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第94話 異性を好きになるということ

 野営中の礼拝テントを訪れた、リーベルトが思い詰めたような顔をしていた。外からは行事用テントから、夕食の準備をする三人娘と糧食チームの、賑やかな声が聞こえてくる。この時間帯なら礼拝テントに足を運ぶ者はおらず、彼はそのタイミングを選んだとも言う。


「懺悔をしたいのですね、リーベルト」

「はいシルビィさま、ところでその」

「なあに?」

「ラーニエさまの時と、まるで雰囲気が違うのですね」


 頬に手を当て、おほほと笑うシルビィ。法衣をまとっている時は聖職者モード、一応は切り替えているのだ。そこは気にしないでと、彼女はリーベルトの頭を優しく撫でる。もっとも法衣に隠されているだけで、太ももに巻いた皮ベルトには投げナイフが並んでいるのだが。


「神と精霊の御名に於いて、あなたの罪を告白しなさい」

「スワンさまのことを思うと、夜も眠れません。いけないとは思いつつ、あの……」


 そこで言葉に詰まるリーベルト。

 普通の聖職者なら、全部言い終わるまで辛抱強く待つのだろう。けれど移動遊郭の経営者でもあるシルビィことラーニエは、ひと味もふた味も違う。下腹部に手が伸びてしまうのですねと、先を読んでしまうのだ。


「どどど、どうしてそれを」

「そしてシーツを汚してしまい、罪悪感に苛まれる」

「……はい」

「あなたぐらいの年頃なら普通よ、むしろそうならない男子の方が心配だわ」

「本当に?」


 本当よと笑みを浮かべるシルヴィは、リーベルトにとって何が最善かを考える。

 大酒飲みではあるが、スワンはパーラー・メイドとして優秀だ。宮廷作法と教養を教える先生にもなれるし、ぶははと笑う癖さえなければ、レディース・メイドにもなれた逸材である。何よりも軍団に於いては、自分の飲み友達でもあり、彼女の幸せも願っていた。


「スワンのどこが好きになったのかしら」

「よく分かりませんシルビィさま、ただ一緒にいると嬉しくて楽しくて。でもその」

「胸やお尻に目が行くと体が反応してしまう」


 全てお見通しなのですねと肩を落とし、リーベルトは観念したもよう。懺悔とは包み隠さず全てを告白すること、その点に於いてシルビィは引き出すのが巧みだ。


「あなたはまだ未成年だけれど、好きですって想いは伝えておいた方がいいわね」

「でも身分違いです、女王陛下の側近は特別なメイド、僕なんて……あだっ!」


 シルビィがリーベルトの額に、デコピンをかましていた。手加減はしなかったようで、リーベルトは呻きながら、額に手を当て床にうずくまる。容赦ない暗殺者のデコピン、恐るべし。


「あなたはゲルハルト卿、つまりリヒテンマイヤー家の家臣になったのです。いずれは爵位と領地を賜るでしょう、もとよりローレン王国は自由恋愛の国、身分違いなどという言葉は慎みなさい」

「はい、すみません」

「それにスワンはね……いえこれは私の口から、話して良いことではないわね。直接本人から聞くといいわ」


 スワンは家族を事故で亡くし、教会の孤児院で育てられた天涯孤独の身。だからこそ身分違いという言葉を、シルビィは使って欲しくなかったのだ。大事なのはいま本人が、どんな風に生きようとしているかだから。


 でも不思議なものだなとシルビィは、額に手を当て涙目のリーベルトに、優しい眼差しを向けた。自分がクラウスの正妻となれるのは、縁と縁が結びつき、幾つもの縁が後押しをしてくれたからだ。自分もまた結んだ縁のひとつとして、リーベルトとスワンの後押しをしていると。


「異性を好きになるってことはね、リーベルト」

「はい」

「その人の全てを好きになることよ」

「すみません、僕にはよく分かりません」

「誰にだって欠点はあるわ、それも込みで全て好きになるのが本物の恋愛なの。好きになれない欠点がある、そう思う気持ちが心のどこかにあるならば、それは本物とは言えないわ。たとえ付き合ったとしても、その関係は長く続かないでしょう」


 フローラさまはシュバイツさまの女装趣味を、個性として受け入れてるでしょと、シルビィは微笑む。例えとしては的確で、スワンの大酒飲みとぶははを、個性として好きになれるかって話しだ。成る程そうですねと、手のひらに拳をぽんと当てるリーベルト。


「それが無ければ、スワンさまではありませんね」

「分かっているなら大丈夫よ、リーベルト。あとは彼女が思い描く将来の夢を、聞いてあげるといいわ」

「将来の夢、ですか?」

「彼女が思い描く未来予想図に、あなたが入る余地はあるのか。もとより大酒飲みだから、酒代を稼いで養える貴族にならないとね」

「何だか、道が見えたって言うか、分かったような気がします。ありがとうございました、シルビィさま!」


 すっきりした顔で、礼拝テント入り口の巻き布を上げたリーベルト。すると目の前に、プハルツが立っているではないか。懺悔中は入り口に、青い小旗を立てるのがお約束となっている。どうやらプハルツも、マリエラへの恋心で順番待ちをしてたっぽい。あらあらまあまあ、ここは恋愛相談所かしらと、呆れつつも楽しそうなシルビィであった。


 その翌朝アリーゼから出された、懸垂と腕立て伏せ百回のノルマをこなしたリーベルト。体が出来上がってきたのか、気持ちが上向きになっているのか、疲労のようすは見受けられない。ただただスワンと一緒にいられる時間が待ち遠しくて、うおりゃあ! と気合で終わらせたのだ。


「リーベルトは算術の飲み込みが早いわね」

「ありがとうございます、スワン先生」

「あのさ」

「はい」

「私はそんな大層なもんじゃないのよ、呼び捨てでいいから」


 ぱっと顔を輝かせるリーベルトと、何かあったのかしらと首を捻るスワン。メイド用テントのテーブルで教材を広げ、彼はるんるんとペンを動かす。カレンとルディにイオラが、そんな二人に頬を緩めながら、お茶の時間ねと支度を始めた。

 ちなみに桂林と明雫に樹里は買い出しで、今頃はローレン王国の首都ヘレンツィアか、ヘルマン王国の首都カデナだろう。内陸に長くいると兵士らが、新鮮な魚介類を恋しがるのだ。


「スワンには将来の夢ってありますか」

「どうしたのリーベルト、やぶからぼうに」

「差し支えなかったら、ですけど」

「ぶはは、知っての通り大酒飲みだからね。こんな私のために酒代を稼いでくれる、貴族や大商人が囲ってくれたら嬉しいのだけど」

「なら僕が養います」

「……いま何て?」

「スワンが好きです、僕のお嫁さんになって下さい」


 お茶菓子の大福餅を、箱から落としそうになったカレン。

 急須へ注ぐヤカンのお湯が、大きく外れたルディ。

 取ろうとして並んでいた、湯飲みを全部倒してしまったイオラ。

 平たく言うと三人とも、石像と化しちゃったわけで。


 想いは伝えておいた方がいい、シルビィは確かにそうアドバイスした。けれどそこはやっぱり、すれていない純朴な男の子。変な言い回しはせず、ど直球なところは、むしろ清々しくもある。


「私はね、リーベルト」

「はい」

「教会の孤児院で育ったのよ、身寄りはいないの」

「僕も母さんと姉さんを助けられなかったら孤児です」

「あなたはゲルハルト卿の従者だわ」

「スワンも女王陛下の側近でしょう」

「私の方が六歳も年上なの、同年代の子を探した方がよくない?」

「ディアスさまとシェリーさまの年齢差も、そのくらいと聞きましたが」


 年下はお嫌いですかと真顔のリーベルトに、スワンは返す言葉を失ってしまう。

 この子に入れ知恵した奴がいる、だとすれば移動遊郭の経営者しかおらず、あんにゃろうめと席を立つ。ところがスワンはその腕を、リーベルトに掴まれてしまう。アリーゼの鍛錬が功を奏したのか、それは力強く振り解けそうもない。


「まだ、お返事を聞かせてもらってません」

「私でいいの」

「スワンでないと、だめなんです」


 石像化から再起動したカレンとルディにイオラだが、今度は顔を真っ赤にして頬に手を当て、体をくねくねさせていた。フリーズから復帰したと思いきや今度は熱暴走っぽい。年下の男子からこんな風に迫られたら、どうしましょうみたいな。


「君が成人するまで、私に待っていろと?」

「そうです、僕の妻になって下さい」


 ぷしゅうという音が、スワンから聞こえたような聞こえなかったような。彼女の人生に於いて、ショタコンという選択肢はなかったのだろう。自分をきらきらした瞳で見つめる少年に、やり手のパーラー・メイドも打つ手なしであった。


「それでスワンはどう返事したの? ミリア」

「成人するまで立派な騎士になってみせてと、彼女は条件を付けたそうですよ、フローラさま」

「それって承諾したも同然だよな」

「待たされる身としては当然じゃないかしら、シュバエル」


 ネタとシャリの間からわさびがはみ出している、カレイの握りをひょいっと頬張る大聖女さま。無条件って訳にはいかないかと、相方のシュバエルが漬けマグロの握りを頬張る。そうでもしないと格好がつかなかったからではと、むふんと笑うリシュルが二人の前に緑茶を置いた。


 今夜はお寿司の立食パーティーで、あら汁も好きなだけ持ってけ方式。三人娘がお祝いですねとそうしたんだけれど、兵士たちは何のお祝いかよく分からないでいた。取りあえずハマチだ甘エビだヒラメだと、行事用テントが大賑わい。


「この件、ゲルハルト卿はご存じなのかしらね、ヴォルフ」

「さっきそれとなく当たりを付けてみたんだがな、グレイデル」

「うん」

「隊長もアリーゼも、気付いてなさそうだった」

「婚約させないと、スワンが他の殿方に奪われたりしないかしら」

「俺もそう思ったよグレイデル、言っちゃ悪いが男装の麗人が好みの王侯貴族、けっこういるんじゃないかな。どう致しましょうフローラさま」


 それは困るわねと、フローラはコハダの握りをひょいぱく。側近の幸せを誰よりも願っており、本人が望まぬ形で婚姻させたくはないのだ。少なくとも彼女は断らず、リーベルトに条件を付けた。ならば期待しているわけで、憎からず思っているのは間違いなさそう。

 ここで言う憎からず思うは、好ましく思っているの歪曲表現である。年上のスワンは素直にデレることが出来ず、条件付きにしたのは容易に想像できるというもの。


「スワンの誕生石はエメラルドだったわね、宝石は私が用意するから頼めるかしらシュバエル」

「おう、ケバブがすぐ制作してくれるだろう、任しときなフローラ」


 こうして本人たちの預かり知らぬところで、縁を結んだ人たちが後押ししちゃうのである。縁とは誠に不思議なもの、けれどそれはみんなを愛し、みんなから愛されている証拠でもある。恨み妬み嫉み僻みに闇落ちしない、善なる人間性の現れなのだ。

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