゃ」
10秒以内に答えないといけないもしもの話。もしかしたら余計だったかな。俺にとって世界で一番長い10秒間は、梓にとっては世界で一番短い10秒間だったのかもしれない。
もっとゆっくり時間を与えたほうが良かったかもしれないと思い始めた。だんだん後悔が湧いて出てくる。でも、一応できた。梓に自分の思いを伝えることができたんだ。何もできない、何もできなかった自分から、卒業できたんだ。
いつものポニーテール、いつもの制服、いつもの梓なのに、どこか大人っぽくなっているような気がする。そんな梓とは反対に、子供のままの俺。いや、さっき一歩踏み出せたんだからもう子供じゃない。そう思っていたい。さっき曖昧にされた告白は、甘酸っぱい思い出になってくれれば良いが、しばらくは苦い薬と化すだろう。良薬口に苦しというが、果たして俺のこの気持は、いつかは治ってくれるのだろうか。いや、それを自分で治してこそ大人なのかもしれない。だったらこのまま子供でも良いや、と一瞬だけ思ったが、その気持ちは封印することにした。梓から卒業しなきゃ。
「あ、そうだ、これ」
鞄の中をゴソゴソする梓。何か惜別のプレゼントでも用意してくれているのだろうか。
差しだされたのは、紙飛行機だった。
卒業式のときに飛ばしたはずのあの桜色の紙飛行機が、俺の目の前にある。
「さっきのはただの飛ばしたフリ。これは、潤に贈りたい言葉だから。あ、恥ずかしいから、私が行ったあとで開けてね。絶対ね」
「あ、うん。分かった」
「それじゃ」
「じゃっ」
また急ぎ足で空港の中へ吸い込まれていった。一度も振り返ってくれなかった。でも振り返られても困る。もう一度梓の顔を見てしまったら、どうしても追いかけて行ってしまいそうだったから。
意外とあっさり行ってしまう梓。もっとドラマみたいに変な間があって、それがドキドキして、っていうのを想像していたので拍子抜けしてしまう。しかしそれはもしかしたら、梓がくれた優しさなのかもしれない。名残惜しい雰囲気だと、先には進めないというのもあるだろうし、俺が梓のことで簡単に傷つくのをもしかしたら知っていたのかもしれない。傷が深くならないうちにっていうことだろうか。
それに梓だって他の友達を差し置いてただ一人俺にここまで来るように仕向けたんだ。きっとそこには何かのメッセージがあるはずだ。そのメッセージは、今こうして手元に形として残っているのだろう。
梓の姿が見えなくなった事を確認して、そっと、その紙飛行機を開いた。
そこには、たった一言、女の子らしい丸っこい可愛い文字でメッセージが書かれてあった。
『実はちょっとだけ好きだったよ。それだけ。スピカ。』
なんてこと書いてくれたんだ、梓。
さっき振られたばっかりなのに。文字列を何度も見返して、一文字ごとに梓の筆跡を想像する。どんな気持ちでこれを書いてくれたのだろう。ちょっとだけだけど、好きって言うのはそう簡単に書けるものではないだろう。
女心は難しい。理解不能だ。友達だって、幼馴染だって、言ったじゃないか。
いや、だからこそ振られたのか。
ちょっとだけ好きっていうのは、そういう意味での好きっていうことだったのかもしれない。
ていうかスピカってなんだ。
普通そこは自分の名前を書くだろう。
帰ったら早速調べてみよう。
梓が行ってしまう寂しさと、告白してしまった後悔と、でもスッキリとしている感覚と、梓が残したメッセージで、頭は混乱しっぱなし。
頭を抱えるのも通り越して、ただ空を見上げた。
飛行機が、どこまでも青い空に向かって進んでいる。それは曲がることもなければ急上昇や急下降をすることもない。ただまっすぐ、空の果てに向かっているだけだ。そしてもう、戻ることもない。まるで時間そのものを表しているように見えた。ただ、俺と梓がいた時間はそんなに真っ直ぐではなくて。紆余曲折しながらこの18年を過ごしてきたような気がする。特にこの高校生活3年間は、右に行ったり左に行ったり、昨日急上昇したかと思えば今日急下降したり。梓を載せて蛇行運転した昨日も、もう過去のものになってしまったのだなと実感し始めた。
さて。
桜色の紙飛行機をかごに柔らかく載せ、ペダルに足をかける。梓がいない荷台のぶんだけ、ペダルは軽く感じた。今度は俺が空港に背中を向けて、それ以来振り返ることはなかった。




