恐怖と現実を理解する日
爽やかな朝。最近よく眠れる気がする。
昨日の上下運動......いや肉体労働により太ももが筋肉痛。
ええ。身体はまだ若人なので。
毎朝の食事は、普段通りサプリメントとブラックコ-ヒ-。
もう作業的に口に入れる。少し身体がだるい。
でもまぁ。動けば楽になると信じて、今日も頑張りますかね。
「さて稲垣。そろそろ行くかね」
「ん? 先行っててよ。俺、ちょっと三階の例の蓋開けてみるから」
「そうか。なら取り敢えず102号室から始めるわ」
「OK! 俺も無理なら直ぐに行くし」
何も起こらないと思うが、ヘタレな俺はしっかりフル装備。
サウナ的に暑いから、無駄なぜい肉を駆逐するんだ。
と馬鹿な事を考えつつ非常梯子をゆっくりと1階へ降りる。
相変わらず騒がしいギャラリ-が居るけど、鋼の精神で絶対見ないんだからねっ。
ベランダの壁は昨日、稲垣が108号室迄壊している。
それを見て意外と気が利くなぁと思う。
違う意味で罪悪感があったのかも知れないがな。
さてさて。何時もの様にやりますか。
この時の俺は完全に気が抜けていたと思う。
ゴシャアアアン‼
は⁉ 突然爆発する様に割れる102号室の窓ガラス。
咄嗟に顔を庇うが、身体はベランダの柵へ吹っ飛ばされた。
え⁉ 何だこれ⁉ は⁉ ガハツ!
ドガッ!
激しく背中を打ち付けた痛みと定まらない意識。
朦朧とした目に映るのは、自身に迫る二本の腕だった。
怖い怖い怖い! 恐怖でおかしくなりそうだ。
だがそれでも無意識に身体は動く。
顔の前で両腕をクロスし、頭を掴まれる事を防ぐ俺だったが、その行為も失敗だった。
そのまま両腕を掴まれのだ。そしてもの凄い力で身体が引き起こされる。
何なんだこれ⁉ なんでゾンビが部屋に居るんだ⁉
状況を理解し今になってゾンビの存在を強く意識する。
必死に抵抗するが、振りほどけないゾンビの腕。
ミシミシと音が鳴るのは、俺自身の両腕の方だった。
ヤバい。このままじゃ噛みつかれれる。
そう考え両足で距離を取るように突っ張る俺。
ガラスで頭を切ったのか、視界が徐々に真っ赤に染まる。
くそっ! 死にたくない死にたくない死にたくない。
ドン! ドン! ドン!
無我夢中でゾンビを蹴る。それでも引きはがせない腕。
何でだよ! 離れろよ! 畜生!
頭の中で叫び続けるが、恐怖で声が出ていない。
その時だ。
「とうまを離せ! このクソゾンビが!」
鬼気迫る表情でやって来た稲垣が、ゾンビに向けて何かを放つ。
グシャッ!
ゾンビの顔に刺さったのは俺の家の包丁。
しかしそれでもゾンビの力は弱まらない。
おいおい! 完全に刺さってるだろうが!
何故止まらない? あの情報は真実だったのか?
クソッ! 死にたくねぇよ!
グシャ! グシャ! グシャ! グシャ!
動きが止まらないゾンビに、何度も何度も包丁を突き刺す稲垣。
もう顔も頭もぐちゃぐちゃで、緑色の液体が周囲に飛び散っている。
それを見て俺の意識は段々と冷静になり始めた。
離れねぇならこの腕を引きちぎってやる!
俺は猛烈な勢いで、両足をゾンビの胸に蹴りつける。
この時掴まれた腕を、自身へ引きつける様に力を込めた。
そんな永遠に続くかと思えた格闘は、鈍い音と共に終わりを告げる。
ブチッ! ブチブチブチッ!
掴む力は強いが、所詮は腐った肉体。
力に耐えられなくなった両腕は、肩から無理やりに引き抜かれた。
この時俺は、もろにその反動を受け、後ろの柵へ飛ばされた。
ガァアアアン!
再びの衝撃に息が止まる俺。耐えられぬ痛みに歪む顔。
背中がクソ痛いっつうの! 掴む握力もハンパねぇし!
身体から離れても、ゾンビの手が掴む力を失わなかった。
内側に雑誌を巻いているけどさ。手形が付いてんじゃね?
むかついた俺はゾンビの指を折るように、1本1本剝がしていく。
気持ち悪いし匂いがキツイし、最低最悪な気分だ。
両腕を肩から失い顔と頭がザクロなゾンビは、先程までの動きが嘘の様にその場で倒れる。
「はぁはぁ。稲垣ありがとう。もう駄目かと思った」
「遅くなってすまん。武器を探したんだが、焦って時間掛っちまって」
「いや。俺が完全に油断していた。今思えばさ。昨日確認して無かったよな」
「ああそうか。102号室は後回しにしたんだっけか。外から入った訳じゃねぇから、此処で死んだのかもな。しかし焦ったぜ。スゲェ音聞いた時、とうまが梯子から落ちたのかと思ったし」
部屋の中には居ないって決めつけてた。今の状況で気を抜くとか俺はアホかよ。
それにしても......ゾンビってあんなに力が強いんだな。
よくよく見たら、身体は細いし腐ってるはずなのに。
何があったらあんな力が出せるんだろうか?
ウイルスが身体を強化するのか? もしそうなら、腐れチ-ト野郎だろ!
背中の痛みを我慢しながら考えたが、もう1秒でも早く横になって寝たい。
「悪い今日はちょっと休むわ俺。背中が痛すぎて無理」
「そりゃそうだろ。あんな勢いでぶち当たったらさ。よくベランダの柵が壊れなかったもんだ」
「激しく同意するわ。頑丈なのも良し悪しだ」
「ほらサッサと上に行け。俺はこの部屋だけ見てみるから」
何時もの軽薄さは見せない稲垣。
はぁ~。疲れた。
たった1体のゾンビでこれだ。ドラマの主人公には絶対なれそうもない。
サクッとナイフ1本で処理するとか無理ゲ-すぎる。
フラフラしながら梯子を上り、這うように部屋に戻るとベットへ倒れ込む。
稲垣が戻って来たら、背中に湿布貼ってもらおう。
骨折れてないよな? 勘弁してくれよ。
駄目だ。頭が回らない。
俺の意識はそのまま途絶えた。
◇◇◇
あれから何時間経ったんだろう?
深い眠りから目覚めた俺は、見慣れた天井を見て安堵した。
部屋の中は真っ暗だ。
朝早くから動いたはずなのに、何時間眠っていたんだろうか。
「おっ。起きたのか? とうま」
「稲垣すまん。今何時だ?」
「午前2時だな。身体揺すっても起きねぇから心配したわ」
「アハハ。面目ねぇ。イタタタ」
痛みを感じて背中を触ってみると、熱を持っている様だ。
でも少しマシになった気がする。
ん? 稲垣が湿布貼ってくれてたのか。
しかしこんな調子じゃあ何日か動けないかもな。
ゾクッ。不意に思い出す今日の出来事。
今頃になって恐怖が蘇って来た。
やっぱり俺は戦うの向かねぇな。
怖い物は怖い。人間があのゾンビの群れに勝てるんだろうか?
俺には勝つビジョンが浮かばない。
情けない俺に笑顔を向ける稲垣が、この時ばかりは羨ましく感じたよ―――
状況に慣れても気を抜ける様な世界では無い。




