第8話 落ちこぼれのライア
ソルブレアをハンナの店に残し、ライアはギルド本部にやってきた。
見覚えのある石造りの建物。正面の大扉の上に掲げられた冒険者ギルドの紋章も、出入りする冒険者たちの喧騒も、前に訪れた時と変わらない。変わったのは、自分の気持ちだけだった。
ライアは息を整えると、大扉をくぐった。
中に入ると、広大なホールが目に飛び込んできた。びっしりと依頼書が貼られた掲示板、受付カウンター、そして依頼の確認や打ち合わせに使われている長机がいくつか。冒険者たちの喧騒と熱気が渦巻いている。当然、コレア村の出張所とは比べものにならない規模だ。
──二年前のことが、頭をよぎった。
十三歳で冒険者になり、何度かこのギルド本部に足を運んだ。最初の頃は誰も気に留めなかった。E級の少年が一人いたところで、珍しくもない。だが、二年が経っても一向にランクが上がらないライアに、最初に目をつけたのがあの男だった。
B級冒険者、ドルガン。顔に古い傷跡が走り、両腕に魔法紋が刻まれた荒くれ者。
──おい。まだE級かよ、お前。学院出たばかりのガキでもすぐD級に上がるってのに……冒険者舐めてんのか?
あの男がきっかけだった。「万年E級」という蔑称がギルド中に広まったのも、元を辿ればあの日あの男が吐き捨てた言葉からだと、後になって知った。
ライアが受付カウンターに向かうと、周囲の視線が集まった。
「──おい、あいつ見ろよ」
「マジかよ。噂の万年E級じゃないか?」
「やば、有名人サマのお通りだ」
笑い声が、あちこちから聞こえてきた。ライアの身体がこわばる。何度もこのギルドに足を運んでいるうちに、顔を覚えられてしまったらしい。
ホールの奥、長机に陣取る大きな影が視界の端に映った。赤黒い革鎧、背中の巨大な戦斧。見間違えるはずもない。あの男がこちらを見ている。ドルガンはニヤリと笑い、隣の仲間に何か囁いた。仲間たちがどっと笑う。
──知っていた。こうなることは分かっていた。
ライアは表情を動かさず、カウンターに向かった。受付の女性は事務的な笑みを浮かべてライアのギルドカードを受け取ると、カードに魔力を流して情報を読み取った。
「E級、ライア・フィレクシアさんですね──本日はどのようなご用件で?」
「ランクアップの方法について聞きたいんですが」
受付嬢の眉がほんの僅かに動いた。困惑とも、同情とも取れる微妙な反応だった。
「ランクアップには幾つかの方法がございます。通常は該当ランクの依頼を一定数こなした上で、ギルドの実技審査を通過していただく形になります。D級以上の審査には魔法の使用が含まれますので……」
受付嬢の声が小さくなった。万年E級のライア・フィレクシア。魔力ゼロ。このギルドで知らない職員はいない。
「ライアさんの場合、通常の昇格ルートは……」
「分かってます──A級になるには、どうすればいいですか」
受付嬢の手が止まった。後ろで聞いていた冒険者たちから、はっきりと嘲笑が飛ぶ。
「……A級への昇格は、通常ルートですとB級依頼を20件以上こなした上で、ギルド本部の審査を通過する必要がございます。E級からですと、順当に進んでも──」
「何年かかりますか」
「……最短でも三年から五年ほどかと」
五年。
リーナの身体は年々弱くなっている。五年も待てるわけがない。ライアは唇を噛んだ。
「……他に方法はないですか。特例でも何でも」
受付嬢はしばらく躊躇った後、声を落として答えた。
「ギルドの規定では、特定の魔物を討伐した場合、実績に関係なく相応のランクが認定される制度がございます。例えば……ドラゴンの討伐はA級相当の実績として認められます」
「ドラゴン、ですか」
「はい。ただし、ドラゴンの討伐はA級冒険者でも極めて困難で、通常は複数のA級パーティが共同で──」
「分かりました。ありがとうございます」
ライアは頭を下げてカウンターを離れた。背後から「あいつ、ドラゴンだってよ」「頭おかしいんじゃねえの」という声が聞こえた。その中に、ドルガンの野太い笑い声が混じっていた。
──二年前と、何も変わらない。
それでもライアは振り返らなかった。
◆
ハンナ亭に戻ると、ソルブレアはカウンターの椅子の上で丸くなって寝ていた。ハンナは「この子、食べるだけ食べて寝ちゃったの」と呆れたように言いながら、自分のショールをそっとかける。
「ハンナさん、今日の分……いくらですか?」
「いいって言ったでしょう」
「でも、あんなに食べさせてもらって──」
「しつこい男は嫌われるよ。──はい、水」
ハンナの笑顔には有無を言わせぬ迫力があり、ライアは財布を握ったまま引き下がるしかなかった。
「どうしたの、難しい顔して」
「ちょっと考えることがあって」
A級になるには、通常ルートで五年。魔力はある。今なら審査も受けられるかもしれない。だが五年は待てない。リーナの身体は少しずつ痩せていっている。唯一の近道はドラゴン討伐による特例昇格。しかしドラゴンはA級冒険者が複数パーティで挑む相手だ。魔法すら満足に使えない自分に倒せるはずがない。
──詰んでいる。
リーナの身体は待ってくれない。なのに、道が見えない。ライアは水の入った杯をじっと見つめたまま、動けなくなっていた。
「……暗いのう」
顔を上げると、ソルブレアがいつの間にか目を覚ましていた。ショールを肩からずり落としながら、寝ぼけ眼でライアの顔を覗き込んでいる。
「何をそんなに悩んでおるのじゃ。さっきまでの用事は済んだのか?」
「……済んだよ。済んだけど、上手くいかなかった」
「上手くいかぬとは?」
「A級になるのに、ドラゴンを倒さなきゃいけないらしいんだ。でも俺には──」
「ドラゴン?」
ソルブレアが目を丸くした。それから、けたけたと笑い出した。
「なんじゃ、そんなことで悩んでおったのか」
「そんなことって……A級冒険者でも複数パーティで挑んで──」
「そんなもの、我にかかれば一瞬じゃ」
ソルブレアはカウンターの上で胸を張った。寝癖だらけの銀髪が跳ねている。
「人間界に棲んでおるドラゴンなぞ、魔界のドラゴンに比べたら赤子のようなものじゃからな」
「……本気で言ってるのか?」
「我が嘘を言ったことがあるか?」
分からなかった。ソルブレアのいうことはスケールが大きすぎて、嘘か本当か確かめようがないことばかりだ。
「ただし条件があるぞ」
「条件?」
「この店の飯を毎日食わせるのじゃ。あと、他にも美味い店があれば連れていけ。それからこの街を案内しろ。我はまだ人間界をちっとも楽しめておらぬからな」
「……そんなことなら、いくらでも」
声が少し震えた。情けない話だが、嬉しかった。道が見えなかった数分前が嘘のように、目の前に光が差している。それがソルブレアの力であって自分の力ではないことは分かっている。でも、それでも嬉しかった。
「よし。では行くか」
「……え、今から?」
「善は急げと言うじゃろう。──いや、人間界にはないのか?」
「あるけど……」
「よし。では早速やってやろう」
ソルブレアはカウンターから飛び降りると、もう外に向かって歩き出していた。ライアは慌てて立ち上がる。
「ハンナさん、ちょっと出てきます」
「行ってらっしゃい──ふふ、本当に元気ねえ」




