第八十八話:春期講習第一回
俺こと、ルフト=ゼーレの朝はそこそこ遅い――のだが、今日はすこしばかり早かった。
『行ってきます!』
俺に向けた訳では無いだろう、ユスティの出発の挨拶が遠くに聞いて、俺は意味を成さない声をあげながらのそりと布団を出る。
寝過ぎで痛む頭に閉口しつつ、壁に掛けたボロボロのコートに袖を通して時計をチラリ、時刻は八時二十分。
わざわざ死にに行くために、せっせと学舎に通わないといけないのだから、やれやれ、学生様は大変だ。
などと肩をすくめて、コートから薄汚れたパイプと葉の入った袋を取り出す。
薄汚れた袋には、懐かしき人界の文字でこう書かれている――Paradiso・Scorciatoia――天国への近道と。
何時見ても、最高に活かしたネーミングだ。鼻を鳴らしながら、指で袋を弾く。
魔界ではどうか知らないが、人界では第二級規制医薬品として扱われるこの葉っぱは、俗にいう麻薬だ。
感覚の鈍化、気分の高揚、筋力の強化などの効能を持つのこいつは、主に国によって最前線の兵士に支給される。
要は、戦争を目の前にして、ガタガタ震えてションベン漏らしてる新兵へに渡す甘~い飴。
副作用は、薬が切れた後の虚脱感に、筋肉や神経の損傷などなど。中には、頭の血管が切れて死ぬものもいるそうだ。
だからどうした、どうせ明日とも知れぬ命、ならば生きてる今を大事にすることこそが寛容だ。
そうして、何時やら頭は薬漬け配給量だけでは足りず、剣林弾雨に身を晒して得るわずかな金は、全て国へと還元される。
まったくもって、国は実に兵隊連中の心理をよく理解している。上の奴らは、どいつもこいつもマザコンらしい。
人の気持ちが分かる人になりなさい。そんな母親の教えを、大人になってもきっちり守っているのだから。
表向きは兵士への慰労、ないし戦力の増強。後者は嘘でもないのだろうが、ホントの目的はやはり金だろう。
大義名分の癖して、実際に学生に毛の生えたような新兵が、少しはマシはなるから胸糞悪い。
ヤク漬けの新兵共が、壊れた笑みを浮かべて飛びかかる。
血や脳漿が飛び散る戦場、そのうち何割がヤク漬けなのか、気にするものなど居ない。
何にせよ葉っぱは、本人にも、敵兵にも、まさに天国への近道と言うわけだ。
第一次人魔大戦と呼ばれたぬるい戦争を終え、今、この戦争どちらも燃やし尽くしてしまいそうなほど激化している。
何時からか、戦争は第二次人魔大戦と呼ばれ始め、多くの軍人が二階級特進し、今じゃ軍人学校を卒業したら即……戦場だ。
魔界でも、人界でも――俺が引き起こした戦争は、いまこの時もありふれた悲劇をどこかで生み出している。
『強制徴募、学徒出陣なんて言い出さないだけ、まだましなんだろうが……』
罪悪感はあまり無い……なにせ、誰も彼もが喜び勇んで軍服をまとい、泣き叫びながら死んでいく。
強制徴募が実行されない理由はそれだ、馬鹿な奴らが己が栄光得られると、己は死なぬと盲目的に信じて軍人学校に入学するから。
平和ボケしているんだ、人間は。今までの残党狩りと同じ気持ちで戦場に行き、規律だった動きに唖然としながら死んでいく。
驕っているのだ、魔者は。何だあの貧弱な獲物はと襲いかかり、己が捨て置いた連携と技術の前にただ躯を積んでいく。
肉体で劣る人間と、技術と結束で劣る魔者。どちらが最終的な勝者になるかは明らかだ。
だが――いくら上等な弓矢を持っていようが、持ち主が子供なら、野獣に勝てるはずがない。
同じ学生同士なら、魔者側の勝利する確率は七割はかたい。だからなおさら、性質が悪い。
いずれは、子供でも容易に扱える武器が現れる可能性など、微塵も考えはしないのだ、魔者共は。
『人間も魔者も、そんなに命が要らねぇならくれよ、クソッタレ……!』
胸奥から止めどなく溢れ出るどす黒い感情。奥歯が砕け、視界が赤く染まる。
全身に満ちようとした汚泥に似た感情が、殺意の形を取ろうとした瞬間――嘘のように鎮まり、虚しさに似た何かが代わりに満ちる。
結局、いくら寝ていた所で本質は変わらないままか。
自嘲混じりに喉奥で笑い、葉っぱをパイプに詰める。葉のままでも、人を惑わせるような甘ったるい香りを放つそれを、擦ったマッチで炙る。
全体が赤らみ始めたらマッチの火を消し、ゆったり二度、三度とパイプを吸う。
そうして、膨らみ始める葉っぱを、マッチの反対側で押し詰め、適度に混ぜてゆっくり吸いつつもう一度炙る。
崖から一歩足を踏み出したくなるほどの虚脱感を、甘ったるい煙が埋めていく。
無性に何かを抱きしめたい、かと思えば全身を掻きむしりたくなるほど何かを砕いて壊して犯したい。
これの何が天国なんだか。頭の隅、いやになるほど冷静な自分が、自分自身の醜態を見て、せせら笑う。
その嘲笑に応じたように、はたと濁流のような衝動が止む。歪んでいた視界は、少なくとも俺の目にはたしかに写っているように思える。
そのまま、なんにも考えぬままプカリプカリとパイプを吸っていると、目に見えて部屋に煙が充満してくる。
これはイカンと窓を開ければ、溜まりに溜まった煙が我先にと温い梅風とすれ違って外へと出て行く。
『ん……いい風だねぇ……厳しい冬は過ぎ、優しい春がやってくる』
二度寝を誘うようなのどかな風に、瞳を閉じて悦に浸る。晴れやかな陽光は、全ての生物を虜にする麻薬だ。
いやいや、この喩えは我ながら酷い。言うならば……そう、惹かせて止まない絶世の美女、触れれば火傷しそうなほどの。
女性なら、美男子となるのだろうか? ……残念ながら、俺の頭には黒眼鏡を掛けた、テカリマッチョしか浮かんでこない。
『カカカ……まぁ、こういうのも久方ぶりだ。長いこと忌々しく思っていたが、なに存外悪くない。ゆっくり寝るのも大事だな』
先の思いと裏腹に、そんな言葉吐いて出る。どちらが本当なのか、自分でもよく分からない。
だがまぁ、いまはこの日和に浸っていよう……いつかまたどこかで、この時のことをよく思い出せるように。
そうしてまた、ニヤけた面で煙を吐く。健康的な朝日の下、不健康一直線な煙が立ち上る。
家から勝手に拝借した灰皿にトントンと吸い殻を落とし、近くにあった水差しを口に当てずにガブガブと飲み干す。
ようやく、腹が減ってきた。ユスティには事後承諾してもらうとして、少しばかり食料を拝借することにしよう。
◆◇◆◇◆◇
近くの(と言っても、徒歩十五分ほどだ)本屋で買った戦記小説の三巻を読み返しつつ、ブランデー・コーヒーの五杯目に手を掛ける。
数滴だったのは二杯目まで、徐々にブランデーの比率が多くなったそれは、コーヒー・ブランデーと言うべきだろうが。
その証拠に、ツンと指すようなアルコールの匂いの裏に、コーヒーのふわりと広がるような香りが隠れてしまっている。
とは言え、麻薬なんぞの香りよりはずっとマシだがね。
スパスパと朝から吸っていたジャンキーな自分を、さておいて思う。
ともあれ、心地よい酩酊感を味わいながら、小説の主人公の演説に胸を躍らせる。
元より男はこういうのが好きなものだが、このご時世、それに輪がかかっているようすで、戦記小説の棚はポツポツとしか本が置かれていなかった。
まぁ、活版印刷もつい最近やっと軌道に乗り始めたぐらいだからな、止むなしだろ。
そもそも本を残そうとする文化が、魔界にはあまり無いし。物書きなどほとんどヤクザ稼業だ。
ともかく、それでいて残ってるのは、それなり理由があるということだ。単純に面白く無い、見えづらい所に置かれている……。
『中身が鼻につく。よくもまぁ、こんなもの書けたものだ』
と言うのもこの小説、主人公の男は、他の魔者が忌避する人界の物を積極的に利用して、危うい事態を挽回する。
これがまた描写がリアルで、まるで見たかのようなのだが、これはまだ良い。
ま、読み物としては面白いね、などと鬼族の中でも比較的、理解がある(かつプライドが高い)鬼人なら言うだろう。
――問題は、本も終わりに差し掛かろうかという、この場面だ。
冷めたコーヒーを飲み干し、細めた目でゆっくりと文字を追う。酔いはいつの間にやら冷めていた。
自分が放った後方からの指示に従い、難攻不落と呼ばれた城を落とした、己が右腕というべき戦友の元を男は訪問する。
無論、戦友は男の訪問を喜び、周囲もこの勝利は男とその戦友のお陰だと、宴会が開かれる。
飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ、酔った戦友は誇らしげに男を讃え、お前と共にならこの国の王にすらなれると、拳を握る。
もう幾度目かになるその演説に男は困ったような苦笑を浮かべ、夜風を浴びると外へ散歩に出ていく。
酔っていた所為か、男はいつの間にやら道に迷い、やがて主戦場となった町の一角にたどり着く。
ボロボロになった民家、焼け焦げた商家の看板。人と魔者、どちらのものともつかない黒ずんだ血が辺りには飛び散っている。
男はふと冷静になり、ここの戦いで死んで行った兵を思い、寂寥な気持ちを抱く。
そのままフラフラと辺りを見まわっていると、路傍の隅に倒れた魔者の影を見つける。
ボソボソと声のようなものも聞こえる、男は慌てて影の元へ走り、その体を抱える。
抱えた瞬間、男は自分の抱えた影にもはや助かる見込みが無いことを確信し、せめて遺言はと、耳を寄せるが、もはや、声すらもまともに出せないのか、聞き取ることが出来ない。
そして――影からガクリと力が抜けた。死んだのだ。
間接的に、とは言え男は自分が殺したのだと、恥も身勝手も承知で、悪かったと、震える声で懺悔する。
ここまででも、戦時中、国の指導者共が抑えるのに苦労する、厭戦感情をいやというほど煽るというのに、この話には続きがある。
涙を零すまいと必死で顔を俯ける男に、優しく月光が注がれる。
図ったかのようなその月明かりに男は天を仰ぎ、キッと表情を引き締め、自分に付き従った多くの兵を殺したことを自覚し、これは自己満足だと自嘲しながら、せめてこの者の顔を忘れないようにと目を落とす。
そこに居たのは――――人間だった。
ここから、またこの主人公の男は人と魔者の関係やら、この大戦そのものについて疑問を抱きながらも、数々の成功を収め、軍の中で出世していくのだが、まぁそれは脇の置いておこう。
言わずとも分かるだろう、この小説が店頭で売れ残っている理由が。俺としては店頭に並べられてる理由が知りたいところだ。
良くもまぁ出版社が許可したもんだ、こんな作品。呆れながらも、胸から沸き上がる気持ちは感動の一言に尽きる。
どうにも、ふわふわとした気持ちにさせられ、頬が吊り上がってしょうが無いのだ。
この出版社に行ってみたい、この小説の作者にあってみたい、本心からそう思う。
とは言え、叶わない願いだとは分かっている。劇の男優女優に惚れ込む、彼彼女らの気持ちも少しは分かる気がしてきた。
なんとも言えない気持ちになりながら、左の胸裏から、しわくちゃの紙巻煙草の箱を取り出し、一本……。
『って、そういや切らしてたっけか』
どうにも麻薬を吸う気分ではない、同じ葉っぱでもいまは煙草の気分なのだ。
買いに行きたいところだが、あいにく人界の銘柄なんだよな……そもそも、こっちじゃ紙巻煙草自体珍しいし。
さてどうするかと、椅子に寄り掛かり音をギィギィ鳴らす。チラリと外の様子を見れば、陽が橙色に染まっていた。
しょうがない、一階で軽く何か摘んで、観光がてら紙巻煙草を探す旅に出るかと、重い腰を上げる。
すると、ギィィと悲鳴のような音を鳴らして、玄関の扉が開いていく。
その様子を自室から見届け、念のため眼球を広間に隠しておいて助かった。
ほっと、ため息混じりに呟きながら、袖の中から生える無数の蔦の一つから伝わる光景に意識を注ぐ。
『……ただいま』
『どーした、色男。学校の一つや二つ終わっただけで疲れた声だしてんじゃねーよ。今からそんなんだと、将来大変だぞぉ?
嫁が出来たら、夜にベッドで、あなたもっと元気だして、もういい私が元気にしてあげる。
子供出来たら、夕食時に、あなた、私の話聞いてるの!? 休日の昼にあなた、子どもと遊んであげてくださいよ!
孫が出来たら、早朝にあなた起きるのが早過ぎるのよ、まったく朝もゆっくり眠れやしない。なーんてなぁ』
『疲れてると分かってるなら、くだらないジョークは止めて貰いたいものですね』
『お固いねぇ、ナニの時もその調子だと、将来の彼女も嫁さんも喜ぶぞ』
『…………』
怒気を隠さそうともせず、ユスティは周囲に目をやる。自然と右手が左の手袋に掛かっているのには、気づいて居ない様子だ。
ま、今すぐ飛び掛かってる事もなさそうだけどな。声でギリギリ、顔を見せれば即アウトか、コミュニケーション取りづらいねぇ。
広間の瞳を閉じると、無意識に体はユスティの方へと向いていた。そこに今はまだ話し相手は居らず、大きな姿見だけがある。
鏡に映るのは、無精髭を蓄えたうだつのあがらない風体の男。
ボロボロのコートを着ているお陰で浮浪者にしか見えない、ボサボサの頭髪はその印象を裏付ける。
それだけなら、せいぜい避けられる程度だが、顔に浮かぶ不快なニヤケ面は、気の短いものであればすぐに殴りかかってきそうなほどだ。
何時からか癖になった、その不愉快な面から目を逸らすように、椅子を立つ。右手はいつの間にか、パイプを握っていた。
『おいおい、青筋浮かべるなよ、そんなの浮かべるのはアソコだけで充分だ。女は年がら年中浮かべてるがね』
『あなたの頭にはそのことしか無いんですか』
『男なんてそんなもんだろ、年がら年中、上は下のことしか考えてない。
男の本音が知りたけりゃ、女は目や顔を見るよりも、ガミガミ問い詰めるよりも先に勲章を調べりゃいい。それで大抵のことは分かる。
とまぁ、そんな話はどーでもいいんだ。ユスティくん、その年頃だと気になるのはわかるが、偶には知的な話をしよう。
そうだな、今日はいやに遅かったが、何かあったのかい?』
『ハァ……特に何も。強いていうなら、ちょっと友人に担がれて、春季自主訓練期間の学校に登校して来ただけですよ。
あなたも知っての通り、どうやら僕は二週間ほど行方不明になっていたようですから』
適当に言葉を繰る俺に対し、無駄口を閉じさせるのは無理と悟ったのか、詰るような声色は残しつつ、ユスティは淡々と話を進める。
嫌われてるねぇ、カカカ。苦笑しながら、パイプを口に咥える。
遠く、広間を映す瞳に再び意識を集中すると、ユスティはあからさまに疲れた表情でソファに倒れこんでいた。
見えてないと思って、油断して……ま、何時も険しい顔しか見てないから、偶にはこういう面を見てもいいだろう。
瞳を閉じて、枕元の机においたマッチ箱を手にとり、机に体を預け、広間にある口を動かす。
『そんな責めるような言い方は止めて貰いたいな、確認しなかった君が悪いんだよ。
寝てる間に何もされていないなどと、なんで思った? 寝て起きたら一日が立つとでも? 自分を基準にしないで欲しいねぇ。
大体だね、普通の学生ならともかく、ゼルフに会っていながら考えが甘いにも程がある。
せっかく手に入れた人形で、人間が遊んでみないわけがないだろう? どんなに、手荒に扱っても問題無いなら、なおさらだ』
『確かに、認識が甘かったのは認めますよ。
義父にもこんな時間までお説教されてしまいましたし、義母には泣かれてしまいました。
……まったく、思えば帰る間ずっと、いやに彼女の機嫌が良かった筈だ』
末尾は独り言めいたボソボソとした口調でユスティが嘆く。いや、嘆くというより惚気っぽいなこいつは。
口元が少しにやけてるぜ色男。そういう自分も、薄っすらと心地よい笑みを浮かべているのを、自覚しながら内心で呟く。
一瞬だけ、脳裏で揺れる優雅で雄々しい赤髪、もはや笑顔は記憶の奥底に埋もれてしまった、埋めてしまった。
そして、何時だって最後に頭のなかを流れるのは、俺の名を呼ぶ声、何時までも俺の後ろ髪を引くあの声だけだ。
口内に苦い味が広がるのを感じつつ、それを誤魔化すように、葉に火がついたパイプを咥える。
煙を吐き出し、甘い匂いは広がれども、何時までたっても苦い味は消えない。
滑稽だと、我が身を鼻で笑って、いよいよ本題を口にする。
『ユスティくん、君はどっちの話が先に知りたい』
『……どっち、とは?』
『嫌だな、分かってるだろう? ――レウス=フリートについてか、それとも君の異能を抑える手段についてか、だよ』
ユスティの顔から感情が抜け落ちる。正確にはそのような表情を取り繕っている。冷静な振りをして、深く息を吸い、彼は目蓋を閉じる。
わずかな間、ユスティが何を考え何を思ったのか分かろう筈がないが、きっと彼にとってはこの間はひどく長いものだったに違いない。
スゥっと目蓋が開き、青色の瞳が何かを見通すように天井に向けられる。
その真摯な表情を見て、茶化す言葉が無数に思いつくが、声には出せない。
ユスティが放つ静謐な雰囲気に呑まれてしまっている、間抜けに小さく開いた口からパイプが床に落ちる。
カランカランカラン……清涼な静けさの中で唐突に響く物音を合図に、静止していた時間が動き始める。
『――茶化すなよ、僕が訊きたいのがどちらかなんて分かっている筈だ』
『……確かに、悪かったよ謝ろう、ユスティ。それじゃ、改めて、まずは前提から話すことにしよう』
『前提……?』
『レウス=フリートは実在していたという、極めて重要な前提だ。
あいつはあいつの意志で、お前と言葉を交わし、共に物を食み――生きていた。
断じて、俺の演技芝居なんかじゃない。どうか、このことを信じて……』
『そんなの、とうの昔に分かってますよ。あなたみたいな性格が悪いのが、レウスさんを装えるわけがない。
……あの人はまぁ、ずいぶんといい性格してましたから。珍しく熱弁するのは結構ですが、やるなら身のある話を頼みますよ。
ホント、あれがあなたの演技だったなんて悪い冗談だ、くだらない冗談と同じくらい笑えない』
ぞんざいに答えるユスティの顔には、言葉とは裏腹に薄ら笑いが浮かんでいる。
ハッ、小憎たらしい顔しやがって、存外似合うじゃねぇか色男……目元の涙は見逃してやるよ、覚えてやがれ!
見えてやしないのに、わざとらしく眉を吊り上げ、鏡に向かって負け犬の如く遠吠える。
写る顔は、口をへの字に曲げようとしているが、微妙に口角が上がるせいで、どうにも間抜け面。
――チッ、さっきよりマシな面してやがって。ガキにしてやられて、悔しくねぇのか、えぇ?
一人でクルクルと表情を変えるおっさんをさて置き、ユスティが問いを投げかけてくる。
『それで、どういうカラクリで、レウスさんに成り代わったんです?』
『お前からしたら、そう思われてもしょうがないが……正確には、戻った、だ。
……なにせ、レウス=フリートとは、俺が生まれ変わった姿に他ならない』
『生まれ変わる……? ハッ、面白い冗談ですね、初めて嘲笑わせて頂きましたよ。
稀代の殺戮者、無貌の者は死した後、レウス=フリートとして転生していたとは……ふざけるのも大概にしろよ、外道』
『ふざけてないさ、俺は一度死んでいる。ならば一つ聞こう、ユスティ――お前にとって死とは何だ?』
『それは……心臓が止まったらですよ、他に何があるんです?』
『カカカ、心臓どころか、木っ端微塵にした所で生き返るお前がそんなことを言うとはな。
さすが、言うだけのことはあって、面白い冗談を言ってくれるじゃないか、えぇ?』
そうして、ドサッとベッドに腰掛けた時には、すでに顔にはふざけた笑みが戻っている。
それを隠すように右手を口元に添え、口寂しさからパイプが入っているはずの、右の胸裏に手を突っ込む。
しばしの沈黙、広間のソファに沈んだユスティの口元は、苛立ちからへの字に曲げられている。
だが、すぐに反論しないということは、自分でも腑に落ちていなかったのだろう。その証拠に、天井を仰ぐ瞳はどこか虚ろだ。
その様子を見て、逆に俺は一つの確信を抱いて、笑みを濃くして口を開く。
『よく思いだせよ、あいつも言っていただろう?
意志、記憶、思想、理念、理想……そんな曖昧なものが異なれば、それは他人だと――つまり、自分じゅ無いってな』
『……確かに言っていた覚えはあります。けれど、逆に訊きたい、あなたにとって"死"とは何なんですか?』
『"死"とは"魂の消失"だよ、ユスティくん。少なくとも俺はそう考える。ゆえに、俺は一度死んでるんだ。
ヒントを一つやるよ、俺の異能"変化士"は自分の体を変えるんじゃない、自分のものを変えるんだ。
良いか、自分のものだ。そこには当然……なぁ? 分かるだろう?』
『どういう……ッ! まさか、自分の心を……!?』
自分の思い当たった答えに、ユスティの目が見開く。
その様子を見て、煙混じりのため息を吐くとともに、ほんの一瞬だけ当時の様子を脳裏に浮かべる。
死に瀕した際の鋭さと鈍さが混じった独特の感覚、耳に焼き付いてはなれない呪言、自己が消えていく恐怖――無貌の闇。
まさしく、最悪の気分だったと、思い出してるうち、右手の先に何かが当たる
パイプ……じゃない、そういやパイプは落としてた。それじゃあ、これは……。
首を傾げながら、取り出しものは願って止まなかった紙巻煙草。
助かった、苦い口には煙草が良く合う。貴重な最後の一本に惜しみなく火を付け、そう旨くもない煙を深く吸いこむ。
……本当に最悪だった――だが何より、その最悪を容易に踏み越えた俺が許せないんだ。
目を閉じたくなるほど最悪の気分で、俺は煙とともにその答えを口にした。
『――變化えた。一年前夜のある日、ルフト=ゼーレは死に、レウス=フリートが生まれた。どうだ? まさに生まれ變化りだろう?』
気分とは裏腹に口からついで出る声は軽い。それが一層、俺の心をささくれ立たせる。
ユスティはそのあまりの答えに声が出ないようで、口がパクパクと動かしている。
とりあえず、愚痴のように煙を吐き捨てながら、ユスティが何か言うのを待つ。
時計の秒針が一つ二つと音を鳴らしてようやく、声変わりしたにしては高い声が家内に響いた。
『うそを……嘘をつくな! ならどうして、あなたがここに居る。自我が消えたというなら何故!』
『――なぜ、レウスが死に、俺が蘇ったのか。それを説明するには、お前に"変化士"について知ってもらう必要がある』
『変化士なにを知れっていうんですか!?』
『喚くな、頭に響く。……よし、そのまま黙っとけよ、そうすりゃ手短に話してやる』
話す内容を整理する間を作るため、トン、と灰皿に吸い殻を落とす。
周りにたゆたう煙を払い、俺は考えを巡らせながら話し出す。
『変化っていうのは、針金の入った粘土みたいなものでな。
ある程度は体格も姿形も自在だが、限度を越せば成り立たなくなる。こんな感じでな』
と、広間にある耳の一つを変化させる。大きな、大きな腕をイメージして。
すると、俺のイメージの半ばを超えた辺りで、腕は鬱血したように青みがかり、明らかに生気が薄くなっていく。
やがて、途中でグズりと溶け落ち、絨毯に粘ついた液体が広がる。
肉色だった液体は、徐々に透明に近い青色……スライム色に戻っていく。
胸元からせり上がってきた吐き気を、煙草の煙で押し戻し、俺は話を続ける。
『だから――お前も聞いたことがあるだろう――悪夢なんて大層な名前付けられた大規模変化、大狼、野獣鬼、槍木林とかの、大規模の変化の時には、針金を変化させる必要がある。
針金とは軸だ。俺が俺であるという軸、俺にとっては人間がそれで。
ここらの奴だったら、鬼人ということになるんだろうな。お前だったら――どうなるんだろうな?
ともかく、この針金には厄介な特性がある。唯一つの、とてつもなく厄介で、大切な特性がな』
『特性――?』
『縮められたバネのように、あるいは親に引き裂かれた恋人たちのように――元に戻ろうとするんだ、この愛しくも憎たらしい針金は』
昨日に引き続く、長台詞に脱力とともにヤニ臭い溜息を一つ。
気張った筋肉が弛緩し、眠気がヒョコリと顔を出す。思わず横になりそうになるが、頭を振って眠気を振り払う。
さっさと話し終えてしまおうと、先程よりやや早めに舌を動かす。
『針金を伸ばす分には、戻ろうとする力は弱い。抑えるために消費する生命力も相応だ。
実際、さっき挙げた三つの変化は、伸ばした針金に合わせて粘土を付け、その粘土をさらに変化て創ってる。』
問題となるのは、針金を曲げること――真の意味で變化ることだ。例えば、このように俺が人獣になろうとしたとする』
と、目の一つを人獣の爪に作り変える。よく使う俺の武器の一つなので、指を弾くぐらいの心地で変化を終える。
『これは見てくれだけだ、それらしい見かけだけ。もちろん、これでも爪の鋭さは再現出来てる。だが、人間には使いこなせない。
餅は餅屋、人獣の体は人獣の意識を持ってしか、十全に働かないんだ』
『だが、人には何年経とうと、何をしようと人獣にはなれない――変化士以外には』
『針金を、變化る……』
『惜しいが、否だ。似てるが、違う。變化るのは――曲げるのは――針金だ』
『たま……しい……?』
素っ頓狂なことを言い出す俺に、同じぐらい間の抜けた面でユスティが言葉を繰り返す。
自分が的はずれなことを言ってるようで、座りが悪い。胡散臭さにむせそうだ。
肩を落としたくなる自分を感じながらも、お首には出さずに師匠の受け売り、異能者の妙を思い返して口を開いた。
『心を代表に、意志、記憶、思想、理念、……そういったものをひっくるめた物を、俺は"魂"と呼んでいる。
魔術師を筆頭に普通の奴らが使う魔力を、異能者は持たない。
代わりに得られたのは、得体のしれない妙な異能。お陰で人界魔界を問わず、あった奴は一癖、二癖ある奴ばかり。
だが、異能者は口を揃えて言うのさ。能力を使うと、気力が削げる、生命力が抜けていく、と。
それは、俺だって例外じゃない。だけど、生命力ってなんだ? 血か? それとも栄養? もしくは熱? ――違う。そんなものじゃない』
勢い任せにペラ回し、半ばやけくそで言葉を叩きつける。
答えは、死線で手に入れた。何度も死に掛け手に入れたんだ。
吹聴すれば鼻に笑わされること間違いなしの幼稚な幻想。何事も突き詰めれば幼稚となるとは、誰の言葉だっただろうか。
『もっと深く、形なんて持っていない、根源的で曖昧な何か――"魂"こそが、異能者にとっての魔力だ』
一方的に語りながら、頭をよぎるは四方八方から放たれる魔術の弾幕。
この姿になって初めて、死が目の前に迫った瞬間。俺はこの答えに手を触れた。
雄叫びとともに己の中心が燃え上がり、弾け飛びそうなぐらいの力が溢れだして来たのだ。
そうして、なんども得体のしれない力に触れる内に、徐々に力の輪郭を捉え始めた。
だが……その姿を完全に捉えることは出来なかった。それだけでは。
『となると、新たな疑問が浮かぶよなぁ? 魔力を想像力を持って魔術とするのが、普通の奴ら。
だったら、俺達は魂を何を持ってして異能とするのか。重要なのはそれだろう?』
――意志だ。意志こそが、異能の効力を底上げする』
『……やろうとすれば何でもできると? 馬鹿らしい』
『馬鹿はお前だ、早合点するな。必要なのは意志だけじゃない。大事なのは、魂を知覚し、意のままに操れるようにすること』
そのために必要なのは、昨日のユスティのように、昔日の俺のように、生死の境に何度も立つこと。
俗に火事場の馬鹿力と呼ばれる、"魂の燃焼"を繰り返し体験することが"魂の操作"に繋がる。
が、決して教えはしない。じゃないと、本当に死んでしまう。どうせギリギリで手を抜いてくれる、などと戯けたことを思って貰っちゃ困るのだ。
とは言え……それだけなら、戦争に駆り出されることも多い異能者。それらしい、記録の一つや二つは残っているはず。
問題は"魂の知覚"。これこそがほとんどの異能者をふるい落とすのだ。
『それが出来るのは、俺とお前……俺の知ってる限りじゃ、あとは勇者と魔王ぐらいのものだ』
『それは、なぜ?』
『質問で変えさせて貰って悪いが、ユスティ。お前、どうやって生き返ってるんだ?』
『……どういう意味です?』
『条件さえクリアすれば、血が全部抜けようが、首がとぼうが、木っ端微塵になろうが生き返る。
それは良いとして、だ。何を基準に生き返るんだ? 体の蘇生はどうでも良い、問題は精神だ。
死ぬ前のお前と、死んだ後のお前は同じなんだろう? 昔の哲学者は言ったもんな、我思う故に我あり。
自分が自分だと確信できているんだろう? 答えは一つ――魂だ。恐らく、お前みたいな異能者は、魂を中心に再生する。
普通のやつは、肉体の死が魂の死に等しいのに、お前は拘束さえされてなければ、肉体がどうなろうが魂はその場に留まる。
つまり、あの世があるかどうかはともかく、お前はこの世に魂だけで存在できる存在ってことだ。ややこしいな』
『百歩譲って今までの与太話を全て信じるとして、なんであなたが魂を知覚できるんですか』
『与太話だろうが、ちゃんと話は聞いててくれよ、ユスティ。言っただろう、俺は無意識にとは言え、魂の一部を變化させてたんだ。
要するに、魂を知覚するには、魂に深い関わりを持つ必要があるのさ。お前なら臨死体験、俺なら魂の改変という形でな』
言いたいことは言い終え、俺は根本まで火種の迫った煙草を灰皿に押し付ける。
ユスティは、俺の話を思い返しているのか、座った姿勢で目を伏せ固まっている。
キャンキャン騒がれなくて助かったなと思いつつ、隣にあった水差しを手にとり、乾いた喉に微妙に温い水を流し込む。
固まった体をグリグリとほぐし、落ちたパイプを軽く払って口に運ぶ。
吹かすするための一連の手順をしつつ、昨日のことを思い返して、新たに変化った腕を使い、ボロボロのコートをハンガーに戻す。
早めの夜気が肌に痛いが、目蓋を閉じて意識を内に向けるとすぐに、あらゆる感覚が鈍化していき、痛みが消える。
『――霊魂變化:"変幻自在"』
無明の闇に響く言葉を受け、魂の枷がゆっくり外されていく。
望むは無形。變化によって、改変されるは魂に宿る"自己"。粘土に根付く針金が、その形を見失っていく。
間違っているのに、間違っていない。なんでもあって、なんでもない。變化られた、自己存在の確立
人と思えば人に、獣と思えば獣に、鳥と思えば鳥に……変幻自在の我思うゆえに我あり。
突き詰められないが、何にでもなれる、俺の対強敵用汎用戦闘霊魂である。
とは言え、こんな短時間の瞑想なら、持って五分が良いところ。さっさと、今日の訓練を終わらせるとしよう。
『あの……』
『よーし、今日も楽しく死合だー。動きやすい服装に変えるんだ、ユスティくん』
声を遮り、勢い良く広間に顔を出す。ユスティの唖然とした顔は一瞬、瞳が一気に真紅に染まり、瞬き一つしてる間にソファからは影も形もなくなっている。
犬型人獣の嗅覚によって、紙一重のところで屈んで爪をかわし、樹海の蔦を持って体を拘束。
人の手によって縋り付き、鬼の力に寄って押しつぶ――そうとしたところで、笑い出したくなるほどの膂力で拘束を解かれる。
『抵抗しないほうが良いですよ。そちらの方が、早く救える』
『あいにく、うちの宗教によれば、すくわれるのは金魚と灰汁だけで十分らしいのでなっ』
岩石でも貫けそうな貫手を、半身になることでギリギリで回避。無理やり振り上げた脚は、茨で編まれたどこぞの妖精族のもの。
しなるそれは、ユスティの体と服を穴だらけにしながら、遠くの壁へと叩きつける。
『せっかくの春季自主訓練期間だ。精々、死んで感覚掴みやがれぇ!』
昂ぶる気に巻かせるままに声を張り上げ、俺は追撃のために跳躍した。




