14.信じた背に赫い影
ガーユスと夢幻で再会してから1週間。
あれから赫い匣についての進展は無い。
使い方どころか、本当に自分が持っているかもわからない状態が続いていた。
形状が匣である以上、中身に意味がある。
ティセからそう言われてはいるが、匣の実態は掴めていない。
手がかりを探す中、集めた魔導書を保管している書斎で本棚を漁る。
その最中に「それ」は見つかった。
「ティセ、答えてください。どういうことですか」
「……こ、これは……あの……」
リビングのテーブルを挟んで対面するティセに向けて、偶然見つけた1枚の書類を見せる。彼女の顔から一気に血の気が引いていくのがわかった。
「健康診断の結果、僕にもちゃんと見せてって言ったでしょ!」
「いや、だってぇ……」
「だってじゃありません」
「うぅぅ……」
僕が見つけたのは、ティセの健康診断書。いつまで経っても診断書が送られてこないと思ったら、僕に怒られるのがイヤで隠していたらしい。
「肝臓の数値、高いですね」
「はい……」
「生活習慣、見直しましょうね」
「お酒……控えなきゃダメ……?」
「飲むなとは言わないので、量を減らしてください」
「そんなぁぁぁぁぁ~~~………………」
床に四つん這いになって嘆くティセ。
それを見て頭を抱えてしまう僕。
彼女は僕が弟子入りする前から大のお酒好き。
晩酌が心の癒しだとしても、この診断書の肝臓の数値を見ると放っておけない。
長期休暇中に毎日のように飲んだくれていたことも見逃せない。
しばらくの間、お酒の管理は僕がすることになった。
「慈悲を……どうか慈悲を……」
「絶対に飲んじゃダメって言わない時点で慈悲です」
「はい……」
「僕がお酒を飲めるようになったとき、あなたと一緒に飲めないと寂しいですよ。だから、肝臓に優しい生活を心掛けましょうね」
「うぅ……わかりました……」
こういう話になると、師弟の立場が完全に逆転する。
そして、ちょっといじけてるときのティセの表情はかわいい。
気を取り直して本題に入る。
「……話を戻しますが、赫い匣についての情報は集めた魔導書の中には一切ありませんでしたね」
「トーヤ君が世界を旅している間に集めた魔導書の中にも、赫い匣に関する情報は見つかりませんでした。相伝の魔術なので、期待はしていませんでしたが……」
赫灼の魔術は赤魔氏族に伝わる相伝の魔術。
一族以外の者に渡る情報は極めて少ない。
そして、赫い匣だけに気を取られているわけにもいかない。
ガーユスとの会話の中で、決して看過できない問題も判明した。
「もうひとつ。魔術学院襲撃の件です」
「ガーユスが襲撃犯ではなかったという話ですね。あの男の言葉のすべてを真に受けていいものか、正直悩みますが……」
多くの犠牲者を出した魔術学院襲撃事件。
事件発覚時からガーユスが襲撃犯であるとされていたが――
「私は、襲撃直後の現場検証に立ち会いました。露骨で不自然と感じるほどに赫灼の魔術を使用した痕跡が残っていました。まるで『ガーユスが襲撃をしたことをアピールしている』かのように」
ティセ以外の魔術師や学院関係者、魔術に知識のある警察関係者ですらガーユスが襲撃犯であることを疑わなかったという。
「不自然と感じながら、襲撃犯がガーユスであると断定した理由は?」
「多くの魔術師がガーユスの経歴を知っています。自暴自棄になって凶行に及んだと判断してもおかしくないほど、あの男の過去は悲惨なものでしたから」
静かに目を伏せるティセ。
僕は、夢幻の中でガーユスの過去の一部を追体験した。
妻子を殺され、同胞を実験動物にされた彼の憎しみは痛いほど理解できる。
同じような境遇のティセにも、ガーユスの気持ちがわかるのかもしれない。
「……ひとつ、キミに謝らなくてはいけないことがあります」
「なにをです?」
「決戦の前、キミに迷いを与えないようにガーユスの過去を黙っていたことです。キミは優しいから、あの男に同情してしまうと思って……」
ティセの判断は正しい。
ガーユスのすべての経歴を聞いていたら、僕には迷いが生じていたに違いない。
そうなれば、封印するどころか戦うことすらできなかったかもしれない。
「ガーユスの件を黙っていたのは、皆さんが僕を気遣ってくれたからですし……」
「そう言ってもらえると助かります。あの男の憎しみすべてを洗い流すのは難しいとは思いますが、いつかは――」
今は封印を解くことはできないが、いつかは彼の心を救えると信じたい。
「……すみません。話が脱線してしまいましたね。魔術学院襲撃の実行犯について話を続けましょう」
襲撃犯がガーユスでないのなら、いったい誰が生徒たちを焼き殺したのか。
赫灼の魔術の魔力反応があったということは、赤魔氏族の関係者かもしれない。
「真犯人の調査をしないとですね。まずは当時の関係者に聞き込みをして、警察の方にお願いして捜査資料も見せてもらいましょう」
「…………」
僕の言葉を聞いて、ティセが顔を伏せる。
「もう、わかっているのでしょう?」
……ティセの言葉を聞いて、僕は沈黙することしかできなかった。
僕たちは、犯人と思われる人物に心当たりがある。
認めたくない。
信じていたい。
僕が知る人物が魔術で人を殺したなんて、思いたくない。
「名前は『エイミー』でしたか。彼女は赤魔氏族の末裔だと聞いています」
フルネームはエイミー・ユカナイト。
魔術学院に通う女子生徒のひとり。
僕の留学中、クラスメイトだった女の子だ。
彼女は、ガーユスに対抗するために「赫灼の魔術の詳細」と「炎熱防御の魔術」が書かれた手記を僕に託してくれた。ガーユスを封印できたのは、彼女の協力によるところが大きい。
「彼女自身も大火傷を負って、死の縁を彷徨ったんですよ……?」
「それが偽装工作である可能性も捨てきれません」
「…………」
「何らかの理由で、私たちを利用してガーユスを始末しようとしたとも考えられます。そうでなければ、赤魔氏族の相伝の魔術の情報を流すとは思えません」
「彼女がそんなことをする理由が思い当たらないんです……」
「そうですね。だからこそ不気味なんです。先日、キミから話を聞いてからすぐに他の国定魔術師の力を借りてエイミー・ユカナイトの経歴を調べました。任意聴取をする予定でしたが……現在、彼女の行方がわかっていません」
現段階でエイミーについてわかっていることは少ない。
赤魔氏族の末裔であること。
出生の記録が曖昧であること。
魔術学院卒業後、行方がわからなくなっていること。
ティセの国定魔術師としての人脈を使って調べても不明な点が多い。
「仮にエイミーさんが真犯人だったとして、多くの魔術師が彼女の本性と実力を見抜けなかったということになります。赫灼の魔術を扱えるだけの魔力量を他の魔術師に悟られず、在学中は常に実力を隠し続ける……それができるだけの繊細な魔力制御技術があるということでしょう」
「熟練した魔術師でないと不可能な芸当ですね……」
「正直、私でも難しいかと」
ティセを欺けるほど卓越した魔力制御と、赫灼の魔術を使えるほどの魔力量を持っていることになる。つまり、エイミーはガーユスにも匹敵する練度の魔術師ということだ。
なぜ実力を隠していたのか。
今、どこで何をしているか。
多くの見習い魔術師たちを殺害した動機は何なのか。
そもそも、彼女は僕たちの「敵」なのだろうか?
「…………」
エイミーとの付き合いは決して長くないが、数少ない魔術師の級友だった。彼女が襲撃の実行犯と決まったわけではないけれど、友人を疑わなくてはいけないのは気が重い。
「トーヤ君。気持ちはわかりますが……」
「大丈夫です。僕も魔術師のひとりとして、しっかりと割り切ります」
ティセは静かに頷いた。
どんな事実があったとしても、まずはエイミー本人から話を聞く必要がある。
(やることが多くなってきたな……)
世間に広がる特殊な薬物被害と薬物を摂取したことによる健康被害。
魔術学院襲撃の真犯人探しと現段階の容疑者の確保。
動きが見えない呪術師の動きへの警戒。
ここ最近で急に忙しくなってきた。
時間はあるけど、便利屋の面々だけでは人手が足りない。
いっそのこと、昔の僕のように新しいアルバイトを雇うのもアリかもしれない。
「私も明日から仕事に復帰します。いつまでも休んでいると体がなまってしまいますから」
「先生がいてくれるのは心強いです。よろしくお願いします」
「……なんで急に先生呼びするんですか?」
ムッとした表情をするティセ。
あんまり見ない表情なので新鮮だ。
ちょっと怒っているように見える……。
「仕事とプライベートでメリハリをつけるべきかと思いまして」
「…………イヤです」
「えっ?」
「仕事中もティセって呼んでください」
「そ、それは……」
「なにかダメな理由があるんですか……?」
「ティセって呼び方は、僕だけのものがいいな……なんて……」
「……………………」
無言で立ち上がったティセは、リビングのソファに置いてあったクッションに顔を埋めて悶えはじめた。寝転がったまま足をバタバタさせている。
「…………~~~~~~っっっ………………」
彼女のこんな様子を見て笑顔になる僕も、惚気ているんだろうと思う。
エイミーの件で落ち込みかけていた気分が少し晴れた気がする。
ティセも僕を気遣ってくれているのだろう。
……いや、天然でこんな反応をしているかもしれない。
そんなことを考えていると、ベランダの窓からコツンと何かが当たる音が聞こえてきた。ここはマンションの上階なので、誰かが投げた小石が当たるようなこともない。
気になって窓の外を見てみると、ベランダの手すりに小さな黄色の鳥が止まっていた。
「この子、カナリアですかね。どこかのペットでしょうか」
カナリアの首元には小さな宝石のようなものが紐で括り付けられている。
不思議に思って見ていると、ティセがソファから飛び起きた。
「この子、私の師匠の使い魔です」
「リリさんの?」
ティセの師匠であり、僕にとっては大師匠。
僕もティセも、リリさんとはしばらく会えていない。
世界中を飛び回り、魔術師として活躍しているとは聞いている。
「……この石、情報圧縮魔術で作られたものですね」
「そんなこともできるんですか」
「空間を操作する空属性の魔力を使って、映像や文字を魔石の中に圧縮・保存する高度な魔術です。触れるだけで魔力を介して情報が脳内に流れ込んできます。現代でこんなことができるのは、私の師匠くらいでしょうね」
逃げずにこちらを見つめ続けるカナリア。
僕たちを待ってくれているように見える。
ティセは、カナリアの首元にある魔石に指で触れた。
「………………」
魔石に触れたティセは、何も言わずに立ち尽くしている。心配になって声をかけようとすると、大きな溜息を吐きながら僕の方へ向き直る。
「トーヤ君、すみません。仕事の復帰が少し遅れそうです」
「何かあったんですか?」
「国定魔術師全員に緊急召集が掛かりました」
「僕が弟子入りしてから初めてですね。頻繁にあるものなんですか?」
「いいえ、私も数度しか経験がありません。こんな招集があるとき、絶対にロクなことがないんですよ……」
ティセは複雑な表情を浮かべている。
立て続けに起こる非日常的な事態。
僕たちが見えていないところで状況が動いているのかもしれない。