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忘却の彼方へ〜私を忘れた騎士に捧ぐ〜  作者: 冬瀬
忘れられた記憶〈冥界の鐘〉
23/23



「ッ!」


背中に衝撃が走り、ネイトは小さく呻いた。

彼に抱きしめられ、その声をすぐ側に聞いたエリアーナはハッとする。


「ネ、ネイト! 大丈夫?!」

「大丈夫だよ。君こそ怪我はない?」

「ないわ。あなたのおかげで」


薄暗い視界の中、エリアーナは彼の上から起き上がり無事を確認しホッとする。

冷たい石の床に手をつき、体を起こしたネイトは辺りを見回して呆然とした。


「……ここは、どこなんだ?」


——先ほどまで、教会の屋上にいたはず……。

だが、そこにあるのは、果てしなく続く真っ黒な空。

そして、その闇に向かってそびえ立つ、大きな大きな門。

それはまるで、あの世にあると云われる冥界へと続く門のようだ。

そう考えたとき、ネイトの背筋は凍った。

いや、そんな馬鹿な話はない、と彼は自分に言い聞かせようとしたが、この出来事に思考が追いつかない。ただ、目の前に立ちはだかる圧倒的な規模の大きさに、己がまるでひ弱な蟻にでもなった気分だった。気がつかない内に、逃れられない巨大な足に潰されてしまうようなーー。そんな予感が、ぶるりと彼の肩を震わせる。

きっと、エリアーナもそんな恐怖をひしひしと感じているのだろう。畏れるままにネイトの腕にぴったりくっついている。まあ残念なことに、それを嬉しく思えるほどの余裕は今の彼には無かった。


「ネ、ネイト。あそこ……」


ネイトが周囲を確認している間、エリアーナは何かに気がついた。指を刺すのも恐ろしいのか、彼女は目線でそれを訴える。


門の前に、何かがいる。


ソレは巨大な門の前で、じっとその向こう側を見つめていた。

女だ。長い髪に、華奢な体。黒いワンピースを着て、その脚は透けている。脚がない人間。

それは、ゴーストだった。


『足りない』


遠くにいるはずなのに、無機質な女の声が、ふたりの耳には届いた。ゆっくり振り向く女のゴーストに、ネイトは無意識にエリアーナを抱きしめる。そして、ゴーストの顔を見て彼はハッとした。


(あいつだ。ぼくたちを見ていたのは)


鐘を鳴らした瞬間、何かの魔法が発動したらしく、その中に吸い込まれてしまったふたり。その刹那に垣間見た、こちらを見つめる女の顔がネイトに蘇る。

ゴーストはそれ以上は何も語らず、煙のように消えてしまう。


「ま、待て!」


ネイトは慌てて立ち上がり叫んだが、そこにはもう何もいなかった。取り残されたふたりは、現状を飲み込むことができず、愕然とする。

しばらくの沈黙のあと、エリアーナが口を開く。


「ここはどこなの? わたしたち、あの鐘に飲み込まれちゃったのよね?」

「多分そうだ。あの鐘には、何かしらの魔法がかかっていたんだよ……」


鐘の音が鳴ったと思ったのと同時に目の前が歪み、気がつけばこんな場所へ放り出されてしまった。状況を整理するにしても、情報が少なすぎて何も分からない。分からないことが多すぎて、これから何が起こるかという恐怖よりも困惑のほうが勝っていた。


ーーグルルルルルル


その心情を見透かしたように、背後から何かの唸り声が聞こえる。

その一声に己の身に危機が迫っていることを察したネイトとエリアーナは、声も出せないまま、ゆっくり立ち上がった。

そして、完全に立ち上がった瞬間、弾かれたように門へ向かって走り出す。


「お願い、開けて!!」

「くそ、開けっ」


ゴーストが先ほどまで立っていた位置で、ふたりは門を叩くが、びくともしない。

ふたりの不安を煽るように、ズシンズシンと地が揺れて何かが迫り来る。

そして揺れは止まり、その場に冷たい沈黙が訪れる。



『ーーキサマら。ここに何をしに来た』



腹の底を震わせるような、かすれた男の声だった。

恐怖から後ろを振り返れずにいたふたりは、じっとりと手に汗を握りながらそちらを見る。


「ヒッ」


エリアーナから、小さな悲鳴が上がった。

そこにいたのは、三つの首をもった巨大な犬型の化け物。


「……ケ、ケルベロス……」


神話やお伽話でしか見たことがなかったその存在の名を、顔色を真っ青にしたネイトが呟く。

それは紛れもなく、冥界の番犬と伝えられし生き物だった。

つまり、ここは冥界の入り口。

夢を叶える鐘に導かれてやって来たのは、死後の世界の手前だった。

薄暗い視界の中、簡単に人を飲み込んでしまいそうな化け物を目の前にして、エリアーナはその場に座り込む。腰が抜けたのだ。


「どうして! わたしはネイトと教会の鐘を鳴らしただけなのに!」


訳も分からないまま、こんなことになってしまい、誰にぶつければ良いかも分からない不安と恐怖を叫ぶ。


「帰りたいっ。元の場所に返しなさいよ!!」


半泣きのエリアーナは、最早ヤケクソだった。

最後に三つ首化け物を睨みつけた彼女に、ネイトはギョッとする。冥界の番犬相手に、話をつけようなど、とてもじゃないが上手くいくとは思えない。


『……ワタシは、何をしに来たと聞いている』

「知らないわよ! こっちが聞きたいわ! わたしたちはアバロスの教会にある鐘を鳴らしただけなの! こんな場所に来る予定なんてなかったわ!!」

「エ、エリアーナ……」


ネイトの顔色は益々悪くなっていく。


『そうか……。また、あいつの仕業か……』


化け物はどこか納得した様子で、真ん中の頭が目を閉じる。そして再び大きな双眸を開くと、ぶわり、と白い煙を纏った。


「な、なに?!」


ネイトは必死に頭の中で使えそうな呪文を探し、戦闘態勢に入る。エリアーナが投げやりな分、ネイトは冷静でいるしかなかった。


「そう構えなくていいよ。姿を変えただけだ」


煙の中から聞こえたのは、先ほどの男の声とは違う、若い青年の声。

だんだんと煙が晴れて、そこから現れたのは、ふたりの腰ほどにもゆかぬひとつの頭だけの、どこにでもいそうな普通の犬。



「この姿になるのは久しぶりだなぁ〜。ほら、元の姿だと見た目が無駄に怖いでしょう?  こっちのほうが馴染みがあるかと思って。……そんなに見つめちゃって、もしかして触りたい?」



ふりふり。

ポカンとしたふたりの前で、そう言って尻尾を振って見せたのは「知恵の魔女」と呼ばれたババロアの使い魔ーートトだった。









「ネイト、大変。この子、本当に普通の犬みたい!」


可愛い〜と、トトを撫でるエリアーナにネイトはなんと答えればよいか分からない。こんな状況で、彼女が笑顔になってくれたのは良いことなのかもしれないが、見た目に騙されてはいけない。その犬は冥界の番犬だ。


「ねぇ。あなたは、三つのうちの頭の、どの子なの? 右、左? それとも真ん中?」

「全部だよ。三つでひとつなんだ」

「へぇ〜!」

「……」


あの化け物に自分が相手をすることは難しい。せめて機嫌を損ねないようにと、ネイトは冷や冷やしながらエリアーナを見守った。


「女のゴーストにここまで連れてこられたんだね。随分昔にも同じようなことがあったから、わかるよ」

「そうなの。鐘を鳴らしたら、目の前がグワァって……」

「今夜は満月だ。〈祓い鐘〉の反作用でここに召喚されたんだろうね」

「〈祓い鐘〉?」


聞き慣れない言葉にネイトが首をひねる。


「そのまんまさ。鐘を鳴らすと、魔物が寄ってこない。条件を揃えれば、魔物をこの場所に送ることもできる」

「……そんなものが?」

「まあ、大分古い道具だからね。忘れられたんじゃない? 人間って、大事なことでも呆気なく忘れちゃうから」


トトはエリアーナから離れると、ブルブルッと体を震わせる。


「ついておいで。ここに来ちゃったからには、面倒をみてあげるよ。こう見えて、人間を育てるのは得意なんだ。トトって呼んでくれていいよ。これから仲良くやろうね。君たち、名前は?」

「ちょ、ちょっと待って。な、何を言ってるの?」


エリアーナはトトの物言いに嫌な予感がした。


「何って。これから魂が消えるまで、ここで一緒に暮らすんだから、仲良くやろうって話だよ」


ふたりはその言葉に息を飲む。


「大丈夫。心配しなくていいよ。人間には詳しいんだ」

「待てよ」


ルンルンと、歩み始めたトトをネイトが止める。トトはくるりと振り返る。


「一緒に暮らすって、どういうことだ」

「ん? あれ、言わなかったっけ? 生き物が、ここから出る方法なんて無いんだよ。あ、死ねばその門からあの世に行けるけどね」


さらりと言ってのけたトトは、さあさあと、ふたりについてくるよう促す。

その様子に、ネイトは思った。

今相手にしているこの犬は、人の言葉を話しても、分かり合える生き物ではないということを。


「……ネイト」


眉間にシワを寄せたネイトに、エリアーナが声をかける。


「行きましょう。ここに居ても、何もわからないわ。きっと何か方法があるはずよ」

「……そう、だね」


薄暗い不確かな空間を迷いなく歩いていく小さな犬だけが、今の彼らにとっては唯一の手がかりだった。

どちらからともなく手を握ると、ふたりはトトの後ろに続いた。





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― 新着の感想 ―
続き読みたいです。 ぜひぜひお願いします。 
[一言] 面白くて一気に読んでしまいました、、 続きお待ちしております!
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