31:スペシャルゲスト
騒然とする体育館。何が起こるのか分かっていない生徒や保護者の顔がバラバラに上下左右する。急に明るくなったと思ったら、ステージに向かって2本の照明が焚かれていた。その光に照らされた先にいたのは、先生ではなく一人のスラッとした男性だった。その姿をその場にいる全員が確認した瞬間、体育館内が女子の黄色い声でうめつくされた。
「え、あれって最近話題のKAIじゃない?」
「まじで!? あのKAI?」
「え、嘘! あたし超ファンなんだよね! KAIさん!」
「この前のオリコンで初登場で十位だっけ? ヤバくない?」
「いやそんなの今どうでもいいから! とりまヤバい!」
「え、まってヤバスギ!」
さっきまでの厳粛な雰囲気が嘘みたいに、体育館内の空気が一変した。まだ何も始まっていないというのにもうこの盛り上がり方。ヤバい。最近の若いのはなんでもかんでも『ヤバい』を使いたがる。そんなに言う必要がないのは分かっていたが、気付いたら俺も心の中で『ヤバい』を連呼していた。
校長からのサプライズとして用意されたのは、スペシャルゲスト。まさか、テレビとかでよくやってる『母校での卒業ライブ』ってやつだろうか。
まさか、この高校出身の有名人がいたなんて思ってもみなかった。居ても立ってもいられなくなった女子達によるスタンディングオベーション。事情をよく知らない俺のようなやつの戸惑い。
そんな中、ステージ上のその男性、もといKAIさんはマイクを握り、深々と頭を下げた。
「みなさんこんにちは! KAIです!」
「こぉんにぃちはぁ!」
マイクを卒業生の方に向けるKAIさん。それに応える生徒たち。校歌を歌った時の数倍は声が出ていて、しかも何の練習もしていないのにバッチリ揃っている。きっと体育教師達は校歌もそのくらい歌えよと思っているに違いない。
「おぉ元気いっぱいですねぇ。いやぁ制服が本当に懐かしい! いいなぁ制服。まぁ僕はもう全然似合わないくらいおっさんになっちゃったんですけどね」
軽快なトークにバラエティ番組で使われるようなちょうどよく心地よい程度の合いの手のような生徒たちの反応。最初からガッチリ観客の心をつかむKAIさん。そしてだんだん事態が飲み込めてきた俺。眼の前にありえない光景が広がっているということを、ようやく頭の中で認識でき始めた。
「三年生のみなさん、卒業おめでとうございますっ。えっと……もう知ってる人が大半かな。KAIと申します。僕のこと昔から知ってるって人!」
「はぁい!」
またも1つになる会場。だいたい体育館全体の五分の三くらいは手を挙げただろうか。もちろん俺も手を挙げた。手を挙げた人の中に、教師では一人だけ、それはそれは熱烈なファンだろうと思われる人がいた。女性の英語教師の鮫島先生だ。その鮫島と言う苗字が厳いかつくて、気に入っていないらしく、「早く結婚したい」がいつもの先生の口癖だ。へぇ、鮫島先生もラジオ聴いてたんだ。
「えっと、実は、僕はこの高校のOBでして。えぇ。ちなみにそこで手を挙げている鮫島京子先生は、同じクラスの同級生でした。……まぁ、付き合っては無いですけど」
最後の一言のせいか、今度は鮫島先生に向かって声援がとんだ。それは、黄色いと言うより、少しピンクがかった声援だった。鮫島先生は顔を真っ赤にしながら、「そんな余計な事、言わなくていいの」と口パクで必死にアピールしている。
「その頃の思い出はたくさんあって、それも忘れられない大切な思い出ばかりでした。卒業生の皆さんはこれから色々なことを経験して、それぞれの進路へ突き進んでいくと思うのですが、この紅葉高校で過ごした3年間というものを時々思い出して、あの頃ああだったなとか、そういう初心を、たまには思い出して、本当にこれからの人生、生きていってほしいと、思います」
用意されていた祝福の言葉をいうだけで黄色い声援をもらえるKAIさん。うらやましい。こんなスターにどうやったらなれるのだろう。モテたことがない俺にとって、ステージ上で光り輝くKAIさんはまさに雲の上の人。ため息が出る。
「僕の高校時代は音楽漬けの生活で、でも覚えてるのって音楽のことよりも普段のクラスの中でのおふざけとか、好きだった子の事とか、何気ないことばかりなんですよね。だから、本当に高校時代に学べたものって、特別な何かを持っていないからその数年間が空っぽだったって言うことじゃなくって、特別じゃない普段の生活こそが宝物だったんだってことなんですよね。僕にはたまたま音楽があったけど、別にそれがなくたって高校時代は絶対何かしらの思い出ができていて、そういうのが本当にその後すっごい励みになったりとかして、なんか不思議だなぁって思うんですよね……」
たしかにそうなのかもしれないと思った。俺にはこの3年間なんにもなかった。部活に入っているわけでもなく、何かに夢中になって努力したようなこともない。でもだからといって本当に何も思い出がないかと言えば、そんなことはなかった。
ふとした瞬間に思い出すのはいつもクラスメイトや先生のこと。その中のほとんどは無駄な知識だったりするのかもしれないけど、それはいつかのためのストックで、未来のために貯蓄してあるものなのかもしれない。
「三年生の皆さんはこの卒業式の後、屋上から紙飛行機を飛ばすと思うんですが、実はあれ、一番最初に紙飛行機を飛ばした男が僕なんです」
今度はキャーではなく、えー? という反応が辺りを包む。紅葉高校伝統行事だと思っていた紙飛行機飛ばしが、まさかKAIさん発祥だったなんて。意外と歴史は浅かった。それを知っていたのか、鮫島先生は至って冷静な表情。
「びっくりしました? 卒業前に何か残したいなって思って、クラスメイト数人と紙飛行機を飛ばしたんですよ。それで、たまたま隣の高校の卒業式を中継していたテレビ局の人が僕の紙飛行機を見つけて、ちょっとしたニュースになりまして。で、紙飛行機はただの紙飛行機じゃなくて、その頃クラスで流行ってた授業中のこんなちっちゃな伝言メモを応用して、未来の自分とか、友達とかに向けてメッセージを書こうってなって、紙飛行機の中にそれぞれで書いて、飛ばしたんです。あ、先生方すみません、時効ってことで許してください」
今度は多少の笑いに包まれる。卒業式はもう、KAIさんの独壇場だ。
「で、中に何を書いたのかと言うと、歌詞を書きました。『ノスタルジック・メモリー』っていう曲なんですけど、みんな知ってるかな? きっとこの中にも聞いたことがある方がおられると願っておりますが。えっと、この曲は僕が三年の時の文化祭で初披露して以来、ずっと歌い続けてます。思い入れのある曲です。卒業の日もクラスの中で机の上に上がってステージみたいにして、ちょっとしたコンサートみたいに勝手に遊んだりして。で、せっかく来させていただいたんで、一曲、それを歌わせていただこうと思います」
ノスタルジック・メモリー。梓と一緒にラジオで聴いた曲。梓が買いたかったCDの曲。その曲を生で、目の前で聴くことができるなんて。梓もきっと喜んでいるだろう。そう思って梓の方を見ると、まっすぐにKAIさんを見ながら泣いていた。真顔というより、何か決意に満ちたような、でもどこか不安がにじみ出ているようにも見える、複雑な表情。留学することへの期待と不安を噛み締めながら、思い出に浸る最後の時間。そういう想いで頭がいっぱいなのだろうか。
憧れの人に会えた喜びと、卒業してしまうことへの実感と、友達との別れと、留学への決意と不安。その中に少しでも俺が入る隙間があれば良いなと思った。でも、どうしたって入れないんだろうなっていう残念な感じもする。梓をノスタルジックメモリー・にするべきか、それとも。




