PAST 46:影part1
まだ午後の明るい時間だというのに、森の中は暗かった。足場も悪く、中々開けた場所に出ない。バイクの音が不気味なほどよく響いた。樹海に迷い込んだようだった。
今にも鬼哭が聞こえてきそうだ。
魑魅魍魎たちが修二の周りに集ってくるような気がした。
(まだ森は続いているのか、早く抜けないかな……)
奥へ、奥へと突き進んでゆく度に不安が募る。こんなにも秋の風物詩の紅葉が恐ろしいものだ、と思ったのは初めてだった。
所々で、動物たちが林道に飛び出してきて、神聖な森の侵入者である修二を睨みつけ、歯を剥き出しにして威嚇し、「ガカカカカ」などと変な鳴き声が聞こえたりするたびに修二の恐怖感を煽り立てる。
怨嗟をあげる鳥たちの声を聞くたびに、森に殺されると痛感する。
一向に森が晴れてくれる気配はない。
「頼む早く抜けてくれ」
声に出さなければ、心が殺される。修二の息が荒くなる。恐怖でまともに呼吸できているかすらもわからなくなっていた。
最悪なことに空には雲がかかってくる。日差しがなくなってしまう。
恐怖と戦いながら、しばらく進んだ時だった。漸く依里茄の言っていた工事現場というものが姿を現した。
一旦バイクを停車する。
開拓地なのに、作業は一向に進んでいないようにも見えた。錆び付いた工事車両が不気味に見える。その工事現場を見下ろすように、大きな建物が立っていた。明かりはついていない。
ネクロポリス(死都)が浮かんだ。目的の場所が見えてきたが、無人でないことを祈る。
「……」
修二は見ていても気を悪くするだけだとバイクに乗り、急いだ。動悸がする。ゴーストタウンに向かうような気持ちだった。わざわざ恐ろしいところに行くのは気乗りしない。
少し先に行くと、三叉路が出てきた。空も曇り早めに目的地に行きたいが、少し周囲を確認する。この三叉路を直進すれば依里茄の言っていた基地に行くのだろう。もし、折れれば高々とそびえ立つ政府軍本拠地へ出る。
修二は直進ルートを選んだ。ドキドキが止まらない。行ったことのない場所に行くなんてそんなものだ。
バイクを道なりに走らせた。
道なりに進んでいき、緩いカーブを曲がると、建物が二つ見えた。
修二から見て右側には少し大きめな建物、修司から見て左側には二階建てほどの小さな建物。
物色していたその時だった。
「あれ? お前、修二か?」
聞き覚えのある声でそう聞こえた。大きな建物を見ると、わきに依里茄が立っていた。修二は依里茄を見つけた途端、慶幸を満喫した。
依里茄は修二に手を振ると、駆け寄り、
「やけに早い再開だな。どうした?」
と言った。
修二は涙を浮かべて依里茄を見ていた。不安だった道中、怖かった山道、居なくなった仲間。ここに来て、ドッと苦労があふれ出す。
「どうした?」
依里茄が少し心配そうに声をかけると、修二はバイクから降りて、依里茄に抱きついた。
「なんだ?」
と依里茄は驚いたが、すぐに修二の状態を悟って大人しくする。
「良かった……良かった」
修二が呟く。全く状況がつかめない依里茄は当惑しながらも、
「どうした? 何があったんだ修二?」
「……依里茄は味方だった」
意味不明なことを言われて依里茄は眉をしかめたが、
「……まあ、良く分からないけど、取り敢えずこっちに来い」
と修二の手首を掴んで、本館の方へ引っ張っていった。
中に入ると、そこには、第三部隊のメンバー、友佳、咲希と智恵利も居た。そして、修二を川原で見つけてくれたホワイトシェパードの姿も。
「おお! シュゥジィ!」
友佳が嬉しそうにそう言った。
無邪気な子供のような彼女の微笑みが今の修二には途轍もなく天使の笑顔に見える。
「やけに早いなぁ修二。そんなに会いたかったか?」
足にギプス包帯を巻いて、椅子に座っている咲希が言った。
咲希は修二が来たことを大いに喜んでか、椅子から立ち上がり元気な姿を見せてくれた。
「修二君。お疲れ様、なにか入れる?」
と智恵利がニッコリ笑ってそう言った。
優しい微笑みと気配りが修二の心をフンワリと柔らかく温めた。
「ワン! ワン!」
犬が吠えながら、修二の足にまとわりつく。
「え? ちょっと……」
歩きづらい。
「おうおう、そいつ、放置しておくとお前の足に糞するぜ」
「ええ! それなら早くどかして!!」
咲希の一言に狼狽える修二を見て第三部隊のみんなが笑っていた。
「大丈夫よ、修二君。ロキはお利口さんだから、咲希みたいな下品なことしないわ」
「な、なんだと! 下品とは何だ智恵利ぃ!」
咲希は智恵利の一言にいきり立っていた。修二はいつもの第三部隊の光景にいつの間にか笑顔を取り戻していた。「来てよかった」と痛感した。
だいぶ、心が落ち着いてきたところで、
「そういえばシュージィ。リューとかと一緒じゃないのか?」
と友佳が呟いた。
「それが……」
修二が呟くと、下品と揶揄された咲希が、
「締め出しでも食らったのか? 言うこと聞かねえ犬みてえに」
と言って「ククク」と腹を抱えて笑っていた。咲希の犬に対する冒涜とも言える発言にロキは反応し、「ワン! ワン!」と吠えながら智恵利の足に飛びかかった。智恵利は呆れたように、
「あんたを馬鹿にしたのは、隣にいるギプス(咲希)でしょ」
と言った。咲希はロキのボケっぷりに笑いを堪えているようだ。腹痛でも催したかのような気配を見せ、腹を抱えている。
依里茄は平然と座っていた。
その時だった。
修二の背後にある入口が荒々しく開く
修二は咄嗟に人の気配を感じ取り、後方にあるドアに向き直りながら後退する。ドアの向こう側には武装した兵士が立っていた。胸のワッペンには政府軍の象徴と思われる『G』という文字がデカデカとデザインされている。
威圧的に何食わぬ顔で兵士は修二を睨みつける。一瞬修二は連行されるのかとも感じた。
「依里茄。玄三様がお呼だ」
兵士はドスの利いた声で言った。修二は少し恐怖感を抱きながら相手を凝視する。この先の不幸な結末を予測して、修二の顔は引き攣った。
「チェッ、もう少し待つってことを知らないか? どうしようもない曹長だ」
依里茄は面倒臭そうに言って、窮屈そうに足を運んだ。兵士は修二に眼を飛ばしていたが、手を出すことなく、気に入らなそうに見て出て行った。
「ったく、どうしようもねえ武人だぜあいつら。第三部隊に男がいることを不服に思ってやがる」
咲希が発言した。
「ほんとよね。あれは絶対妬いてるわ」
「女々しい連中だな。両手に花を持ちてえってか?」
智恵利の言葉に咲希がそう続けた。修二は怪訝に思って、
「妬いてるって?」
智恵利に訊く。
「知らないほうがいいわ」
呆れたように言った。
智恵利は嘆息し、修二から目を背け、咲希に目をやった。咲希はぼさっとどこか一点を見つめていた。どこを見ているのか不明だが、暇さえあれば友佳と謔浪し、友佳を嘲謔する悪漢な言いぶりで、相手を翻弄する咲希がぼさっとしている姿は珍妙だと言える。
すると、咲希はコップを持った。それを指に被せるとクルクルと回し始めた。意味不明だ。
「あんたってホント暇よねぇ」
智恵利が言った。
「あんだよ、智恵利ぃ。別にいいじゃねえか、こういう時は酒だろ? おい、友佳、ワイン注いでくれよ」
「え~。なんでアタイなの? 自分で注げばいいじゃん」
「おい、あたしは怪我人だぞ!」
「咲希姉の怪我なんて知らないよ。リハビリ程度に動いたら?」
「ったく、活きのいい小娘だ」
もはや、咲希にとって友佳は使いっぱしりの下僕的存在なのだろう。咲希は億劫そうに立ち上がり、適当にワインを手にとった。
すると、それを自分のグラスに注ぐ。アルコールの匂いが臭覚を刺激して鼻を突く。修二はこの匂いには慣れていない。
「フッヘッヘッヘッヘェ。いい香りだぜぇ」
注ぐのを止め、「いただきます」と咲希が取ろうとした瞬間、グラスは移動する。
「ん?」
咲希は状況が読めないでいた。
脇でゴクゴクと喉を鳴らしている窃盗犯がいる。智恵利だ。
「ああ! てめえ! それあたしのだぞ!!」
瑣末なことで悪態をつく咲希に智恵利は、
「いやぁ、美味しかったよぉ。ご馳走様」
と、アイロニーを奏でていた。咲希は目を剥いて、情致にワインの香りを味わってた慶幸な表情を変幻し、怒りの形相を浮かべている。
「テンメェ、それはあたしのだって知っててやりやがったなぁ」
怨恨、百パーセントの声を唸らせて、顕著に憤慨をぶつける咲希。
修二は眼前で兼行される瑣談に厚遇され、堅実だと思っていた智恵利のファーストインプレッション(第一印象)が崩壊し、智恵利が『咲希並み』の人間だと認識する。
「ほら、もう一杯頂戴よ。まだそんなに残ってるんだからさぁ」
智恵利の頬はもう真っ赤になっている。酒には慣れていないらしい。
「だがよ、智恵利。お前はとんだ誤算をしたぜ。お前の酒奪いの万策なんてものはなぁ、こうしちめえば終わりなんでぇ!」
智恵利はワイン瓶を鷲掴みにして、それを口の中に注いだ。一気飲みは生命に絶大な影響を与えるため、グビッと一杯飲むと、すぐにワイン瓶をテーブルの上に置いた。
「けんにゃろぉ。それはヒクッ、あっしのワインだぞぉ」
泥酔中の智恵利と咲希のワインの奪い合いが始まる。
「「×ω%#γδ!」」
二人はもう何を言っているのかわからない。酔っぱらいの戯れだ。
「馬鹿だねぇ。シュゥジィ、上に行こう。二人の痴話喧嘩に巻き込まれたら面倒だよ。それに、なんか話したいことがあったからここに来たんでしょ?」
友佳がこの時ばかりは大人に見えた。修二は友佳に案内され、螺旋階へと誘導された。
二階に上がった友佳は、素朴な窓まで通じる直通の廊下を進む。廊下は所々でドイリーの敷かれた小さなテーブルが扉の脇にポツリと置かれているだけだった。ここは部隊員達の個室が並んでいるようだ。扉を二、三個過ぎたあたりで友佳は扉を押し開けた。
パチッと何かのスイッチを入れる音が聞こえ、「どうぞ」と言った。時折、修二は友佳を不思議に思う時がある。
人間不信に陥りがちな陋劣で醜劣なこの世界で、彼女はこんなにも人間を信頼でいる。魂胆は分からないが、人間を信頼しているということは、いいことだ。
靴を脱いで、部屋に上がらせてもらう。綺麗な部屋だ。友佳のことだからもっとだらしなく散らかっていて、足の踏み場のないような部屋だと想像していたが。
「こっち」
友佳は部屋の奥に案内する。
奥へ入ると、そこは生活用品の整った場所で、棚の上には沢山のぬいぐるみと、一枚の写真が飾られていた。この世界ではどこへ行っても、個室には写真が付きものなのだろう。よく辺りを見回すと、一つソファが置いてあるのだが、そこにもぬいぐるみが置かれている。
ぬいぐるみ、ぬいぐるみ、ぬいぐるみ……。
なるほど、そういう趣味か。可愛らしい部屋だ。
「ぬいぐるみだらけでゴメンネ。まさか、シュージがこんなに早くここを訪ねてくるなんて思わなかったから」
言って、ソファの上に乗っていたぬいぐるみをゴッソリ両手で抱えて、それをぞんざいにベッドにぶちまけた。
「で、お話。私でよければ聞かせてもらえないかなぁ?」
友佳はニッコリ笑って、ぬいぐるみをぶちまけたベッドにドスンと腰を下ろした。腰を下ろした衝撃で何体かのぬいぐるみがボロりと落ちる。
ましてや、あんなに沢山。
偏見で世界を捉えてはいけないなと修二は心に言い聞かせて、
「実は厄介なことがあって」
と前口上を並べ、
「隆と美来が奇襲にあって」
「き、奇襲? それで?」
「隆と美来の安否は分からないんだけど……。ここに来れば何かわかると思って」
「へえ、でも、なんでここに来れば何か分かるって?」
「その、奇襲したヘリなんだけど、政府軍のヘリだったんだ。それに、こっちの方角に飛んでいったから、もしかしてと思ってここに来た」
と言うと、友佳は少し顔を歪めた。脳内で錯綜する情報を整理しているみたいだった。
「だいたい何があったのかは分かった。要するに急襲を受け、そのヘリが政府軍の領域に飛んでいったのを見て、政府軍を疑っていると。そういうことだね?」
友佳は意外なほど物分りがいい奴だった。ちょっと真剣味に欠けるが、多方の事情は把握してくれたようだ。
「でも、それは妄念だと思うよ? 政府軍と帝国軍は現在停戦状態にあるし、勝手に帝国の領内に政府軍ヘリが侵入して、攻撃すればただ事じゃないし」
友佳は言った。
分からずじまいで終わりそうなこの話に、修二は机の上に置いてあった写真を見た。友佳の幼い頃の写真だ。友佳を挟み込むように両親が写っている。背後には立派な家が建っていた。
「そんな顔しないで修二。領内に侵入したとなれば、今頃戦争だよ? きっと帝国軍がやったんだって、わざと政府の領域に逃げるふりをして、政府が攻撃したみたいにでっち上げたんじゃない?」
聞かされると気に食わないものだ。ここまでの努力が台無しになった気分だ。
修二は疑わしそうに渋い顔をする。
「疑ってるみたいだけど、少なからず私達、第三部隊は絶対白だよ。昨日は『帰った』後、何もしないで休憩してたもん」
「帰った? 車もないのに、徒歩で? 昨日のうちに?」
「違うよシュージィ。徒歩で帰ったわけじゃないって」
友佳は手を左右に振って否定する。
「実は昨日さ、『迎え』が来たんだよ。あの町に、車でさ」
嘗てない反骨精神が修二の神経を敏感にさせる。疑わしい言葉は見逃さない。いつかの時代、修二が身につけた鋭利な感覚。
「『迎え』? それも車で?」
「そ、そうだよ……」
「それで何か変わったことは?」
「か、変わったことって……?」
「どんなに些細なことでもいい。頼む、思い出してくれ」
「えっと、確かあの日は、『呼んでもいない』のに二台ほど車が来て―――――」
「ちょっと待って、呼んでもいないのに迎車が来たのか?」
「そうだよ? 『第五部隊と第三部隊の連絡受けて駆けつけたぁ』。とか言ってたけど……」
修二は少し考える。第五部隊は空港騒動の時、修二に例を言って来た男が隊長の部隊だ。しかし、第五部隊が仲間に送迎車を出してもおかしくはない。
でも、どうして『月滅の町』に第三部隊が滞在しているとわかったのだろう。
いや、きっと虱潰しに『各地を探しまくったんだろう……』。
「他には?」
「その内の一台には珍しく政府軍、隊長の『玄三さん』が乗ってたってことくらいかな?」
これは、あまり関係なさそうだ。部隊長である玄三が乗っていたのは恐らく、帝国軍に領域の侵入許可を得るためと考えてもいいだろう。
でもどうして騒ぎにならなかったんだ。
「なあ、友佳」
「う?」
「さっき、帝国軍の領域で帝国軍と政府軍と戦闘になったら戦争ざただって言ったよな?」
「言ったよ」
「なんで騒ぎにならないんだ? 僕たちゲリラが監獄を攻め入ったことは、奴らに漏れてるはず。それなのに、なんでお前たちに手を加えないんだ?」
「きっと、玄三さんがどうにかしてくれたんじゃない? 丸く収まるようにって?」
友佳は苦笑いする。
「そんなはずない! 友佳は僕らの存在を忘れたの?」
「シュージィがゲリラだってこと?」
「うん。友佳たちが僕たちに手を貸したことがバレたら大変なことになるんじゃないか?」
修二が言うと、友佳は急に顔が青ざめた。何か重大な点を見落としていたことに気付かされたように。看破された友佳はフゥと息を吐いて。ゆっくり口を開く。
「……やばいね。たぶんそれ、あなただけの問題じゃないね」
何かを恐るように視線を落とし、俯いた。すると、ブルブルと震えながら、
「これって、私たち(第三部隊)が壊滅するって暗示なのかな?」
と言って、臆病風に吹かれていた。
「どうしよう……? シュージィ。
私たち、
政府に殺される……」
熱狂していた一室に、ジンワリと沈黙が広がっていった。




