67.卒業
退院してから1ヵ月。
ガーユスによる魔術学院襲撃からはじまった動乱が収束した後、便利屋 宝生は通常業務に戻った。
僕達が得たものは、多額の報酬と魔族や半魔族に対する世間の理解。日本の政策は「魔術師や魔族への協力関係を積極的に築いていく」という方針に切り替わることになった。
多くの死者が出た今回の騒動の中、日本の官僚達は「魔術師と協調は国にとって有益である」という結論に至ったらしい。
魔族や魔術師を散々蔑ろにしてきた現実を考えると今更姿勢を変えるのは腹が立ちはするが、僕達の行いが無駄にならなかったのは素直に喜ぶべきだろう。みんなで体を張った甲斐があるというものだ。
すべての後始末を済ませた後、千歳さんの提案で慰労会をすることになった。
事務所のあるビルの屋上に便利屋従業員4人で集まって、青空の下でコップを片手に千歳さんが音頭を取る。
「では、献杯」
今回の件で亡くなった若き魔術師達――彼等のことを偲んで、コップを低く掲げて目を瞑る。短い付き合いではあったけれど、みんな優しくて良い友人だったことは忘れない。
僕が昏睡している間に亡くなった方々の火葬と納骨は終わっていたので、一段落したら彼等の墓前に手を合わせに行こうと思う。
「みんな、お疲れ様。ここからは楽しくやろう」
「……はい」
亡くなった人々との思い出を大切にするのは良いことだが、気を病み続けて死に引っ張られてはいけない。この先、亡くなった人々の分も懸命に生きることが何よりの供養になる。
「では、お酒を――」
千歳さんが持って来てくれた高価なお酒をティスタ先生が一気飲みしていた。
「……ぷっはー! あー……これですよ……」
「先生、一気飲みは体に悪いですから」
相変わらずの飲みっぷり。僕が昏睡していた1ヵ月の間も相当飲みまくっていたのだとか。彼女の肝臓が心配である。
「大丈夫、明日は休みですし、この日に備えて体調も整えてきましたから」
「うーん……」
いざとなったら僕の治癒魔術で肝臓を治せばいいかもなんて考えながら、僕もソフトドリンクに口を付ける。
あっという間に泥酔していくティスタ先生を見て、千歳さんと兄弟子も笑っている。久しぶりに穏やかで楽しい時間を過ごしている中、千歳さんは急に立ち上がったかと思うと、事務所から何か書類を持ってきた。
「さて、メインイベント。トーヤ君の卒業式をはじめよう」
「えぇっ!?」
「トーヤ君が昏睡している間にキミの高校の卒業式は終わってしまったからね。特例として、キミのおばあ様が高校から卒業証書を預かってくれていたそうだ。ちょっと遅くなってしまったけれど、卒業おめでとう!」
千歳さんから卒業証書を受け取って、兄弟子が用意してくれていた賞状筒に卒業証書を丸めて入れる。色々あって忘れていたが、無事に高校を卒業することができた。
「ありがとうございます。本当にお世話になってばかりで……」
「いいや、お礼を言うのはこちらの方だ。キミが来てくれてから、便利屋の状況も色々と変わったからね。そこの飲んだくれが真面目に働くようになってくれたし」
ティスタ先生に視線を向けると、卒業証書を手にした僕を見て号泣している。
「お、おめ、おめでどうぅぅぅ~~~……」
「先生、ありがとうございます。落ち着いてください……」
そういえば、僕が正式に魔術師となった時もしばらく泣いていた。ちょっと気恥ずかしいが、こうして喜んでくれる人が身近にいるのは本当に嬉しいものだ。
……………
卒業式を兼ねた慰労会が終わった後、本日は解散の流れとなった。ティスタ先生は、お酒を飲み過ぎてイスに座ったまま寝てしまっている。
「トーヤさん、悪いけどティスタさんのことをお願いしていいかな。片付けは俺がやっておくからさ」
「すみません、兄弟子。お言葉に甘えさせていただきます」
後片付けを兄弟子に任せて、ティスタ先生を仮眠室に運ぶ。
先生の私室となっている仮眠室の扉を開けると、ビールやチューハイの空き缶がテーブルの上に大量に並んでいた。僕が昏睡している期間中に酒浸りだったみたいなので、散らかっているのは僕の責任でもある。
「先生、お部屋ですよ。ベッドに運びますね」
「あーい……」
「お部屋も少し片付けておきますね」
「よろしくー……」
いざという時は頼りになるのに、気が抜けた途端にだらしなくなってしまう。そんなギャップも先生の魅力なんだと思う。
空き缶を回収して、ベッドの上で寝ているティスタ先生に視線を向ける。ウトウトとしながら僕の様子を伺っていた。思わず心臓の鼓動が速くなる。
ゆっくりと起き上がった先生はベッドの上にちょこんと座って、僕に向けて手招きをしてくる。
「先生、だいぶ酔ってますね。はい、お水」
「んへへ、そーですねぇ……ありがと……」
ティスタ先生はベッドの上に座って、両手で膝をポンポンと叩きながら笑顔を浮かべている。膝枕をしてくれるみたいだ。
「いやぁ、さすがに恥ずかし――」
「嫌なんですか……?」
「ありがとうございますっ! 喜んでっ!」
断ったら泣き出してしまいそうだったので、僕は膝枕のお誘いを素直に受けることにした。
憧れの女性に膝枕をされるなんて、これ以上の幸せが他にあるだろうか。死にかけるまで頑張ったご褒美かもしれない。
夜の部屋、ベッドの上で先生とふたりきり。ゆっくり話すなら今が一番いいタイミングだ。労るように頭を撫で続けてくれる先生に向けて、僕は今後のことについて話すことにした。
「……先生、これからのことなんですけれど」
「今後の進路のことでしょうか?」
「はい」
先生は、僕が何を話したいのかわかっている様子だった。
正式な魔術師として認められたことで国から定期的にお金が入るし、先日の一件を解決した報酬として頂いた資金もある。今の環境を活かして、どうしてもやりたいことがあった。
「実は、いったん日本を離れて世界を見て回りたいなと思っているんです」
ティスタ先生と同じように、世界の様々なものを見て回りたい。
世界の現実を、自分の目で確認したい。魔族や半魔族、魔術師と人間の真の意味での共存ができるのか、答えを知りたい。
「魔族に対する偏見や差別が当然のことになっている情勢を考えると、世界を渡るのは良いことばかりではないと思いますが、それでも自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じて、世界を見て回りたいんです」
ガーユスの言葉も旅立ちを決める切っ掛けだった。僕は、世界を何も知らない。魔術師になったからには無知のままではいられない。現実を、人間と魔族の共存に必要なものを、何をするべきかを知るために必要な経験をしたい。
「……ちゃんと帰ってきてくれますか?」
僕の頭を撫で続けながら、先生は少し寂しそうに聞いてくる。
「もちろんです。僕の居場所は便利屋ですから」
「…………」
しばらく沈黙が続く。
先生自身、自分の足で世界を渡り歩いたと聞いている。どうしようもない現実を何度も叩き付けられて、世の中に絶望していた。
先生の心境を考えると、僕を笑って送り出すことができないのは理解できる。
「先生。僕は大丈夫ですから」
「……わかりました。覚悟が決まっているのなら引き留めるのは野暮というものですね。でも、ちゃんと帰ってきてくれるようにしないと」
「え? ちょっと、先生――」
いつの間にかベッドの上に寝かされていた。何が起きたのか理解ができずに混乱していると、ティスタ先生は僕の体の上に馬乗りになってくる。
「帰ってくるまで、私のことを忘れないでね……?」
両手で顔を包まれながら、優しく唇同士を合わせる。
「……ねっ。これで忘れない」
「…………はい」
人生で初めての経験。顔を真っ赤にして固まる僕を見下ろしながら、ティスタ先生は穏やかに笑っている。ここまでしてもらって忘れるはずもない。
魔術師として認められて、共に死線を乗り越えた今、僕達を隔てるものは一切無い。今はただ、愛する女性として――。