3 酒場の夜
ラウドランのとある酒場は、夜のしじまに喧騒を響かせ、ランタンの揺れる光に石壁の影が踊る。カウンターの端でホットワインを味わうコノエは、ギルドの勧誘者に絡まれていた。
あるいは、絡みとった、と言っても正しい。変人でありながら強者としても名高いコノエは、艶のある刀の鞘に片手をかけながら、得意げに笑った。
「刀振るだけなら簡単な作業だろ?それじゃ退屈だから、恋バナでも晩酌でもしたいわけ。な、中級魔物の恋……気にならねえ?」
笑い混じりの本気のトーンに、かの刀使いを引き抜こうとした罪なき勧誘者は、酒を吹きかけてげふっとむせた。
しばし固まると、「……あ、頭、おかしいんじゃねえの」と口角を引き攣らせながら、そそくさとカウンターから退散していく。
隣のリガは静かに杯を傾け、「……コノエ、またか」と呟いた。コノエはニヤリと笑い、「お?リガ、お前も興味あんのか?」と畳み掛ける。リガは無言で酒を啜り、夜の窓から漏れる月光に一瞬目をやる。月は遠い。どこまでも。
「……今日は眩しい夜だな。空気もつめてえ」
不意にコノエが呟いた。途端、酒場のざわめきが急速に他人事になる。場違いに鋭さを帯びた空気が、二人分に切り取られたように静かだ。
コノエは杯を手に、妙に明るくリガに話す。
「なぁ。聞き屋さんよ。魔物の恋ってどんなだと思う?俺たちがよく話しかける怨念みたいに、グチャグチャに絡み合ってんのかね?」
その声は軽く、しかし、囁きあうように密やかで。
「……あんたが勝手に絡み合ってるだけだ」
リガは平然とそう返すが、視線はコノエの指、杯を握る手に一瞬留まる。
この刀は、傷つけることを嫌う。持ち主の優しさは、刀を握る覚悟によって、返り血の苛酷さに沈んでいるのだ。
目線の先に気づいたコノエは笑って誤魔化すと、
「ま、恋も怨念も、話せば浄化できるからな。お前んとこのモットーってやつだろ?なあ?」
そう言って杯をゆらゆら揺らし、色のない笑みを浮かべる。リガはすうと目を細め、「……好きも嫌いもないくせに」と無感情に吐き捨てると、ぐいと酒を飲み干した。
ざわざわと酒場は盛況していて、そのかたわら、二人だけが時の流れが違うかのような。熱気に濁った空気ばかりが現実味があって、リガの目に映るコノエの笑顔は、壊れた月を隠しているかのようだった。
目が離せない。コノエはころころと、いたずら好きの猫のように笑う。その薄緑の目だけは、決して光が宿らない。
「お前もたまに、面倒な輩にふっかけられるみてえじゃねえか」
「……まあ」
感慨もなく相槌を打ち、カウンターテーブルに頬杖をつく。コノエの目が愉快そうな三日月をえがき、しかし射抜くような鋭さは変わらない。
「怨念のこと以外で、毎日付き添った方が良かったりする?」
「そこまで困ってない」
「ボロ雑巾みてえなお前を、たまたま見つけた俺の記憶が確かなら、聞き屋の客は神様とは限らねえよなあ。なあ?」
はぁ、とリガはため息をつき、
「あんたに報酬を渡せるほど、俺のふところはあったかくない」
「あんなにあたためてやってんのに?」
「本末転倒だろう」
パン数個やら、ちょっとした日用品で、資金提供とは名ばかりな金貨をもらって。それを本人返す、なんて。
「そういうのは、要らない。俺は、ひとりでいい」
影を帯びた金眼で、真正面から見つめ返す。陽に透ける枝葉のような薄緑の瞳が、金を吸い込んで、月明かりに輝くようにぎらつく。
あーあ、と愉快そうに、それでいて虚脱した間延び声をあげたコノエは、
「強がりは破滅の元だぜ? ――相棒」
「心にもないことを言うな」
「ハハ、リガ青年のこのノリの悪さよ、まったく」
頭をがしがしとかいたリガが、追加の酒を注文する。少し赤い若い目元を、夜を乗せたコノエの薄緑が、うっそりと見守っていた。
窓の向こう、真っ黒な鳥がばさりと羽ばたいた。ランタンの光がかすかに揺れ、酒場の影もちりりとゆらめく。黒と赤の背中は、着地する足場の不安定さに、ただただ縮こまっているかのよう。
夜の終わりは、まだ。訪れそうにない。
2話、3話同時更新です。以降、不定期更新になります。
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