12.志摩の呪術師
視界が白い光に包まれる中、遠くから声が聞こえてくる。
声に導かれて、光の先にある何かに向けて歩いていく。
光が消えたかと思ったら、今度は何も見えない暗闇が目の前に広がる。
「トーヤ君、起きてください! しっかりして……!」
ティセの声が聞こえてくる。
床に倒れている僕の体を揺さぶりながら、何度も呼びかけてくる。
「……ぅ……ぁ……」
強烈な眠気に逆らいながら目を開けると、ティセが今にも泣き出しそうな表情で僕を見ていた。
「大丈夫、です……ちゃんと、戻ってこれました……」
「あぁ……よかった……本当に……」
僕にしがみついてくるティセの頭を優しく撫でて、自分が現実に戻ってきたことを再確認する。魂同士の接触による精神的な影響はなかったみたいだ。
僕の精神がガーユスによって蝕まれるというのは杞憂だったのかもしれないし、ガーユス側にその意思がなかったとも考えられる。
「……すみません。ちょっと動けないので、このまま……」
「わかっています。ゆっくり休んで。体に異常はありますか?」
「いいえ、ちょっと疲れが溜まっているだけです。どうしてこんな状態なのかはわかりませんが……」
「ほら、こっちに頭を乗せて」
「あ、あぁ……ありがとうございます……」
ティセが膝枕をしてくれた。
こんなこと、自宅以外でしてもらうのは初めてでちょっと恥ずかしい。
気を取り直して、現状を確認することにした。
「僕がガーユスと接触してから、どれくらい時間が経ちましたか……?」
「28分30秒。あの後、キミは樹木に触れたまま何の反応もありませんでした。面会時間の終わりが近付いていたので強引に起こそうとしたら、急に倒れてきてびっくりしましたよ……」
「体感では、2時間近くガーユスと話していました。夢を見ている状態と同じだったのかも」
「なるほど、夢の中では4倍近い時間が流れていたんですね。ガーユスから何か聞き出せましたか?」
「はい、いくつか……」
正直、この場でどこまで話すべきか迷う。
魔術学院襲撃の真相、ガーユスの過去、譲り受けた赫い匣。
話すことが多いので、自宅に戻って落ち着いてから情報を纏めた方がいいかもしれない。そんなことを考えていると、出入り口の巨大な鉄の扉が轟音を立てながら開いていく。
面会時間終了を告げるために独房に入ってきたのは、グレーのスーツを着た若々しい青年だった。
この地下収容施設に似つかわしくない爽やかな笑顔を浮かべる青年は、僕たちの様子を見て一言。
「……失礼、邪魔をしたかな?」
僕が急いで膝枕から起き上がると、ティセはちょっと残念そうな顔をしていた。
慌てる僕の様子を気にすることもなく、青年は自己紹介をはじめる。
「ティスタ・ラブラドライトさん、柊 冬也さん、お初にお目にかかります。この地下収容所・涸魂牢の刑務所長を務めている志摩というものだ。よろしく」
志摩と名乗る青年の物腰は柔らかく爽やかに見えるが、一切隙が無い。
まるでガーユス……いや、千歳さんに雰囲気が似ている気がする。
「……この刑務所の管理者が『志摩家の呪術師』だとは、聞いていませんでした」
「嬉しいな。あなたほどの魔術師にも顔が知れているとは、ボクも少しは有名になってきたみたいだ」
「知れ渡っているのは悪名の方ですけどね」
ティセが警戒心を剥き出しにしているのは、あの青年が呪術師であると確信しているから。
僕も臨戦態勢に入ろうとするが、うまく立ち上がることができない。
夢幻に入っていた影響なのか、かなり疲労が溜まっている。
(こんなときに……いや、僕がこんな状態だから姿を見せたのか……)
呪いを焼き消す特性を持つ赫灼の炎は、呪術師にとっては唯一無二の脅威。
赫灼の魔術を使えるガーユスの封印を解くことは、呪術師にとっては絶対に避けたい事態。万が一を想定して僕を監視していたのだろう。
ティセが面会の間にずっと僕のそばにいてくれたのは、呪術師による何らかの妨害を想定していたからだ。呪術師が涸魂牢にいるということは想定内だが、まさか正面切って出てくるとは思っていなかった。
「そう怖い顔をしないでほしいな。何かしようってわけではないから」
「あなた、ウソが下手ですね」
ティセは僕の前に立って、手を前方に差し出す。
いつものように音もなく現れた銀の杖を手に持って、臨戦態勢に入った。
「おっと、それは困る」
慌てているように見えて、志摩と名乗る青年の表情には余裕を感じる。
なにか隠しているのかもしれない。
ティセも僕と同じように考えているみたいだ。
「呪術師のあなたがこの場に来た理由は見当はつきます。ガーユスの封印を解かれたくないのでしょう? 私たちに向けて殺気を放ち過ぎです。なにか仕込んでいるのもバレバレですよ」
全身に魔力を漲らせながら、目の前の青年を睨みつけるティセ。
僕にガーユスの封印を解く気は一切無く、純粋に彼との面会を望んでいただけ。
しかし、呪術師側からすれば僕を信用する理由がまったくない。
一触即発。ティセの発する魔力は棘のように鋭く、刃のように鋭利で、まるでガーユスと戦ったときと同じだ。
青年は観念したのか、両手をあげて「降参」のポーズをとった。
「……わかったよ。隠している式神の姿を見せる。どうか落ち着いてほしい」
青年の背後の空間が揺らぐ。
揺らいだ空間は捩れていき、そこから黒い液体が噴き出た。
地面に垂れた黒い液体が徐々に形を成していく。
「紹介しよう。ボクの式神・饕餮だ」
顕現したのは、巨大な獣。
羊のような曲がった角と肉食獣のような牙。
胴体は白い毛に覆われており、人間のような手足で四足歩行。
獣の息遣いと共に、目眩がしそうなくらい強烈な獣臭が漂ってくる。
そして一際不気味なのは、人間に似た顔付きであること。
異形の怪物としか形容できない見た目をしている。
『オぉ゙、ぉ゙ァァぁ゙…………――――――』
饕餮と呼ばれる獣は、人間のような口を不気味に歪めて笑みを浮かべながら涎を垂らしている。唸りというより呻きのような声をあげて、僕とティセを交互に見ている。
(ここに来てから感じていた不気味な感覚は、この化け物が原因だ……)
そう確信できるほど、目の前にいる獣の殺気は凄まじかった。
この獣は、僕たちを貪り食おうと隙を伺っている。
自分が捕食者であることを自覚しているのだ。
「すまない、彼はとにかく獰猛でね。ボクも手を焼いているんだ。ほら、戻りなさい」
青年の声を聞いた饕餮は、再び黒い液体に戻って、空間の歪みへ吸い込まれていった。
「消え、た……?」
呆然とする僕に向けて、青年は質問をしてくる。
「冬也さん。あなた、ガーユスから何か譲られませんでしたか?」
「…………」
夢幻の中で受け取った赫い匣のことだろうか。
あの匣にどんな力があるのか知らないけど、正直に言うべきではない。
「いいえ、なにも。彼は封印されているから物品の受け渡しはできないでしょう」
「……そうですか。そういうことにしておきましょう」
まるで僕とガーユスのやり取りを見ていたかのようだ。
しかし、裏を返せばガーユスから譲り受けた匣に何かあるということ。
(あの赫い匣に特別な力あるのか? 呪いに対抗できる能力が――)
譲ってもらったといっても使い方はわからないし、夢幻の中で受け取ったから現実に存在しているかもわからない。夢幻の中で見た煌々と輝く赫い匣は、今どこにあるのだろうか。
「面会時間は終了だし、今日はお引き取り願おうか」
青年の言葉を聞いて、ティセが銀杖を頭上へ放り投げる。
鳥の装飾が施された美しい銀杖は、空中で一瞬にして消え去った。
「ここでやり合う気はないようですね」
「やり合うなんてとんでもない。あの『銀杖のティスタ』と1対1で戦うなんて、無傷で済むはずがないじゃないか。そんなの勘弁だよ」
彼の言動から察するに、自分の実力に相当な自信があるのだろう。
ティセ相手でも、勝てる見込みがあると踏んでいるようだ。
「……トーヤ君、立てますか? 帰りましょう」
「はい、ありがとうございます」
ティセに肩を借りて立ち上がり、背後にある樹木を見る。
ガーユスは何を考え、何を僕に託したのだろうか。
呪術師の青年・志摩の視線を背に受けながら、ガーユスが収監されている独房から出る。
「あぁ、そうだ。冬也さんにひとつだけお礼を」
青年は、笑みを浮かべながら頭を下げた。
「あなたがガーユスを封印してくれたおかげで、我々呪術師も陽の目を浴びることができるようになった。どうもありがとう」
イヤミなのか、皮肉なのか……それとも本当に感謝しているのか。
彼の真意はわからない。
これから先、彼とまた会うことがあるかもしれない。
青年の顔付きを目に焼き付けた後、僕たちは地上に戻った。




