第八十九話:春期講習最終回、あるいは煉獄前夜
『――前から思ってたんですが、あなたの前世はゴキブリか蚊だと思いますよ。居るだけで不快な点がそっくりだ』
『やれやれ、ユスティくん。虫けらほどの頭も無い生徒のため、こんな夜遅くまで付き合う熱心な先生に向かってなんて態度だ。
いくら死を高潔などと盲信している、馬鹿軍人を目指しているものとはいえ、せめて平時ぐらいは倫理道徳、礼儀作法をに則った振る舞いをするべきだと思わないか?』
『何てこった! その馬鹿に守られてる薬漬け、酒漬け、おまけにヤニまみれの穀潰しの糞ったれが、倫理道徳を語るとは!
猿が進化して人間になったって言うぐらい驚きだ! どうです?社会のため人のため、さっさとその肩の上に乗った糞をホルマリン漬けにして貰ったら!』
『ハハ、君こそのその糞を立派な庭の肥料にしたらどうだい? 何時ぞやは幾つも血の花咲かせていたじゃないか。
そうだ! 君こそ、馬鹿は死んでも治らないって、世間に教えてやったらどうだ?』
『ご謙遜を、うちの庭なんてあなたのその、年がら年中お花畑な頭には劣りますとも、何時でも天国に吹っ飛べてるようで羨ましい限りです』
『言うようになったな、少年。――いい加減、男を罵倒するか、雌の畜生を口説くか以外に役に立たないその口縫い付けるぞ?』
『良いですね、あなたみたいにそんな泥水啜るぐらいなら、縫われた方がマシだ』
『ほう……いい機会だ、葉っぱの絞り汁飲んで悦に入るその変態性、年上としてどうにかしないといけないと思ってたんだよ』
ゴーン、ゴーン……。とびきり頭の悪い会話を、歴史を刻む音が遮る。
――午前零時を告げる鐘の音だ。良い子は夢の中で、悪い子は親をやり過ごした布団の中で、この音を聞いているのだろう。
恋人にとっては睦言を遮るおじゃま虫、夫婦にとっては語らいを終えて寝床につく合図。
衛兵が仮眠から起こされ愚痴を吐き、泥棒が都へと出勤する。酔っぱらいが店をでて涼み、妻が怒って錠をかける。
そして、俺にとっては祝いを告げる鐘の音だ。
パチンと指を弾き、俺は泥水、もといコーヒーに口をつける。少し冷めたそれは、渇いた喉にはぴったりだ。
本当はパイプでも吹かしたいところが……あいにく、この家は自室以外じゃ禁煙だ(もっとも、自室で吸っても嫌な顔はされる)。
『おめでとう、ユスティくん。と言っても、これは自分に向けてもだがね。
いやはや、これでユスティくんに声をかけるのに気を使わずに済むわけだ。実にめでたい、そうだろう?』
『気を使う、なんて言葉をあなたが知っていたことがですか? それはめでたいですね、実行してくれれば言うことなしです』
コロリと気配を変えて尋ねる俺に、ユスティは動じず、サラリと嫌味を吐いてくる。
ここ最近は挑発も兼ねて、こうした会話を頻繁にしていた所為か、どうにも俺とユスティとの会話には棘を伴う。
もっとも、無理もあるまい俺も俺みたいな奴と会話してたら持ってる物を頭に叩きつける。
血の噴水でも上がれば、大笑いしてやることだろう。いや、実際にはしないけども、さすがにそんなに情緒不安定じゃない。
『これはまたキツいお言葉だ。どうにも、あった時に比べて随分と口が悪くなったように思えるんだけど、何が原因だ?』
『さぁ? 強いていうなら、先生と本音でぶつかってたら自然に、ですかね』
『ほぉ、生徒と本音で話し合えるとはいい先生だったようだね』
『まったく最高の先生でしたよ。下品なのと、煙草吸うのと、酒と薬、不快な笑みが無ければもっとね』
『カカカ、あんまりわがまま言うのはよした方がいいぞ。先生だって人間だ、そして欠点のない人間なんて居ない。だろう?』
『欠点"しか"の間違いでしょう』
フーッと不味そうにため息を吐いて、ユスティが椅子にもたれかかる。
その顔からは嫌気や鬱憤などといったものを差し置けば、疲労の色が濃い。
つまり、何時もどおりってことだ。少なくとも、俺を目の前にしたユスティの態度としては。
うーむ、顧みればみるほど、自己嫌悪が止まらない。おそらく、鏡に意思があれば、多くの人が俺と同じ気持ちを抱くことだろう。
『冗談はともかく、魂の方はどうだ?』
『微妙に体がだるいですが、他にはとくに。やろうと思えば、一晩中あなたとの楽しい楽しいトークに付き合えそうですよ』
『そいつは何よりだ。だが、君のことだから心配はしていないが……間違っても、手袋を外そうなどと考えるないでくれよ。
春期講習を通して、君は"魂の操作"が出来るようになったんじゃないんだからな。
うん、丁度いい機会だ。明日の学校の前に一つ、俺が春期講習について復習しよう』
『……お願いします。僕はちょっと紅茶を淹れて来ますけど、あなたは?』
『お願いするとしよう。もちろん、コーヒーで頼むよ。そうだな、次は砂糖を多めに入れてくれ、その方が言葉が纏まりそうだ』
『分かりました。ではどうぞ、話の続きを作業しながら聞いてますので』
事務的に言い終え、ユスティが席を立つ。余所余所しい態度のお陰で、どうにも座りが悪い。
普段なら煙草やパイプで来るまでの間を繋ぐ所なのだが、どうぞ、と言われては話さざるをえない(重ねて言えば、禁煙だ)。
空に話すのも気持ち悪いので、台所に立つユスティの背を視界に入れてから、俺は話し始めた。
『この春期講習前半はひたすら俺は君を殺したし、君は俺に殺された。
これはまぁ、蘇生過程で魂を感じるとともに、死ぬ間際まで追い込むことで魂を燃やすの"スイッチ"を押す感覚を養うためだ』
『そういう意図であんな虐殺週間を過ごす羽目になったんですね。
てっきり、週に百人は殺さないと気がすまない性癖なのかと思ってましたよ。もしくは、よほどの改築好きか』
言われて見回す家内は、修繕を重ねてつぎはぎじみた様相を呈している。古びた絨毯は、固まった地でまだら模様になっていた。
声に険が含まれているのは、気のせいじゃないだろうな……いや、それにしたって暴れたのは俺じゃないし。
脳裏をかすめる、攻撃を後ろにいなした感触と崩落音……を、早々に脳内から抹消する。
馴染みの大工も出来たし、良いじゃないか! などどほざくと、この寒空の中にほっぽり出されそうなので自重して、俺は誤魔化すように唸りながら話を続ける。
『……一度、俺の人物像を君に問いただす必要がありそうだ。君の場合、鞭もろうそくもなしに話してくれるだろうから、手間がなくていい。
まぁ、ともかく春期講習の前半で、君は"スイッチ"を押すことを覚えた。
そして、後半。やってることといえば、前半の血生臭さがどこへやら、とびきり普通な日常生活! ってな訳だったよな』
『死んだはずの凶悪犯罪者が、住み込みで働いているという一点を除けば、頷けますね』
『この後半は、反射的に、無意識的に、息をするように"スイッチ"を押せるようにしただけだ。
さほど重要じゃないように思えるが、もしパンを咥えて角を曲がった先に、死刑囚が憎む悪い人がいたら大変だろう?
暴走は食い止めたけれど、被害が出た後でした! じゃあ、意味ないからなっと、ありがとう』
チクチクと刺さる言葉を無視して話し続けていると、湯気を出したコーヒーが前に運ばれて来た。
すぅ、と匂いを嗅げば、コーヒー特有の頭が冴えるような香り。残り香には、砂糖のほのかに甘い香り。
口をつければ、注文通り苦味に混じって中々強い甘みを感じる、砂糖多めの一杯だ。
一つ、二つと口を付けた所で、ほっと一息ついて、やや滑らかになった口を動かす。
『さて、ここで一つ君に訊きたい。前半と後半で大きく違ったことが一つある、それは何だと思う?』
『僕が意識を保てた時間、でしょう?』
『優秀な生徒を持てて嬉しいよ、その通りだ。前半は長くてせいぜい三十分で気を失っていたのに対し、後半はいまこうして会話しているように一日近く保っている上に、まだ余力がある』
もっとも、普通は気を失うじゃすまないんだけどな……。魂を消費しきったら、普通は天国へ一直線。
ディーガンが助かったのは例外中の例外だ、俺と先生が居たからどうにかなったに過ぎない。
魂とは、即ち生命の根幹。これを無くせば、体が生きようとしてくれない。平たく言って、あらゆるものに対する抵抗力がなくなる。
幸い、俺はそこまで消費したことはないし、ユスティの場合は能力がそれを防いでくれる。
こうして思い直すと、目の前のが異能者という極々小さな輪の中でも、飛び抜けて外れているのがよく分かる。
まぁ、その能力の引き換えにでっかい爆弾抱えることになるから、この世は上手く出来てる。
笑みに皮肉めいたものが混ざるのを感じつつ、俺は喉を少し潤してから話を続ける。
『だからと言って、君が魂を調整できるようになった訳じゃない|。
結果的に言えば、君は縛めを解除するために消費する魂の量を抑えていることになるんだが、その調整は体が自動でやってくれてる。
何しろ、"魂の燃焼"というのは、魔力に比べてどうにも効率が悪い上に、負担も大きい。
例えるなら、そうだな……魔力灯が良いな。
魂を燃やすということは、あれの光量を上げようと、一しか魔力が入らないところを十、二十突っ込むような荒業なんだよ。
光量はあがるかもしれないが、元々の仕組みに手を加えない以上、限界があるのに加えて、間違いなく寿命が縮む。
魔力機器の場合は、修理するまもなくそのまま廃棄。生き物の場合は、治りはするが時間がかかる。
体もそこら辺分かってるんだろうな、封印を外れてる時と、そうじゃない時じゃ火勢が違うんだろう』
俺自身は体験したことがないので(そもそも、俺は異能者では無いし)、憶測混じりになるのは致し方ない。
反論が来ないと言うことは、ユスティ自身似たような感覚はあったのだろう、と見当を付けて、ようやくこの長い話のまとめにかかる。
『封印を解けば、力も強くなるが縛めも強くなる。それに合わせて、縛めを振りほどこうとする魂の火勢も強くなる。
その必要量の差を察して、ちょうどいい塩梅ってのを、体が勝手に判断してくれている確率は高い。
と言っても、細かい調整が出来るとは思いづらいから、実際に必要な量より多めに消費されてるだろうけどね。
事実、あの夜《・はずいぶんと長い時間保っていたみたいだ』
『緊急時に合わせて、縛めに掛ける魂の量を抑えた……そういう事ですか?』
『と、俺は推測してる。俺だって異能の専門家って訳じゃないからな、事実はどうか知らない。魂の定義だって怪しいものだ。
だから精々できる事といえば、黎明期の科学者のように、実体験から推測を重ねることだけさ』
言葉を切り、コーヒーを一気に飲み干す。言葉を繰り続けた脳は、どうにも糖分不足気味だったからだ。
話し続けたせいで、喉がいがらっぽくなっていたこともある。体が煙を欲しがるが、あと少しだけ我慢してもらわないとならない。
乾きに似た欲を感じながらも、俺は話を結ぶため口を開く。
『……とまぁ、春期講習の復習はこんなものかな。
この話をしたのは、いま自分が何が出来るのか、何をしていたのかの確認と……次からが本番だってことを伝えたかったのさ』
『魂の操作、ですね。嫌味なく、春期講習の解説はありがたかったですけれど、あなたからしたら必要は無かったのでは?』
『増長されたら困るから、と言いたいところだが……ま、せっかくの教え子が死んでも詰まらんからな』
『……よく分かりませんね、あなたは。殺戮者の癖に、そんなことを言うのも。常にふざけた顔しているのに、今みたいに寂しげに呟いたりもするのも』
渇いた笑みで呟くユスティの疑問に、俺は何も口にしない。
出来ないと言ったほうが正しいのか、どうにも自分でもよく分からないが、少なくとも俺にはその答えが分からない。
よく分からないのは俺も同じだよ。あるいは酒が入っていたら、そのように答えたのかもしれない。
こうしてここに居ることすら、俺にはよく分かっていない。レウスの約束を守らねば、などと思いはしたが、そんな上等な感情を俺が保っている気がしない。
そもそも、俺は何で生きているのかも分からない。さっさと、變化して別人に成り變化ってしまえば良いというのに。
この世にどれほど名残があることだろう、無いとは言わないが、あの世ほどじゃないだろう。
紅色の名残は惜しくこの世に足を止めさせるが、あの世に幻視る温もりは俺の心を掴んでやまない。
その上、ルフト=ゼーレの人生は一度幕を閉じた、俺が自分で閉ざしたのだ。己の信条を曲げてでも、自分で。
ならば、早々にこの世から立ち去るべきではないだろうか?
罪悪感など微塵もないけれど、お前はもう――『ちょっと、ちょっと!』
ずんずんと思考の淵へと潜って行く俺を、決してやさしくはない声が引き止める。
『あなたがいったい何を考えてるのかも、二年は遅い罪悪感とやらがこみ上げて来てあなたが自殺しようと、
どうでもいいですし、後者は喜んでお助けしますが、何ににしろ僕に知ってる異能の知識を一から十まで教えてからにしてくださいよ』
引き止めるどころか、身ぐるみ剥いで突き落とす気だった。
――だがそれが、妙に心地よかった。別に男色や被虐趣味に目覚めた訳じゃない。
多分、彼女なら同じように突き放しただろうから、だろうな。やれやれ全く、女々しいというか一途というか。
こんな自分が割りと好きなのも困りモノだ。その上、こんな自分だったと気付かされたのが目の前の少年だというのが、癪でたまらない。
オッケーオッケー、ネガるのは後にしよう。この世を憂うのは悲観主義者と、大人ぶった子供だけで充分だ。
大体、何で生きてるのかなんて、この世に生まれて来たやつで答えれる奴は居ないだろうよ。居たらそいつの頭はこの世に居ない。
ほんの数秒前の自分をコケにして、頬を釣り上げる。鏡はないが、常のような不快な笑みでは無い気がする。
本当に認めたくないことが、目の前のガキのお陰で、やりたいことも出来た、と言うより目をそらしていただけだったのだろう。
第二の人生。まずは、第一の未練から晴らすことにしよう――彼女に会うのが、俺の第二の人生、第一の目標だ。
彼女なら、俺がどういった奴で、いまはどう変わってしまったのか、教えてくれる気がするから。
『一から十どころか、十から百、百から千まで、手取り首取り教えてやるよ。先生に生意気言う子にはそれぐらいしないとなぁ。
出来の悪い子ほど可愛い、なんて言葉信じちゃあいなかったが。やっぱり、昔の人は偉大だな、今とてつもなく納得してるよ』
『……その顔は初めて見ますね、悪い顔してますよ。造形的にも性格的にも、おまけに根性まで捻くれてる顔だ』
『生徒にお褒めいただき光栄だ、雇われた身としては思わず尻尾を振りたくなる。
そうだ! "魂の操作"、元々見せる予定だったが、予定を今日に変更するとしよう!』
『いや、それはさすがに、明日から学校が始まりますし』
『は?』
『いやその、学校が』
『は?』
『がっ』
『は?』
『……分かりました、お願いします』
『さすが我が生徒、やる気があって何よりだ!』
遠い目をするユスティを尻目に一人で盛り上がる。露骨なため息が聞こえてるくるが、幸せが逃げるからと鳩尾に一発打ち込んでおいた。
うずくまっ……集中した体勢で、こちらを睨みつ……一挙動も見逃さないという、熱心な目つきで見てくるその目元には涙が浮かんでいる、感激しているのだろう、大げさなことだ。
教師が生徒のために時間を割くなど普通なことなのになぁ。内心で苦笑を浮かべながらも、僭越ながらこの俺は教鞭を執ることにした。
『魂の操作を訓練するにあたって、初めにやることは"瞑想"だ。目を閉じて、己とか世界とか多分そんなものに語りかける、あれ。
普通なら、鼻水垂らしてるようなチンチクリンのガキでもしてるようなことを、十八にもなってやるのは屈辱だろうが、我慢だ。
"スイッチ"を切り替えれるっつーことは、魂に一時的にとはいえ触れる事ができるっていうこと。
今度はそれをガッツリ掴んで、グニャグニャと自分の思うままに動かせるよう、どうにかしろ』
『どうにかしろって……』
『感覚的なもんだから、俺が口を出せる部分は多くないんだよ。強いていうなら、"スイッチ"を押しっぱなしにするのが第一段階。
押した後に指を離すなってことだ。そこから徐々に、触れる面積を増やし……操る。オーケー?』
『了承したくないですが、オーケー以外の選択肢は無いんでしょうね』
『よくご存知のようで結構だ。それが出来たら、次は動的に……曖昧な言い方はよすか。戦闘時でも出来るようにする訓練だ。
これをまずは封印を付けた状態で、左手右手と順に外して、最後に両手外して晴れてお前は自由の身だ。感動的なまでに簡単だろう?』
『言うだけなら、でしょう。それも無責任に。ホント、子供のお使いが境の大山脈頭頂に思えるぐらいに簡単だ。
実行するのはそれこそ、人界に歩き渡って、サーカス団で大成功収めるぐらいに簡単でしょうね!』
ヤケ気味に毒づくユスティを見て、カカカと声を上げて笑う。この前の分も含めたし返し、こいつでスッキリした。
本人からしたらたまったものじゃ無いだろうが、俺は心地いいので問題なし。人間としては、いろいろ問題あり。
にやけながら煙草を胸元から取り出すと、ギロリと睨まれはしたが、席を立ってちょちょいと付いてくるよう指で示すと、不承不承といった態度でユスティが俺の後ろを付いてくる。
修繕されたばかりの玄関を抜けると、冷たい夜気が吹き抜ける。
お陰で、玄関の新築めいた匂いと、湿った外の匂いがないまぜになり、口にしがたい匂いを醸し出す。
若干、意気をくじかれつつも鼻に手を当てつつも、無言で歩く。足音がレンガの硬い音から、芝生を踏むざらついた音に変わってから、およそ十歩、庭の真ん中辺りで足を止めて振り返る。
同じく足を止めたユスティとの距離は、およそ大股三歩ほど、警戒されてるのが見て取れる。
月明かりは薄暗く、顔は少し見えづらい……のだろう、向こうからしたら。
目を少しいじれば、例え新月の夜だろうと、真昼とさほど変わらない。趣がないから、普段は使っちゃいないが。
警戒するのはいいが、表情、目線、その他もろもろの情報が取れなくなることの危なさはいつか教えないとな。
などと、考えつつ、俺は一つ問いを投げかけた。
『時に訊きたいんだが、俺の第一印象はどうだった?』
『わざわざ外に連れ出して、訊きたいことがそれですか? まさか、煙草が吸いたかったから、なんてほざきませんよね?』
『そりゃあ、吸いたいから来たのもあるが、こいつは大事な質問だよ。
まぁいい、それじゃあ勝手に予想しよう……たぶん、ひどく怖ろしかったんじゃないか?』
『ッ……!』
煙草を吹かしながら話を進める俺を、ユスティが睨んでくる。警戒が強まってるのが、ビリビリと肌を灼く敵意から伝わってくる。
思い出し笑いならぬ、思い出し恐怖か? それとも、恐怖してただろうと読まれたことが恐いのか。
もう何が恐いやら分からなくて、恐いなぁ。ともかく、この様子では話しづらいと、ユスティが口を開くのを待つ。
あー、煙草が美味い。人界に居た時は、イレーナと一緒で嫌煙家だったものだが、いざ吸ってみるとこいつは手放せなくなるなー……。
『……仰るとおり、あの時はいくら離れてもあなたのその嫌らしい気配が消えませんでした。
けど、見えを張る訳じゃありませんが、怖ろしいと言うよりは、気味が悪いと言ったほうが適当だと思います。今となっては、ですが』
『なるほど。それじゃあ、春期講習の一日目はどうだった?』
『今こうして向かい合ってる時と同じで、唾を吐き捨てくなるほど不快ではありますが、恐ろしさはさほど』
『お前はいちいち俺に対して、一言物申さないと気がすまないのかよ。ったく、まぁいい、それじゃあ最後に一つ言いたいことがある』
『なんですか』
『俺、こう見えてすっごく気を使ってたんだぜ?』
その一言を合図に、俺は魂から気を抜いた。
ネクタイをほどくような、長かった緊張を解く際の解放感に、俺の全身が悦びを訴える。
こんなにも俺の体は軽く、滑らかだったのかと、毎度のことながら驚きを隠せない。
そうして、小躍りでもしたい気分な生き物は俺だけで。
周囲の林からは寝ていた鳥が夜空に慌てて飛び立ち、ユスティはガチガチと噛み合わない歯の根を鳴らして、全身を震わせ立ち竦んでいる。
何せ、幾百人分詰め込んでるからなぁ……。白い煙をしながら、俺はコキコキと首を鳴らす
そう、ユスティが、と言うより生き物が俺に恐怖を抱く理由はシンプルなものだ。
一に数百の前に立つという物量的恐怖、ニにそれが怨讐めいた意気を放っていること。
――三にそれが一人であるという、違和感からくる生理的嫌悪、理解を超えた未知に対する恐怖だ。
想像しにくければ、どいつもこいつも血走った目をした数百体の屍体で作られた一人の肉が俺だ。
うむ、言ってて、自分でも想像できない。ついでに言えば、俺自身には正直に言えば分からないから、伝達不可能だ。
しばらく待てば良いかと、一本を吸い尽くしては見たが、未だにヒューヒューとこちらに音が聞こえるほど、呼吸が荒い。
ここで"スイッチ"を押さない辺り、まだまだだな。いい加減、どうにかしてやりたいが……近づくわけにも行かない。
あーならここは一つ、ショック療法といきますか。
『スゥ――――』
意識して、俺はカチリと魂にある"スイッチ"を押す。そうして生じる燃焼は一瞬、それだけで充分だ。
伴う意志は叫び。獣の雄叫び(シャウト)、人魔の戦叫が如く、音無き魂の咆哮を――叩きつける!
『ZUIIGAAAAAAAA――!!』
威嚇行為をあらん限り強化した、魂に訴えかける威圧は実の声と共に放たれる。
これはとある伝説を俺なりに再現したもので、元のものとは比べるのすらおこがましいほど劣化しているが、それでも効果は絶大だった。
俺の咆哮に当てられ、トン、とユスティが放心した様子でその場に尻餅をつく。
ぼぅ、とこちらを見る表情は諦観と絶望で構成されていた。他にもいろいろ言及したい部分はあるのだが、本人の名誉のためにここは口をつぐむ。
久しぶりで加減が云々……の前に、ただでさえ怯えてる人に刃物突きつけたら、狂乱するからこうなるかのどっちかですよね……。
自分の頬が自然と引き攣るのを感じる中、脳裏でどっかの赤髪の声が響く。
『馬鹿かお前は! 大方、ものぐさ半分面白さ半分でこんなことしたのだろうが、その後どうなるかを考え……』
あー、五月蝿い。脳内に響き渡る説教に、思わず両手で耳をふさぐ。もちろん、意味は無いので最後まで聞かされた。
しかし……本当にやりすぎたな。いや、失敗失敗。と、煙草を吸いつつ、ペチペチとユスティの頬を軽く叩く。
目をパチクリと見開きしたのを確認してから、二、三歩後ろに下がる。
その後、特に何をするでもなくスパスパ健康に悪影響を与えている俺に対し、ぼそりとユスティが一言。
『前言撤回、死んでくれませんかね、あなた』
ズボンを濡らした少年の一言はどこまでも辛辣で、その目は何よりも寒々しかった。