32:ノスタルジックメモリー
「準備も整っているので、じゃあ、歌わせていただきます。よかったら歌詞に注意して聴いてください。あの頃を思い出しながら歌います。『ノスタルジック・メモリー』」
毎日通ったこの道 あなたとの最後の帰り道
無理矢理作った笑顔で だんだん切なくなってきた。
かぶってた学生帽とって あなたが私の頭に乗せて
深くかぶったぶかぶかな帽子で 真っ赤の瞼を隠した。
〜
昨夜、梓と一緒に聴いたのを思い出す。もう一度、なんとなく梓の方を見てみると、なんと梓も俺の方を向いていた。
ずっと瞬きもせずに、俺をまっすぐ見ている。と言うより、目に焼き付けているといった方が上手く当てはまるかもしれない。澄んだ黒い瞳が何かを訴えようとしているように思えた。
見つめ合っているという事実に気付き、心臓の鼓動が徐々に早くなっていくのを実感する。だんだん恥ずかしくなって目を背けようとしたが、二人とも背けるタイミングを逃してしまっているようで、ずっとお互いに見つめっぱなしだった。
その間、時間はモノクロで止まっていたようだ。俺と梓だけが感じている二人だけの空間。ぽっかりと空いたその空間で、俺も梓も、瞬きなどしてはいられなかった。
ゾーンに入ったようで、周りがだんだん見えなくなってくる。
KAIさんの歌声も、歓声も、何も聞こえなくなり、一眼レフで撮ったようにキレイに梓の背景がぼやけていく。
だめだ、吸い込まれる。梓を思い出にしたくない。
実体の、実物の梓が、ほしい。強烈に欲しい。
“思い出したのは、やっぱり、あなたの、横顔だった”
メインのサビの後の、エンディング部分が終わり、曲が終わった。しかし、しばらくはシーンとしていた。体育館全体が曲の余韻に浸っていた。
それから少しすると、どこからともなく拍手の波が起きた。それまでのどんな場面よりも大きな拍手の渦。心に直接訴えかけられると拍手をすることも忘れてしまい、その後の拍手は会場が一体となった証なのだろう。
時間はやっと動き出したようで、俺も梓もほぼ同時に目線を移した。
あの瞬間、あの空間は一体なんだったのだろうか。
さっきから早くなっている心臓の鼓動。
別に緊張しているわけじゃない。
なのに、なんでこんなに皮膚がピリピリするような感覚に見舞われているのだろう。
卒業式で席が指定されているから動けないけど、もし自由に動けるような場だったら、絶対に梓のところへ、少しでも近づいていただろう。徐々に近づいて、違和感がないように、さりげなく近づいていったことだろう。でも、そんな事もちろんできなかった。
目線を移した先には、何人か数えるのが大変なくらいの数の女子が泣いていた。涙が徐々に伝染していって、体育館全体がもらい泣きしている。卒業式にピッタリの感動的な歌。梓がCDを買いたくなるのも分かる。俺も多分、この卒業式を思い出して買うと思う。あんなに盛り上がっていたKAIさんの登場に比べたら、あまりにも変化しすぎて、別の催しに来ているような気さえする。
それから数分経って落ち着いてきた頃、KAIさんは最後のトークを終わらせ、司会進行役の先生の案内で、来賓席に座った。たまたま真っ正面に位置している鮫島先生と目があって、はにかんでいる。ああ、やっぱりなんかあるなこの二人。というか、この二人の高校時代に、なんかあったな。卒業してもこうやって二人だけの何かが通じ合えているということはそうに違いない。
俺も、あわよくば梓とそんな関係になれたら。なんて。さっきまで比較的強い表情で泣いていた梓だったが、今度はボロボロに崩れて泣いている。見ているこっちが可哀想に思えてくるほどのその泣面に、ついつい抱きしめたくなった。でもべつにこれは性欲がそうさせているのではなく、オスの本能なのだと思う。きっと梓は何か我慢していたのだろう。ダムが決壊したように、ただ涙を袖口で抑えるのに必死になっている。
まだ少しざわざわしていたが、式は閉会を迎えた。いつの間にかステージに向かっていた2本の照明は消えており、KAIさんに向かうカメラのフラッシュも徐々に減っていった。吹奏楽の演奏が始まり、在校生や保護者たちの拍手の中、俺ら卒業生はクラス順に立ち上がり、一列になって退場を開始した。俺は梓の目元にある袖口を見ながら、退場の歩みを進めた。




