対面3
「やってみればいいんじゃない? その間で、私は私なりに貴女を見定めるから」
ヒルダは腕を組み、口角を上げる。
私は与えられた時間の中で、出来る限りのことをしよう。クラウの方を向き、胸の前で拳を作ってみせる。
「私、頑張るね」
「うん。俺も頑張る」
クラウも真顔で頷くと、何故かヒルダが吹き出した。
「クローディオは何を頑張るの?」
「一人ぼっちに耐えること」
「……ま、いいか」
ヒルダは片手で口元を押え、笑いを堪えようとしているのだろう。レオニスとキャサリンも苦笑いをしている。
すると、リビングの振り子時計が午後五時をゆっくりと伝えた。低く響く鐘の音が、私の試練のスタートを切ったように聞こえる。カラカラになった喉を潤そうとティーカップに手を伸ばそうとしたけれど、震えてしまい触れられずに終わってしまった。
レオニスは手を組み、一層顔を引き締める。
「ミエラ。君には明日、別邸へ発ってもらう。いいね?」
「……はい」
ここまで来ては、もう後戻りなんてできない。大きく頷き、口を引き結ぶ。
そんな私に、キャサリンは優しく目を細めた。
「ミエラ、夕食まではまだ時間がありますから。少し部屋で休んでいらっしゃい。リアナ」
「はい」
私と同じ歳くらいだろうか。リアナと呼ばれたであろうメイド服の女性は、使用人の列から一歩前へと出た。
「ミエラを部屋に案内してあげて」
「かしこまりました」
リアナはお辞儀をし、扉の方へと歩み寄る。どうしていいか分からずに、無意識のうちにクラウを見詰めてしまった。
「後で部屋に行くから」
「……うん」
この柔らかな笑顔を見ていては、いつまでもここを離れられなくなってしまう。後ろ髪をひかれながら腰を上げ、急ぎ足で扉へと向かった。
たとえ扉でクラウのご家族と遮断されようとも、緊張が途切れることはない。
「私はリアナと申します。よろしくお願いいたします」
「うん。よろしくお願いします」
リアナへの返事も上手くできたかは分からない。震える足を止めずにいることに必死だった。
階段を上がり、廊下をまっすぐに進む。丁字まで歩くと、右へと曲がった。そこをさらにまっすぐに行った先が私に用意された部屋だ。
「この屋敷は田の字のような形をしていますので。回っていれば、いつかはお部屋に辿り着けます」
そう言われても、この部屋の扉には特別な印が付いているわけではない。他の部屋と同じように、金の装飾が施された、焦げ茶の木目が美しい扉なのだ。
「どうやって見分けるの?」
私が疑問を口にすると、リアナの表情は凍りついてしまった。
もしかして、この人は天然なのだろうか。笑っていいのかも分からずに佇んでいると、リアナは咳払いをして扉を開けた。暖炉の温かい空気が私の身体を一気に包み込む。
白い壁にくすんだピンクのカーペット、薄ピンクの調度品、天井には小ぶりなシャンデリア――私が暮らすには可愛らしすぎる部屋だった。この部屋だけを見れば歓迎されているようなのに、実際はここではない別邸でたった一人の花嫁修業――小さなズレを感じてしまう。
ソファーに腰掛けると、リアナが水を用意してくれた。このまま何も口に含まずにいると、流石に倒れてしまいそうだ。恐る恐るグラスを手に取り、一気に喉へと流し込む。少しだけ緊張が解れたような気がする。
ふと視界の隅に白いものが映った。何だろうと見てみれば、手書きの屋敷の案内図に、ルーゼンベルク公爵家での心得など、数枚に渡って纏められていた。
「これ、誰が用意してくれたの?」
窓辺に佇むリアナの方を見てみると、彼女は僅かに頬を赤く染める。返事がないことも含めると、リアナが用意してくれたのだろう。
「ありがとう」
私もようやく微笑むことができた。リアナは益々頬を赤くし、赤褐色の髪を横に揺らす。私はルーゼンベルク家でもいい人に巡り合えたのかもしれない。そう思ったのに、リアナの手にはメモ用紙と羽根ペンが握られている。何かしでかしたりすれば、レオニスやキャサリンに筒抜けなのだろう。
溜め息を吐くわけにもいかず、代わりに息を詰める。冊子に手を伸ばし、もう一度きちんと読んでみることにした。案内図にはこの本邸だけではなく、別邸のものもある。隅には『比較的新しい屋敷なので、幽霊の目撃情報はありません』と書き記してあった。
さらに一枚捲ると、レオニスやキャサリン、ヒルダの性格が記してある。おおよそは会話した時に理解できたのだけれど、注意事項も書かれていた。レオニスは時間に厳しい。キャサリンは優雅さを大事に。ヒルダは仲良くなるまでが大変だが、信頼を得られれば一気に距離が縮まるなど、具体的に特筆されていた。
まずは夕食の時間に遅れないようにしなくては。そして、食事マナーには気を遣おう。直近の目標も決まり、一人で大きく頷いてみる。
そこへノックの音が響く。
「ミユ、大丈夫?」
クラウだ。ようやく二人で話ができる。安心感からなのか、わけが分からないうちに目頭が熱くなってしまった。
「ちょっ……ミユ!?」
涙はぽろぽろと零れ落ち、視界が歪んでいる。声も出さず、ただただ目の前にしゃがみ込むクラウを見詰めることしかできなかった。
「一週間に一回は、必ず会いに行くから」
「うん……」
「つらくなったら、全部俺に言ってもいいから」
この台詞はどこかで聞いたことがあるな、とぼんやりと思う。
「もう……言ってる」
「そっか」
クラウは苦笑いをすると、そっと身体を抱き寄せてくれる。その温もりに縋るように、瞼を閉じていた。
優しい時間は一瞬で終わる。心のどこかで、安心できない自分がいた。




