第十六話:休憩
「んぁ……」
気の抜ける声を発端に意識がじりじりとせり上がるようにして戻ってくる。
意識がはっきりしていくに連れ、鈍った感覚が戻り苦痛が明瞭になっていく。
全身が鉛のように重い、一番重症なのは頭だ。覚醒しきった感じはされど、雲に覆われたような感じが拭えない。
理由は昨日の大酒、だったらまだ良かったんだろうがホントの所は"生命力不足"だ。
「修行したての頃はよくこうなったなぁ」
過去をざっと思いつつぼやく。自分の限界と加減の仕方を理解してからは早々起きないようになったんだが……まったく、誰のせいやら。
しかしこの生命力、魔力よりも回復に時間が掛かるから困る。
少なくとも三日は安静にしておいたほうがいいだろう。なんとか住処も手に入れたんだ、それぐらい休んでもバチは当たるまい。
それに、生命力は生き物が生きようとする力、その低下は命に関わる。、
免疫力の低下、運動機能の衰退、思考能力の低下、最悪消費しきったら死ぬ。まぁ大概はその前に気絶するんだが。
「だが、それだけが原因じゃあ無いんだなぁこれが」
独りでかっこつけ、出来得る限り慎重にベッドから出る。
ミシミシとベッドが悲鳴を上げ、足を下ろした途端に床もそれに同調する。これはどういうことか?
"吸身"を受けた生物の質量は決して消えるわけじゃあない、何を今更と言う話だが俺にほぼ十割還元されるのだ。
修行時代、近場の獣を片っ端から吸身した俺の質量はハッキリ言って木製の椅子やらベッドが耐え切れるレベルじゃない。
それじゃ何故今は寝ていれたかと言われれば、それは"軽く"なっていられたかと答えざるを得ない。
重量の軽減、正しくは"変化"させることによって俺は不自由ない生活を過ごしていられる。
それも生命力が貧しい分、変化させていた分の重量が復活しているのだろう。
お陰で体が重いと、そのまんまにして紛らわしい表現を使わざるを得ない。故に最初の問、答えは簡単、重いからだ。
「重い体と掛けてたり、と」
目を瞑って意識を核に集中。変化のパターンを作る時と同じく、いつの間にか俺は白い水面の上に佇んでいた。
無論、錯覚なのだろうがどうにも奇妙な現実味があって気味が悪い。
ので、作業は早めに済ませるに限る。
「"重量変化"」
立てる水面以外、何もない錯覚か妄想かで作られた空間に音が響く(これも幻聴なのだろうが)。
<Weight return or send?>
訳の分からない言語だが、長老のお陰でなんとなしの発音とどうすればいいかは分かる。
「……せんど」
幻の声とは違い、幼児が初めて喋った時のように拙い発音。
<……completion>
へいへい流暢、流暢。ともかく、これで体は軽くなっているはずだ。
「っふぅ……」
どこか遠くへ行っていたような感覚に襲われつつ、軽く体を動かしてみる。
拳をにぎにぎ、足をプラプラ、訳もなく頭をブンブン振る。擬音の多さからわかるが傍から見れば怪しい事この上ない。
「何やってるんだ、お前は?」
ほら、この通り。イレーナから訝しげな表情で尋ねられます、まさか体重が気になって、などと年頃の女の子みたいなことを言う訳にもいかない。
されど、ここで「何のこと?」などとすっとぼけれる才能も俺は持っていない。
「えと、まだ酔いが残ってるようでして」
「お前は酔ってたら、そんな不審な動きをするのか? 昨日はそんな様子はなかったが?」
「いえいえ、そうじゃなく。知ってました? この動きには酔いを覚ます効果が」
「体を動かすからむしろ酔いが回りそうなんだが」
じゃあ、なんと言えと。逆切れ気味に内心で呟き、外面ではニコニコ。
「まぁ良い。それよりも顔色が悪いぞ、大丈夫か?」
良いんなら聞くなと、悶々と考えていた俺の立場からしたら言いたい所が戻されても困るので我慢。
それに、まだ会って三日に満たない俺の体を心配されるのは不謹慎だが嬉しくもある。原因も目の前の人物にあるのはさておき。
「ここ最近なんでか富みに忙しくなりましてね」
と皮肉たっぷりにジト目。全然さておいてなかった、ついつい思ってることが出てしまった。
円滑な人間関係を気づけるタイプじゃなさそうだと我が事ながら思う。
「……ごめん、もっとお前の体に気をつけるべきだった」
内心ぼやき絶好調の中、イレーナが謝罪の言葉と共に綺麗にお辞儀をして来る。
揺れた髪から漂ってきた良い香りに内心で少し、気持ちほんの少しだけドギマギする。無論、表面には出さないが。
「うえ!? い、いや、僕も強く拒絶しなかったわけですし、そ、そこまでは怒ってないです、はい」
イレーナは見えていないが顔はほぼ無表情、表面に出ていないという言に嘘はない。ただ声に出てしまっただけだ。
「そうか、そう言ってもらえると少しは気持ちが明るくなる。何にせよ、次の仕事はルフトが決めてくれ、私もそれに従う」
ふざけるのはともかく、すこし空気が読めなかったかな……思った以上に俺の顔色は悪そうだ、思い返してみれば酒の席で既に心配されていたような覚えがある、それもかなり曖昧だ。
どうにもかなり体調が悪かったみたいだな、思えば一夜寝てこれだ寝る前はかなりヤバかった筈、か。
自己判断の甘さに胸中で舌を打つ、空気を読まず皮肉を言った自分にも。
「あー……そこまで堅苦しくしなくとも、ですけど分かりました精々イレーナさんがキツそうな仕事を探すことにします」
今更遅いと思いつつ、口角を上げて冗談交じりに話を続ける。
「まっしばらくはお金も持ちそうですし、ゆっくり休ませてもらいますよ。
そもそも、この街に来るまで馬車で長いこと揺られてましたから。途中から魔操車とは言え、随分疲れました。
長い休暇を取る為の三日だと考えたら、そう悪いものじゃないですよ。それどころかこの部屋を借りれたのは僥倖とも……」
「ふふふ、ありがとうルフト」
「いや、嘘じゃないですって!」
「良いんだよ、嘘でも本当でも必死でフォローしてくれようとしてくれるのは伝わった」
目を細めた優しげな瞳がこちらに視線を送って来る、こういう表情を見るとやはり女性なんだなと、変に冷静に考える。
「それに、お前が慌ててるのは面白かったしな」
ぶち壊しだ。俺の好意的なモノローグを返しくれと声を大にして言――う代わりに先ほどくれた権利を有効活用する。
「次の依頼はセクハラを働いているらしい店長の逮捕に決定てすね」
「ちょっと待て、私の役目は」
「当然、潜入です」
先ほどの優しさへのささやかなお返しとして紳士的な笑顔を送る。
「よし、とりあえず歯を食いしばれ」
淑女からの平手打ちは想像以上に重かった。
「昨晩はお楽しみだったなぁ、おはようルフト」
「酒を呑んでただけでしょう、人聞きに悪い言い方しないで下さい、おはようございますシュヴエルトさん」
痛む腹をさすりながら挨拶、別に悪いものを食べた覚えはないのだが。
「大体、まだ会って三日ですよ。お楽しみも何もないでしょ」
口を動かしつつ椅子を二つ引く。
「三日ぁ!? そんじゃあ、お前ら会ってすぐに相棒登録したのかよ?」
素っ頓狂な声を上げるシュヴエルト、引いた椅子に腰を下ろし、隣に座るイレーナの礼の言葉「いやいや」と手を振って答える。
「ええ、こちらの方が強引に」
と、左を指す。皮肉を込めることに躊躇いはない、いらない。
「二十歳の割に奥手でな、私がリードしないと素直にならなかったんだ」
さらっとこちらの皮肉が軽口で流される。
「嬢ちゃんは意外と積極的なんだな、俺ゃ驚いたぜ」
「一目惚れでな、私が自分の知らなかった一面に驚いてる」
「僕も驚きました、まさかこんな美人に見初められるとはね」
互いに感情を込めずに言い捨て合う。
不思議とこの感じは嫌いじゃない、師匠と話すときとも違うこのお互いをつつき合うような会話がなぜか心地よい。
……馴染まないようにしないとなと思う。
「お前ら、そこで慌てて否定したりとかしないのな、面白くない」
言葉通りつまらなそうな顔でシュヴエルトが言う。
「二十歳のおじさんに無茶言わないで下さいよ」
枯れた素振りで相槌を打つ。
「けっ、二十歳でおじさんなら四十越えの俺はどうなんだよ」
「さぁ? おじいちゃんなんじゃ?」
どうでもよさげに答えれば、
「おいおい、勘弁してくれよ」
苦笑を混じりにシュヴェルトさんが肩を落とす。
「そうだぞルフト、良いとこおっさんだ」
そして、イレーナがとどめを刺せば、
「かー! 嬢ちゃんも中々キツいねぇ、お兄さんは泣きそうだー!」
やけ気味に若ぶるシュヴェルト《おっさん》がそこには居た。
そもそも、かー! など言動の端々におっさん染みている、そこに気付かない限りはおっさんだ。
そうして居るとドアノブが回り、静かに扉が開かれた。
「あー……もしかして、そこで喚いているおっさんは俺の血縁者だったりします?」
面倒臭げに喋りつつ、ディーガンが部屋に入ってくる。
「それはもう、これ以上無いと言うほどに血縁者だと思うが?」
現実を見ろと言わんばかりにイレーナ。
「実は俺、橋の下で拾われた子だったり?」
希望的観測、無駄な抵抗をディーガン。
「外見、雰囲気、言動の端々、赤の他人というには合致し過ぎてる気がするな」
崖にかかっている手の一つを外す俺。
「おめぇは正真正銘、俺の子だ。今はいねぇ女房が腹を痛めて生んだ俺の子だ」
突然キリリと顔を引き締め、まさかの良い話みたく締めるシュベルト。
「なにシリアスぶってんだ、母さんに愛想つかされて離婚ってだけだろうが!」
オチ付け担当ディーガン、これにて小芝居終了。
「道理で奥さんの顔が見ないなと思いましたよ」
「不幸でもあったかと尋ねなかった私達が馬鹿みたいだな」
二人して半眼でシュヴェルトさんを眺める。
「お袋は今でもピンピンしてますよ、昔はお二人みたいなコンビで活躍してたみたいなんですけどね」
肩を竦めて嘆息するさまからは悲壮的なものはない、どちらかと言えば仲直りすりゃあいいのに位の声色だ。恐らく、離婚の原因も大したことじゃないのだろう、もしかしたら別居状態なだけかもしれない。
「うるせぇ! アイツの事を話すな飯がまずくなる」
若作りを超えて子供見たいな発言がむさい男が放つ、第一印象は落ち着いた老兵だったのだが……どうしてこうなった。
「カッ! そのお袋が出て行ってから一ヶ月は飯がまじぃまじぃって愚痴ってやがってくせに」
「なんだ我が息子よ、そんなに父の拳を味わいたかったのか? だったら面貸せ、一ヶ月ものの旨さが分らねぇようにしてやるから」
せせら笑う息子と、強張った笑い顔の父親。父子家庭なれど笑顔に満ち溢れた食卓がここにはあった。
「止めてくださいよ、二人共。特にディーガン」
だがディーガンの態度は父親に対するものとしては冗談でもすこし行きすぎだ、俺は家族の仲を取り持つために注意することにした。
「お年寄りは大切に、常識だろうが。シュヴェルトさんにはもう、若いころと今の区別が……!」
「ごめん、親父俺が悪かった。……痴呆が始まってるとはつゆも知らずッ」
息子が嘆く、無理もないどんどんと自分のことすらも忘れていくだろう父親の現状を見つめてしまったのだ。
心配させぬよう表向きは平気な顔をしているが、その笑顔が引き攣っていればむしろ逆効果。
慌てて顔を隠し肩を揺らし始めたが、涙が零れそうになったのをどうにか食い止めようとしているのだろう。
「よしてめぇらそこで待っとけ、ちょっくら剣取ってくらぁ」
「止めてくれよ親父、とっくの昔にギルド員は辞めたじゃねぇか!」
「もう、そこまで……!」
今を現役の頃と勘違いしているのだろう、戦意に満ちた笑顔がいまはとてつもなく辛い。
「オッケー、お前らが馬鹿になるまでこの拳で殴ってやらぁ」
「よーし、逃げるぞディーガン」
辛いから逃げ出すことにした、いい加減シャレにならない雰囲気がこの部屋には満ちていた。
「と言っても、ドアはあの痴呆老人の後ろにあるんですけど」
「窓を割って逃げりゃあいいだろうが」
「そのガラス幾らだと思ってます?」
「よーし、謝るぞディーガン」
ゆっくりと膝を床につけて戦闘態勢を取る、プライドを譲るしか無い戦いが今幕を、
「許すと思うか、あぁ!?」
閉じた。駄目だ、これは駄目だ。すかさず逃走する姿勢にスイッチ、第三者の力を借りてこの場を流すしか道はない。
「イレーナ、お前からも何と――」
視線の先の第三者の傍らには度数高めな酒の空瓶が一つ、グラスにわずかに残った中身は見たところ希釈なし果汁百パーセント。
「私から言うことがあるとすればだ、ルフト」
ほう、と熱い吐息、艶のある声音。軽く朱に染まった頬も相まってなんだかドギマギする。
「貴様が未だに他人行儀だという不満だけ、不満だけだよ」
「窓を割る勇気ぃぃぃ!」
屈んだ体勢からの後方大跳躍を試みる、
「痴話喧嘩もいいが、痴呆老人の相手も頼むぜ? ルフト=ゼーレ」
が無駄ッ、既に俺の体は視界を覆う頑強な体の主に地面に押さえつけられ、今の俺は羽をもがれた鳥、まな板の上の鯉も同然。
だがまだだ俺は動物ではなく対話ができる、平和的交渉の末の身の安全を確保することは確率は低くとも不可能ではないッ!
「待て、同じ人間話せば」
「分からないこともあらぁなぁ!」
それも相手が話がわかる人間であれば、と気付いた時には俺の意識は吹き飛んでいた。
◇◆◇◆◇◆◇
「ディーガン、ちょっと聞きたい事があるんだけど」
音量小さめで隣に寝るディーガンに疑問を放る。横を向く僅かな動きでガシャガシャと五月蝿い音がなった。
「何ですか?」
同じく音量小さめでディーガンが答える。それでもやはり耳障りな音がしたが。
「いやな、率直に言うけど異能者ってさ体どうなってんだ? 魔臓が無いんだろう?」
空っぽのままだとしたらどうにも勿体無い、神様は空白が気にならないのだろうか?
「そうですけど……代わりに珠が入ってます」
「珠?」
「はい、その珠に俺なら"けんとおし"みたいな感じで異能名が書いてあるみたいです」
ちょっとした手術の後で教えてもらいました。と付け加える、開腹してる辺りちょっとしたじゃないような気がするのだが。
「拳通士で剣闘士ね……」
「大体異能者は二重意味になってるみたいですよ、親父曰く……ですけど」
「ふーん……しかし、実際どうなんだ? 異能はたしかに強力だが、その分"縛り"があるんだろ?」
「ええ、お陰で僕も物を人伝いに掴めません」
あっさりと答えるディーガンに少しだけ驚きつつ疑問を重ねる。
「どういう事だ?」
「物を渡そうとするその動きでもう"攻撃"として判断されちゃうらしくて」
「能力が勝手に発動してしまうと……"剣闘士"の方はどうなんだ?」
図々しくも聞いてみるとこれまたあっさりと答えが返ってくる。どうにも結構な信用を掛けてもらえてるようで居心地が悪い。
「周囲の観客に力が左右されるんですよ。」
「数が多けば多いほど強くなる、逆も又然りと?」
「更に言うなら周囲の観客の声援も剣闘士の力に影響を与えるんです。士気が下がれば下がるほど剣闘士の人気が衰えていくと」
「結構こじつけだなぁ、お前の能力も」
「ははは、確かに。個々の能力の発動も条件付きですしねぇ……」
使い勝手が悪いですよ、とディーガンがガシャリと音を鳴らして頭を振る。
「もう一つ聞いていいか?」
「なんですか?」
「ここは何処だ?」
一番聞きたかった疑問をする。
「ガレアータ家地下悪い子収容施設――通称牢屋です」
「何でこんな所に」
「……さぁ、思い出そうとするとやたらと頭が痛くなるとしか」
「お前もなのか? 俺も棒状の何かで殴られたような跡があるんだが」
「「……一体、何があったんだ……」」
牢屋で二つ、呆けた声が響いた。