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短編置場  作者: もり
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猪王イツモチ

 きっちり五分に刈られた坊主頭。黒の詰襟の学生服。学校指定の白いペラッペラなスニーカー。

 生徒全員が同じスタイル。今日日、日本では当たり前すぎて誰も疑問など持たない光景だ。

 『個性を大事に』なんて上っ面だけのスローガンをたまに聞くが、学校は個性を押さえつる機関なのではなかろうか、と思ったりもする。

 目の前のタケダ君も上記に挙げたような一般生徒スタイルだが、肩口には青春のシンボルと言えばいいのか、はたまた抑えきれずに溢れだした思春期の残滓と言えばいいのか、白い粉状のものが点々と自己主張している。

 これはいわゆるフケだ。粉雪なんかじゃないし、心まで白く染めたりなんかしない。

 当然ボクも似たようなものだ。ちなみにここのところ新陳代謝がバースト気味のヤマダ君は、一部の女子に本人のあずかり知らぬところで、雪男なんてあだ名されていることを、ボクは知っていた。

 この年頃の女子は辛辣だ。せめてスノーマンとか、もう少し柔らかい表現にしてあげて欲しい。そして彼だけは、フケが目立ってしょうがない黒の学生服も免除にしてあげて欲しい。

 それはともかく、教科書を枕に居眠りなんかしたらページが半透明になってしまいそうなほどアブラギッシュでニキビッシュな男、タケダ君は教室の片隅で、捲った細腕を尊大に組みニヤけ面で一脚の机を見下ろしていた。ニキビのくせになんか偉そうだ。鼻につく。


 力むボクの右手がぶるぶると震える。左手を添えて抑えこもうとしたけれど、それほど効果はない。

 『デュオ・カオスクラフター』とは、お風呂に入ったら水面が虹色になっているに違いないタケダ君が、自ら名づけ愛機の側面に彫った銘だ。その意味は分からない。たぶん深い理由はないのだと思う。

 散々辛酸を舐めさせられたその機体に、ボクは狙いをつける。

「んーーー、アパッチ!」

 誰が言い出したかは定かではないが、慣例として射出の際の掛け声は「アパッチ」もしくはそれに近いものに統一されていた。と言っても、おそらく某国の某戦闘用ヘリコプターや、裸がユニフォームの某野球チーム ── こういうチームとは練習試合をしたくない。別に野球部じゃないけれど ── さらには釣りをきっかけに某社長と某窓際社員の交流を描いた某映画に出演していた某俳優、などとはあまり関係がないと思う。

 しかもあらゆるアレンジもなされていて、四天王の一人で顔を洗ってもテフロン加工なみに水を弾きそうなタケダ君と、その取り巻き連中は「アーーーーパッチ!」と伸ばし気味だし、もう一人の四天王サクラバ君は「アパッ」で終わっていた。

 そのサクラバ君は一六もの機体ケシゴムを状況や対戦相手に応じて使い分ける。まるで無駄に沢山の種類のクラブを持ち歩く金持ちゴルファーか、北欧の家具職人のようだ。北欧の家具職人についてはよく知らんけど。ただの印象だ。

 アパッチの前に「んーーー」と力むような掛け声は、ボクのオリジナルで密かに気に入っている。状況により「んーーー」の長さを変更したり、「んーーー」と「アパッチ」の間隔を微妙に変化させたりと、豊富なバリエーションがキモだ。

 ボクの愛機であるなんの変哲もない白ケシゴム『猪王イツモチ』は、その掛け声と同時に目一杯引き絞られた中指に弾かれ、『デュオ』に一直線に向かった。ちなみに『猪王』の読み方は『チョオウ』なのだが、ボク以外は『イノシシオウ』または単に『イノシシ』と呼んでいる。

 まあ、はっきり言わなくても変な銘だと自覚している。だけどボクには愛着があるのだ。


 今ボクたちがくりひろげている遊戯。それは『ケシゴム落とし』

 将棋や囲碁と同様、その起源ははっきりしていないものの、創始者はここ猪狩ヶ岡(いかりがおか)中学校二年A組の誰かではなかろうかと目星をつけている。なぜなら他のクラスでは流行の兆しがないからだ。この戦いを実施した形跡すらない。

 しかしボクのクラスでは、半数近い生徒の手に汗を握らせ、目を輝かせ、ほとばしる青春の青臭く若いエネルギーの発散に一躍を担っていた。は、ちょっと大げさかもしれないが、流行っていたのは事実である。

 半数近いといったのは、このクラスの約半数を占めている女子は、全く参加していないことも理由の一つ。彼女たちはなぜ参戦しないのか。それはきっと古来より男が戦を担い、女は家を護るという役割が染み付いているのだろう。

 『ケシゴム落とし』のルールは単純にして明快だ。

 互いに自機であるケシゴムを持ち寄り、それを机に配置。自機を指で弾き、相手のケシゴムを机から落とすのである。

 だが、えてしてそういうものほど奥が深い。

 通常は一対一、つまりはタイマンだが、休み時間の終わりが迫ってきたときなんかは、バトルロイヤルモードで手っ取り早く済ませるときもある。このバトルロイヤルは、嫌いなやつに最初に狙いをつけたり、裏で結託していた人同士があっさりと裏切ってしまったり、全員で一人の生徒を一斉攻撃したりと、ドロドロとした人間関係が浮き彫りになってしまうため、ちょっとした覚悟が必要だ。「バトルロイヤルは絶対やらない」と言い切ったヤツもいる。

 ちなみにボクも開始早々全員から一斉攻撃を仕掛けられたことがあるクチで、その日はショックで学校を早退した。


 愛機『猪王』は、ただのケシゴムにしてはかなり仰々しいネーミングの『デュオ・カオスクラフター』の鼻先に勢いよくぶつかる。

 だがそこはサスガは四天王の一角。途端、跳ね返され『デュオ』は微動だにしなかった。『デュオ』の接地面もとい接机面がつるつるで、強い力で押し付けると吸盤のように張り付いてしまうのだ。

 四天王が一人、ウメカワ君の愛機は『ディープ・タイフーン』。彼はクラスで一番身長が低いくせに、愛機は8インチタブレット級の巨体を誇る。そしてそれ以上に特徴的なのが、どこに売ってるの? と思わせるほど抜けるような真ピンクだ。しかし『デュオ』はディープのその重い一撃を食らってもなお机上に留まり続けた。驚異的な吸着力である。

 参考までに『ディープ』を見たまんまの『ピンクマン』と呼ぶと、ウメカワ君はまだ声変わりもしていないくせに、本気で怒るから注意が必要だ。


 『デュオ』に弾かれた愛機『猪王』が宙を泳ぐ。

 ボクには絶対に負けられない理由があった。しかし無常にも『猪王』は翼が生えたかのように、そのまま大きく机を飛び越える。そしてチェッ◯ーズっぽいチェック柄のスカートの丸みを帯びた部分にぶつかり、プリーツをたどって、床に落下した。まあ早い話が後ろを向いていた女子の尻にヒットしてしまったのだ。


 彼女はヤエ。今どき珍しく古風で大和撫子のように奥ゆかしい名だ。きっとお父さんかお母さん、いやおばあちゃんかもしれないし親戚かもしれないだれかが八重桜が好きで、それにちなんで名付けたのかもしれない。彼女の家着は桜の模様があしらわれた着物に赤い鼻緒のじょじょ履いて、なんて大正ロマンチカっぽいことを想像してみたが、現実は今どき珍しく八人目の子供だったことに由来するらしい。親も公務員だし、家もどうも普通みたいだ。

 画用紙のように白い肌と、ちょっと切れ長の目がとてもチャーミングで、知っているだけで五人の男子が彼女にホの字である。しかし彼女は男に靡く気配がない。そこがまたイイのだが。

 ボクは彼女の名前に『八』の字が使われていることからハチ公と呼んでいる。彼女は嫌がっているようだが、どうにもやめられない。なぜならヤエを好きな五人の男子の内の一人がボクだからだ。

 よく好きな女子にスカートめくりをしてしまうって話を聞いたことがあるけど、もし実行すると、有無を言わさず少年鑑別所送りだと、級友のヨシダ君が教えてくれた。だからその代替行為のようなものと思ってくれればいい。この世は世知辛い。

 ヤエはセツコと話をしていたようだったが、途端にむくれっ面をこっちに向けた。その顔もイイ。

 セツコも古風といえば古風な呼び名だが、本名ではない。彼女の本当の名はアリエル。外人ではない。ハーフでもクウォーターでもない。八分の一でも十六分の一でもない。彼女に流れる血も、見てくれも、生粋の日本人。つまりはキラキラネームである。ならなぜセツコなんて呼ばれているかっていうと、似ているのだ、セツコに。「にいちゃん、おおきに」なんて彼女に言われたら、涙を堪えきれないだろう。そんなセリフをセツコから聞いたことはないけど。


「パンチョ君、いい加減にしてくれないっ!」

 ヤエではなく、セツコが機先を制してきた。

 パンチョとは小太りなボクについたあだ名だ。由来は不明だが、語感があまりに絶妙でぐうの根も出ない。しかも「パンチョ君って本当はなんて名前だったっけ?」との女子のひそひそ話を聞いたことがあるくらい、定着しまくっている。


 わざとではない。不可抗力だ。そう弁明しようとしたボクは、思いもよらぬことを口走ってしまった。

「それ、おはじきや」

 第二次性徴期を迎えると、感情のコントロールが難しくなるのだそうだ。恐ろしきかな第二次性徴期。テンションが上がっているときは、人差し指を突っ込んで口の中のおはじきを取り出してしまいかねない。気をつけねば第二次性徴期。

「どういうこと?」とセツコ。

 お前の顔とセツコチックなマシュマロヘアーにも責任がある。ご丁寧に声まで似ている。だが口にはしない。


 ボクはもう失言しないよう黙って、床に転がった『猪王』を拾おうと腰をかがめた。

 すかさずドンッと勢いよく足が振り落とされ、あわれ『猪王』は靴の下じきとなった。

 ヤエである。そんな気の強いところもイイ。

 ヤエが腰に手を当てて見下ろす。ナイスアングル! 不意にごちそうがテーブルに載せられたような気分となる。ボクの表情筋が自然と笑顔をつくろうとしていることを自覚した。

「ふざけてるの?」

 キッとした視線。ヤエは最近、何かにつけてボクに突っかかってくる。まあ、こういうヤエもまたたまらないのだが。

 ボクはそんなヤエを堪能したあと、この場を収拾するために頑張って顔を引き締めにかかった。不随意運動と随意運動がせめぎ合う。

「なんか言うことあるんじゃない?」

 おそらく謝罪を要求している。そしてボクは跪いていて、なんだか応じるに丁度いい態勢だったりする。

 ボクはこのシチュエーションにちょっとした興奮を覚えた。

「言っちゃえよ」

 タケダ君とその取り巻きは、下卑た笑みを浮かべていた。

 ヤエは人差し指で髪の毛を掬い、右の耳たぶに掛けた。これは彼女のクセなんだと思う。そしてその仕草を見ると、何か大事なことを忘れているような気がした。


「パンチョってさ、絶対に謝ったりしないよね。なんで?」

 以前、ヤエにこう言われたことがある。

 そう、ボクは、パンチョは謝罪をしたことがない。だが、それにはボクなりの理由があった。


 ボクは元々この世界の人間ではなかった。


猪王(ちょおう)イツモチ』

 愛機の銘であるこの名は、むかしボクがいた世界でのボクの呼び名だ。

 猪王というが別に猪などではない。れっきとした人間だ。戦では自らが先陣を切って、腕っ節を頼りに猪突猛進する姿から、こう呼ばれていた。嘲笑と畏怖とが綯い交ぜになった、ボクらしい二つ名だ。

 ボクの生涯は、戦に明け暮れ、そして戦場(いくさば)で息絶えた。

 ボクの前世はンコの民として生を享け、白斑(しろまだら)と称されるベリュゲン山脈の山間に暮らしていた。斑とは大蛇の一種だ。年中冠雪をいただき大陸を二分するように連なる山々を、人々は太古の昔より白い大蛇に模して崇めていた。

 そこではいくつもの集落が形成され、貧しいながらもオルカみたいに互いに争うこともせず平和に暮らしていた。

 平和はンコ教がもたらしたものといっても過言ではない。もともとはチュスクなる人物が開祖とされるチュスク教がこの地に伝来したことが発端だといわれている。チュスク教はンコで長い年月をかけ『ンコの民』の求める形へと変化していった。争いや暴力を不徳とし、清貧や平等を美徳とする教えに特化していったのだ。別に正しい行いだとか悪い行いだとか、そんなんじゃない。痩せた高地に根を張るには、そのやり方が都合がよかったのだろう。

 しかし永遠なる平和など幻想や夢物語のたぐいにすぎない。共同体として活動にステータス全振りしていたンコは、外敵に対してとても脆弱だった。文化が尖りすぎていたのだ。だがこれは已むなきこと。環境の厳しいンコでは、そうとしか生きようがなかったのだ。

 西の大国ヴァヌスの調査団が、東への交易路 ── 後にヴァヌスの錦道(きんどう)と呼ばれることとなる ── の開通のためンコへ訪れたのが十六年前。だが伝統を重んじるンコを組み難しと判断したヴァヌスは、協調を捨て武力をもってンコと対峙した。

 力をもって抵抗をすることをすでに忘れていたンコの民は、羊の群れのごとく無抵抗だった。捕らえられ、劣悪な環境で労働を課せられ、多くの者が命を落とした。

 供える花が増えてゆく。ボクは彼らに怒りをもって祈りを捧げた。それがいいことじゃないと分かりつつも、どうしようもなかった。

 個人または二、三人程度の反抗なら何度も起こった。当然ながら、大勢を揺るがすには至らず、見せしめとして彼らは口にするのもおぞましい非情な扱いを受けた。

 それでも抵抗は続いた。局所的、単発的、突発的だったものが、時を追うごとに徐々に組織的、計画的となってゆき、そしてついには一斉蜂起となった。中心となったのはカマスラという、十八歳の若者であった。

 カマスラにはカリスマがあった。そして腕っ節も強かった。

 しかし彼も志半ばにして凶刃に倒れる。そしてカマスラの遺言によりンコを託されたのが、このボク、イツモチであった。

 ボクはカマスラのような力はなかった。ただボクを慕う沢山の友がいた。

 ボクたちは粘り強く戦った。戦って何度も負けて、だけどそれ以上に勝利した。

 そしてとうとう、ヴァヌスの軍隊を山から追い出すまでに至った。十年以上もの歳月を要した。

 平和で穏やかな日々が戻るとものと思っていた。しかし、そうはならなかった。こぼれた馬乳酒(クムス)が器に戻ることはないとはよく言ったもの。防衛するための軍隊を維持するに、ンコは不毛すぎたのだ。

 ンコの民は肥沃な土地を求め、標高の高い集落を降りるしかなかった。標的はベリュゲン山脈に住まう、他の民族であった。 

 ヴァヌスと戦いぬいたンコは強かった。集落を次々と落とし、山伝いに南下していった。

 ボクたちはヴァヌスと同じことをした。同じ山の民を征服し、略奪し、服従させた。奴隷のように扱い、反抗するものは容赦なく殺した。

 彼らにとってンコは悪魔のように写っただろう。だけどもンコにも言い分があった。ヴァヌスに攻め入られたとき、ヤツらは援助もせずただ傍観していたのだから。

 しかし時を追うごとに、ンコの快進撃も陰りを見せる。

 南のンチャポ族は旗色が悪いと見るや、あろうことか己の領地にヴァヌス軍を引き入れたのだ。

 ヴァヌスは巧妙だった。彼らは拠点をや民を護る意識が低く、ンコが攻め寄せるとあっさりと引き、ンコが引くとそこにちょっかいをかけてきた。それほどの損害はない。だが数に物をいわせ、間断なく(つつ)くように攻めてくる。ンコは次第に疲弊していった。

 ボクはこれでは埒が明かないと、ヴァヌスの拠点を制することにした。それはンチャポの麓の城クトミリ城であった。

 結論を言うと、ンコはこの戦で大敗を喫した。

 勢いを失ったンコに、山の各部族が次々と蜂起した。

 ンコを取り巻く大規模な包囲殲滅戦。ボクたちはことごとく敗走した。

 ボクには特に信頼の置ける右腕がいた。名はカビリク。従兄弟でもあり親友でもあった。

「もう後戻りできないとこまで来てしまったのでしょうなぁ」

 彼は顔にかかった黒く長い横髪を、手櫛をするかのように耳の後ろへと流した。これはこの男のクセだった。

 ボクは言葉を詰まらせ目を閉じ頭を下げようとする。

 すると「謝らないでください」

 とても優しく拒絶された。

「あなたは堂々と前を向いているだけでいい。それだけで我々はあなたに付き従います。臣下とはそういうものでしょうし、ンコはそういうところです」

 彼の控えめだが誇らしげな笑顔が印象に残った。

 ボクはそのおよそひと月後、流れ矢に当たりあの世を去ることとなる。

 そして気づいたら、この世界に赤子となって生まれかわっていた。


 たぶんだれも信じないだろうし、ボクも信じてもらおうなんて思っていない。だけど事実だ。


 ボクは、チラッとヤエを見上げた。視線が交差する。明らかに怒気を孕んでいる。

 正直、腑に落ちない。ケツにケシゴムが当たったくらいで、そこまで怒らなくともよかろうに。

 不服に思いながらも急ぎ目を切る。そこにはヤエの丸くて可愛らしい二つの膝小僧が並んでいて、ちょっとドキッとした。このドキッは欲情のドキッだ。


── ボクは何をしているんだ ──


 ふと湧き上がる焦燥にもにた感情。

 ボクが読んだラノベの中では、転生した主人公が英雄になって世界を救ったり、国王や迷宮の主になって臣民に慕われたりしている。当然女にもモテモテだ。

 なのにそれに似た境遇のボクはどうだ。大した勉強もせず、部活にも入らず、ゲームとケシゴム落としに明け暮れる毎日。世を正すことも自分を磨くこともせず、毎日自堕落な生活を送っていた。女子にモテることもない。

 ボクは彼らが眩しかった。嫉妬心が芽生えるほどに。


 劣等感にさいなまれながらも抗えない。ボクは膝からフトモモのラインを視線でたどってしまう。

 あわよくば。そんな気持ちがボクの心を占める。だが大事な部分はスカートに阻まれている。

 どうする。どうする。いや、まあ、どうもしないけど。


「ヤエにあやまんなさいよ」

 セツコが横槍を入れた。渡りに船。彼女はボクに謝罪を要求している。それに乗かって、このまま頭を下げれば、ナチュラルに覗けるのではなかろうかと思い至る。

 ボクは心の中でセツコにサムズアップをした。

 ボクは頭を下げようと下を向く。そう敗戦し謝罪の言葉を述べようとしたあの時のように。

 そして目を閉じ……ない。ここはあの時とちょっとだけ違っていた。


「謝らないでください」

 ヤエの声だ。

 ボクは今一度、彼女を見上げた。

「ンコの王は謝ったらダメだよ」

 彼女は優しく拒絶した。

 なぜここでンコの国と言う。なぜボクが王であったことを知っている。そしてあの日のあの言葉。

 ボクは軽く混乱した。

 しかし真相をべつに外れても当たりさわりのないかたちで解明したい。

 ボクは頭の中で考えをめぐらし、聞く人にとってはとても曖昧だけど、もしヤエがあの男ならばわかってくれるはずの問を投げかけた。

「な、なんで。なんでわかった」

 声は掠れていたし、まあ大した質問じゃない。

 しかし正鵠はいたはずだ。なぜボクが王だとわかったのか。あの時と顔も違うし歳も違う。性別は、まあおんなじだけど。答えようによっては核心に迫れると思った。

 果たしてヤエはうっすら笑いながら、おかしそうに半笑いしながら告げた。

「ケシゴムに猪王なんて名前つけたら、そりゃあ分かるよ」

 そりゃそうだ……

 ヤエはボクの表情や仕草がおかしかったのだろう。プッと噴き出した。カワイイ!


「ヤエ、こんなやつ許したらダメだからね!」

 またもセツコが、あきらかに差し出がましい口を挟んだ。

「テメーは、おはじきを好きなだけ食ってろ!」

 そう叫びそうになったけれど、ギリギリ喉元で押さえ込んだ。


「まさかお前。カビリク」

 ヤエは一歩近づき目線の高さを合わせ優しく微笑んでくれた。まるで肯定を意味するかのように。

 思わぬ再会に視界が潤む。

 ボクの死後、ンコはどうなったのか。子供たちは。妻は。仲間たちは。訊きたいことがほとばしる間欠泉のように沸き上がってくる。

 だけど二人っきりで話し込んだりしたなら、ヤエでありカビリクである彼女のことが好きだとバレてしまいそうだし、仮にバレなかったとしても女たらしとクラスで噂されかねない。

 何でも知っているヨシダ君の話によると、このケースは不純異性行為に該当するのだそうだ。もし誰かがチクったりしてバレたなら、問答無用で生徒指導室行きだ。親も呼ばれる可能性があるという。そうしたら先生や家族にまでヤエが好きだってことがバレてしまう。それは避けたい。

 ボクはうなだれた。と、目の前にはカビリクでありヤエの膝頭が、今度は折りたたまれていた。その奥へと視線を向ける。が、角度が悪くて見えない。


 ここで思い至る。ボクはもうイツモチではないし、目の前にいるヤツももうカビリクなどではない。大昔の友情やら約束やら、厳密にいえばボクとヤエには関係ない。

 ならばここはどうするか。答えは決まった。答えが決まると肚が据わる。

 ボクは両手を床に付けた。

 見上げるヤエ(カビリク)の顔がこわばる。

 ボクは瞑目する。

 血塗られた宿命。呪われた血。ボクは今、猪王としてのボク自身をその呪縛から解き放つ。

 ゆっくりと頭を下げる。そしてここぞというタイミングで刮目した。

 完璧だった。ボクは床にこすりつけた頭は動かすことなく、眼球運動だけでヤエのヤエ自身を視界にとらえた。はずだった。彼女は今しゃがんでいるのに。

 あろうことかヤエはスカートの下にとんでもないものを仕込んでいやがった。

 視界の隅でボクが見たもの。それは、極限まで裾が捲くられた学校指定のエンジ色のジャージだった……。

 微妙な色合い。ファスナーがなくトレーナーのようなフォルム。かかとにくくる紐。

 他校から『農家ジャージ』と揶揄されたシロモノである。 

 はぐらかされ、行き場を失うリビドー。ボクは一瞬だけジャージを憎んだ。憎くて堪らなかった。

 それでもなおボクは、食い入るように見つめていた。諦めきれずにいたのだろう。


 ここで局面は急変する。

 ヤエは、否、カビリクは震えだした。

 そして彼女、否、彼は急に立ち上がった。

 ボクはやおらに彼女(彼)を見上げた。

 彼女(彼)は……泣いていた。その目は昔見たことのある目だった。信じた者が裏切られるときに見せた、あの目だった。

 彼女(彼)がなく理由はニパターン考えられた。一つは古い友が誓いを反故にして謝罪してきたこと。もう一つは単にクラスの男子がスカートの中を思いっきり凝視していたこと。


 教室入口の戸がガラガラと開かれ、そしてどんっと勢いよく閉める音がした。

 彼女(彼)の足音がとおざかる。

「ちょっと、ヤエー。どうしたのー」

 セツコの声も遠ざかる。

 ボクはこの瞬間、友情を失ってしまったのかもしれない。

 当然のような気がする。ボクだって元忠臣が大事な約束を破って、ボクの大事なモノを見ようとしていたなら、同じように思っただろう。いや、それはキレイ事だ。本当は恥ずかしいけどそこそこ興奮していたと思う……

 ダダ漏れする欲望と、その源である第二次性徴の勢い、そして頑なさ。ボクは罪深きそれらを、全身で感じ身震いした。

 ボクは立ち上がる。

 横を見るとヨコタ君の使い込まれた中華鍋のような顔が、ニヤけっ面を浮かべていた。

 状況を見るに、多分やらかしてしまったのだろう。それでもだ、ボクはこう思ってしまった。


── いやぁ、惜しかったなぁ ──


 カビリク、いろいろごめんね。

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