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第10話 孤独の魔王




「セラフィは恐怖政治という言葉を聞いた事があるか?」


 耳元で睦言のように囁かれたのは、ぞっとする単語だった。


 真面目な話をするのだから腰を落ち着かせて、きちんと互いに目を見て向き合って話したいと私は意思表示をした。

それなのに、何故かあれよあれよという間にクロノスの膝の間に座らされている。


 仕事が酷く立て込んでいる時にクロノスが仮眠をとれるようにと執務室の隅に設けられた休憩スペースのカウチソファーは、柔らかいクッション素材を使っていて抜群の座り心地を誇っている。

だけど、それを打ち消して余りある程の居心地の悪さを私は感じていた。


 原因ははっきりしている。

私を後ろから囲い込むようにして同じソファーに掛けているクロノスのせいだ。

嫌いになると言われた事に対する報復なのか、それとも落ち込んでいたが故の衝動なのか判らないけれど、彼は前傾姿勢になってぴったりと私の背中に貼り付いている。

いっそ、しなだれかかっていると言っても良いかもしれない。


 そんな密着した姿勢で落ち着くとクロノスはのたまっていたけれど、こちらは全くもって落ち着かない。

時折、クロノスの手が妖しくうごめいて、膝の上で組まれた私の指を絡め取ったり、髪の毛の先をクルクルと弄んだりすれば、気になって仕方なかった。

そのまま話を始めようとするクロノスに猛抗議して、話し中はモゾモゾしないという条件で肩に腕を回して後ろから抱かれ、今に至る。


 ちょうど私の左肩に顎を乗せる形で落ち着いたクロノスは、傍目には甘い恋人同士の語らいのような雰囲気を醸し出しながらも真面目に語り始めた。


 ビクリと背筋を何かが駆け抜けるような感覚がしたのは、耳に掛かる吐息のせいだろうか?


「あまり詳しくはないけれど、聞いた事くらいはあるわ」

「そうか、じゃあ軽く説明しよう。恐怖政治とは、権力者が自らに反抗する者を暴力的な手段を用いて弾圧をする政治体制の事だ。弾圧の具体的な手段には、殺戮や拷問等も含まれていて、どれも苛烈を極める。人道的にはどれも赦せない行いだろうが、ここ魔界でも何百年も前からこの恐怖政治が行われている」


 ハッと息を呑んだのは無意識だった。

パチリと歯車が噛み合うように、話の繋がりが見え始める。


「ここまで言えば、察しの良い君なら判ってしまうだろうな。そう、その恐怖政治を行う権力者こそ、この俺だ」


 わかっているつもりでいて時々忘れてしまいそうになるけれど、クロノスは魔王だ。

つまりは魔族の王様で、その地位がただの飾りでないのなら、彼は誰よりも深く魔界の政治に携わっている事になる。


「どうしてそんな……」


 口から溢れたのは、うわ言のような声だった。


「魔界は君が考えているよりもずっと恐ろしいところなんだ」

「知っているわ」


 顔の横でクロノスがゆるゆると首を振ったのがわかった。


「人も魔族もね、自分の目的の為ならどんなにでも残酷になれる。だけどバラバラの者達が、バラバラの目的をもって好き勝手に振る舞えばその先にあるのは破滅だけだ。だから突出したものを見せしめのように罰する。天界にだって、罪を罰する掟はあるだろう? 罪を犯した人間には、天界から天罰が降る」


 人間の重罪に対する天罰を与えるのは、私のよく知っている天使の役目だった。

そう、サリエル様だ。


 邪眼のサリエルと言われているのは、サリエル様の役目のせい。

つまり重罪人に死の罰を与えているからだ。


「他に方法は無いの?」

「魔族は欲望に忠実な者が多い。それを潰すには、たとえ非道だと言われようと派手な方法が一番確実で、手っ取り早い。話し合いなんて無意味で面倒なだけだ」

「……っ!」


 すっと身体が冷えていく感覚がした。

反対に心では激情とでもいうべき炎が燃え盛っている。


 胸の前でクロスするクロノスの腕を振りほどきたくて、でもそれはかなわない。


「命を何だと思っているの!?」

「それが陛下の望みだと、本意だとでもお思いですか?」


 勢い任せに罵倒すれば、頭上から声が降ってきた。

ニンブスさんだ。

顔を上げれば、私を静かに見下ろしている姿が目に入る。

そこにふざけた笑みはなかった。


「話し合いなどという生ぬるい手段で反乱分子を抑えられるほどここは優しい世界ではありません。陛下は言わば抑止力。揺るぎない、絶対的強者が魔界には必要なのです」

「それじゃまるで、わざと民に嫌われようとしているみたいに聞こえ……」

「みたい、ではなく事実ですよ」

「ニンブス、喋り過ぎだ」

「……申し訳ございません」

「そんな……」


 ショックだった。

クロノスが制止をかけたせいで、ニンブスさんが本当の事を言っているとわかったからだ。


「そんなのって悲し過ぎるよ……」

「これは必要な事なんだ」

「だけど、全部一人で抱え込む必要なんてないじゃない?」

「嫌われ者は一人で十分だ」

「そんなのおかしいわ。だって、誰よりも魔界の事を思って、誰よりも民の為に苦労しているのに、誰からも理解されないなんて」

「いいんだ、セラフィ。どんなに言葉を重ねて言い繕ったところで、俺が私利私欲の為にこの魔界を、そして魔王という地位を利用しているのは事実だから。俺はね、本当は魔界なんてどうでもいいんだ」

「目的の為に自分自身ですら利用するの?」

「二度と失いたくないんだ」


 そうまでして欲しいもの、失いたくないものとはいったい何なのか?

二度とという事は、一度失っているの?


「クロノス、貴方は本当は優しいのに……」

「俺の優しさなんて、君だけが知っていてくれればいい。誰に愛されずとも、君に好いてもらえるのなら、俺はそれだけでいい」


 それは魔族にしては随分と控えめに聞こえる言葉で、だけどそれが偽りであるとも思えなかった。

純粋と見紛うほどに歪んでいる。


 強いのに脆い。

暗く淀んでいて、先が見通せない闇を背中に感じた。


「これは宰相としてではなく個人的なお願いですが、セラフィ様。出来る事なら貴女は、貴女だけは陛下を愛してあげて下さい」

「私にお願いするより先に、自分が支えてあげればいいじゃないの」

「これは一本取られてしまいましたね。ですが、私などでは力量不足でとても手に負えませんよ」

「そこは忠臣なら、はいそうですねと答えるところじゃないの?」

「私は合理的に事を運ぶ方が好みなんです」

「俺はセラフィがいいと言っているだろう? いや、セラフィでなければダメなんだ。……というわけで、息苦しい話は終わりだ。セラフィ、仕事を張り切り過ぎたせいで少し疲れた。ここで少し休もう」

「ひゃんっ」


 少し和らいだとはいえ、真面目な雰囲気だからこそ油断していた。

急に話の方向転換をしたクロノスは、続いて身体の方向転換もする。

……そう、私ごと。


 急に脇腹の柔らかいところを触られて、変な声が出たかと思えば、クロノスの端正な顔を見下ろしている自分に気付く。

いつの間にか、カウチに横になったクロノスの腰の辺りに馬乗りする体勢になってしまっていた。

これではまるで私が押し倒したみたいだ。


「どちらかというと自分が見下ろす方が好みだけど、たまには見下ろされるのもいいな。悪くない」

「悪くない、じゃなくて! 寝るならお一人でご自由にどうぞ!」

「寂しい」


 飛び退こうとした私の腰をクロノスが捕まえる。

片手を添えられているだけだというのに、どういうわけか動けない。

押そうが引こうがビクともしなかった。

こちらが両手両足を使ってもがいているというのに、クロノスの片手は私の髪を撫でている。


 カッと、全身の血液が恐ろしいほどの速さで駆け巡るのを感じる。

頭がクラクラする……。


「ニ、ニンブスさん! 黙って見ていないで助けて下さい……!」

「おや、お似合いですね。陛下も幸せそうでなによりです」

「似非勇者!」

「自分の利益にならない事、労力に報酬が見合わない労働はしない主義なんです」


 他の皆がクロノスを恐れているけれど、ニンブスさんだけは例外だ。

そう思ったのに、寄せた期待は裏切られてしまった。

ニンブスさんは腹が立つくらいにニッコリといい笑顔を浮かべている。


 困っている乙女を見捨てるだなんて、どこが勇者なのだろう?

紳士かどうかすら危うい。


「セラフィ、助けなら俺に求めてほしい」

「貴方から助けてほしいの! 現在進行形で私の自由を奪っているのは他ならぬ貴方でしょう?」

「それでは私はお邪魔なようなので、これにて失礼致します」


 行かないでと伸ばした手は孤独の魔王に絡めとられて。

腹立たしいくらいゆっくりと丁寧で洗練されたお辞儀を披露して宰相閣下は部屋を出る。


 バタンと扉の閉まる音がやけに大きく聞こえた。




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