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赤翼のワイダー  作者: 忍絵 奉公


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第1章:燃える竜の巣からの逃亡 1話~4話


第1話:王都銀虎精鋭部隊


標高七千メートルの山。その四千メートル地点、雲よりも高い場所に、小さな村があった。

外界の地図には載らず、旅人の記録にも残らない。

険しい崖と氷の尾根に囲まれたその村を、人々はただ「巣」と呼んでいた。

なぜなら、そこには人間だけでなく、空を支配する生き物――ワイバーンが共に暮らしていたからだ。

村の人口は百にも満たない。

そのうち三十名ほどが、ワイバーンを乗りこなす者たちだった。

彼らは「ワイダー」と呼ばれ、赤い翼のワイバーンを自在に操り、山の上空を飛び、山羊や巨大な鳥を狩り、遠くの湖で魚を捕った。

翼を広げれば小屋ほどの大きさになるワイバーンは、外の世界では恐れられる魔獣だ。しかしこの村では違った。彼らは仲間であり、家族であり、空を分け合う相棒だった。

残りの村人は、段々畑でわずかな穀物を育て、山菜を集め、寒さに耐えるための毛織物を作って暮らしていた。

厳しい自然の中でも、村には穏やかな時間が流れていた。子どもたちはワイバーンの幼体と追いかけっこをし、大人たちは夕暮れに焚き火を囲んで笑い合う。

誰もがこの場所を世界のすべてだと思っていた。


十三歳の少年、アリュウもその一人だった。

彼の父は、村一番のワイバーン乗りだった。

巨大な赤翼のワイバーン「ガルド」を操り、誰よりも高く飛び、誰よりも遠くへ狩りに出る。

村の子どもたちは皆、父の背中に憧れていたが、アリュウにとってはそれが日常だった。夕方になると父は空から降りてきて、アリュウの頭を大きな手でくしゃりと撫でる。

「もう少しその子が大きくなったら、お前も飛べるな」

まだ人を乗せては飛べない、子供のワイバーン。

「……!」

アリュウをじっと見つめるその瞳。

それは彼が育てていたワイバーンだった。

卵からかえしたばかりの幼体。初めて見た者を親だと信じる。

まだ名前もまだつけていない。

翼はまだ柔らかく、体も犬ほどしかない。


「こいつを大事にしろよ」

そう言って笑う父の横で、ガルドが低く鳴く。

その声は山に響き、村の犬たちが遠吠えを返す。

アリュウはその音が好きだった。

ここが自分の居場所だと、胸の奥で温かく感じられるからだ。


しかし、その日。

すべては、突然終わった。

朝、山の風が妙にざわついていた。

ワイバーンたちが落ち着かず、翼を広げて空を警戒している。

アリュウは家の外に出て山の斜面を・・・そして見た。

黒い点が、まばらに森の中に広がっている。

最初は動物の群れだと思った。

だが違った。やがてその影は少しずつ大きくなり、鋼の鎧が太陽の光を反射し始める。旗が翻り、槍が並ぶ。

王都軍だった。

その先頭に、銀色の虎の紋章を掲げた部隊がいた。

王都軍精鋭部隊――銀虎。

五百ほど。

あまりにも多すぎる兵士が、山の斜面を埋め尽くしていた。

村人は戦いを知らない。

狩りはできても、人を殺す術は知らない。

銀虎の兵士たちは迷いなく突入し、家々を囲み、縄を投げ、村人を捕らえていった。

抵抗する者は殴られ、倒され、引きずられる。

そして彼らは叫んだ。

「ワイバーンを捕らえろ!」

その言葉と同時に、村の裏側――森に火が放たれた。

油を撒いたのか山の木々は一瞬で燃え広がり、赤い炎が壁のように立ち上がる。

逃げ道を塞ぐための火だった。

アリュウは呆然とその光景を見ていた。

父の声が響く。

「アリュウ!」

振り向くと、父が剣を握っていた。隣には三人のライダーがいる。

背後には暴れるガルド。

「聞け!」

父の声は、これまで聞いたことのないほど鋭かった。

「この子たちを連れて逃げろ!」

アリュウの腕に、二人の小さな子どもが押し付けられる。まだ十歳にも満たない兄妹だった。泣きながら震えている。

「父さんは?」

思わず聞く。

父は一瞬だけ笑った。

「すぐ追いつく」

嘘だと、アリュウにも分かった。

前は銀虎。後ろは火の海。逃げ場などない。

それでも父は剣を構え、兵士の群れへと走った。三人のライダーも続く。ガルドが怒りの咆哮を上げ、翼を広げた。

その瞬間、アリュウは決断した。

火を見る。

赤い壁。熱風。煙。

だがそこには――兵士はいない。

「……行くぞ」

震える声で呟く。

二人の子を抱きしめた。

そして。

炎の中へ飛び込んだ。

世界が一瞬で赤く染まる。

熱が肌を焼く。煙が喉を刺す。

涙で視界が滲む。それでもアリュウは走った。走り続けた。

背後で、ワイバーンの咆哮が山を揺らした。

そして剣のぶつかる音が、遠くで響いた。


第2話:赤翼の帰還

炎の森を抜けてから、どれくらい走ったのか分からなかった。

アリュウはただ前へ進んでいた。

腕の中では、近所の兄妹がまだ泣いている。

山の空気は薄く、息を吸うたび胸が痛む。足もすでに感覚がなくなりかけていた。

それでも止まるわけにはいかなかった。もし銀虎の兵が追ってきていたら――。

「……大丈夫だ」

自分に言い聞かせるように呟く。

背後の空は、まだ赤かった。

村のあった方向。炎が夜のような煙を吐き続けている。

アリュウは振り返らない。

振り返ったら、きっと足が止まる。

山の斜面には道などない。

岩と雪と低い木々があるだけだ。

足を滑らせれば、そのまま谷底まで落ちるかもしれない。

それでもアリュウは、二人を抱えたまま必死に下り続けた。

やがて、かすかな音が聞こえた。

さらさらと流れる、水の音。

アリュウは顔を上げた。

岩の間を細い小川が流れている。

雪解け水だろう。透明な水が、白い石の上を静かに流れていた。

「……ここで、休もう」

アリュウはようやく膝をついた。

二人の子どもも地面に座り込み、しゃくりあげながら泣いている。

顔はすすと涙でぐしゃぐしゃだった。

アリュウは川の水をすくって飲んだ。

冷たい水が喉を通る。

体の奥まで凍るような感覚が走るが、それでも生き返るようだった。

「……もう大丈夫だ」

そう言ってみる。

だが、自分でもそれが嘘だと分かっていた。

ここがどこなのか分からない。

この山の下に村があるのかも知らない。

アリュウは生まれてから一度も、この山を降りたことがなかった。

村の外の世界など、何も知らない。

「……」

兄妹はまだ泣いている。

小さな肩が震えているのを見ると、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。

自分だって怖い。

父はどうなったのか。

村の人たちは。

赤翼たちは。

何も分からない。

それでもアリュウは、顔をしかめて笑った。

「ほら……水飲めよ」

手ですくった水を差し出す。

二人は震えながらそれを飲んだ。

その時だった。

上空から、かすかな羽音が聞こえた。

アリュウは顔を上げる。

空にはすでに夕暮れが広がっていた。

赤く染まる雲の中から、小さな影がこちらへ向かってくる。

最初は鳥だと思った。

だが違う。

その翼は、赤かった。

「……!」

アリュウの目が見開かれる。

赤い翼が夕日に透ける。

まだ小さく、ぎこちない羽ばたき。

そしてその口には――小さな兎がぶら下がっていた。

キィッ!

聞き慣れた鳴き声が響く。

「……お前……!」

小さな赤翼が川辺に降り立った。

着地は少し失敗して、よろける。

それでもすぐに立ち直り、兎を地面に落とした。

そしてアリュウの方へ駆け寄る。

短い翼を広げ、嬉しそうに鳴いた。

キィ、キィ!

「……生きてたのか」

アリュウの声が震えた。

炎の向こうに残してきた、あの子。

それが今、ここにいる。

小さな赤翼はアリュウの足元に頭をこすりつけた。

まるで「見つけた」と言っているようだった。

アリュウは思わず、その首にしがみついた。

「……よかった……」

胸の奥に溜まっていたものが、溢れそうになる。

だが泣くわけにはいかなかった。

後ろでは、兄妹がぽかんとその光景を見ている。

アリュウは顔を上げた。

「ほら……飯だ」

兎を持ち上げて言う。

子ワイバーンが誇らしそうに鳴いた。

日暮れはもう近い。山の空気は急に冷えていく。

「今日は……ここで休もう」

アリュウは川のそばの岩陰を見つめた。

火を起こせるか分からない。

食べ物も足りない。

そして、この先どうすればいいのか――

まったく分からない。

それでも。

泣いている二人の子どもがいる。

そして、自分を信じてついてきた赤翼がいる。

アリュウは空を見上げた。

赤い夕焼けの向こうに、煙がまだ上がっている。

心の中で、静かに誓う。

(……生きる)

何があっても。

この三人と一頭で。

生き延びる。

それが、すべての始まりだった。


第3話:焼けた巣への帰還

夜の山は冷たかった。

川のそばの岩陰で火を小さく焚き、三人と一頭は寄り添うように眠った。

アリュウは何度も目を覚ました。

枝の折れる音や風の唸りが、すべて追手の足音に聞こえたからだ。

それでも空が白み始めるころ、ようやく朝が来た。

山の空気は鋭く冷え、吐く息が白い。

アリュウはゆっくり起き上がった。

隣では兄妹がまだ丸くなって眠っている。

小さな赤翼のワイバーンは、翼を身体に巻きつけるようにしてそのそばで寝ていた。

時折、夢でも見ているのか、かすかに鳴き声を漏らす。

アリュウは空を見上げた。

青く澄んだ朝の空。

だが、その向こうの山の上には、まだ黒い煙が細く上がっている。

村の方向だった。

(……どうする)

胸の奥に重いものが沈む。

このまま山を下れば、どこかの村に出るかもしれない。

けれど、本当にそんな場所があるのかすら分からない。

アリュウは生まれてから一度も、この山を降りたことがなかった。

道も知らない。

人も知らない。

世界を知らない。

兄妹が目を覚ました。

「……アリュウ兄ちゃん」

少女が不安そうな顔で言う。

「お父さん……お母さん……」

その言葉を聞いた瞬間、胸が痛んだ。

アリュウはしばらく黙っていた。

そして、ゆっくり立ち上がる。

「……村に戻ろう」

二人が顔を上げる。

「もしかしたら、みんな隠れてるかもしれない」

自分でも分かっていた。

それは、ただの希望だ。

それでも確かめなければ前に進めない。

アリュウは山を見上げた。

昨日、必死に逃げ下りてきた斜面。

今度はそこを登らなければならない。

「行こう」

小さな赤翼が翼を広げ、キィと鳴いた。

三人と一頭は再び山を登り始めた。

登りは想像以上にきつかった。

岩場をよじ登り、焼けた木を越え、灰に足を取られる。

火はすでに消えていたが、森は黒く焦げていた。

木々は炭のようになり、地面にはまだ煙がくすぶっている。

焼けた匂いが、鼻の奥にこびりつく。

やがて、村の裏の森にたどり着いた。

そこは完全に黒い世界だった。

昨日まで青々としていた森が、すべて焼け落ちている。

枝は折れ、地面は灰で覆われていた。

アリュウは足を速めた。

そして――

森を抜ける。

村が見えた。

「……」

思わず足が止まる。

家は残っていた。

石と木で作られた小屋は、そのまま並んでいる。

畑も荒らされた様子はない。

遠くから見れば、まるで昨日と同じ、いつもの村だった。

だが――

静かすぎた。

風が吹く音しか聞こえない。

ワイバーンの鳴き声も、犬の遠吠えも、子どもの笑い声もない。

誰もいない。

「父さん!」

アリュウは叫んだ。

返事はない。

家の扉を次々と開ける。

誰もいない。

「お父さん!お母さん!」

兄妹も泣きながら走り回る。

だが、どの家も空だった。

鍋はそのまま。

椅子もそのまま。

まるで、村人が一瞬で消えたかのようだった。

アリュウの胸が冷たくなる。

(……連れて行かれた)

銀虎に。

捕らえられたのだ。

父の顔が浮かぶ。

剣を握り、笑ったあの瞬間。

「……くそ」

拳を握る。

その時、ふと思い出した。

「……地下室」

自分の家。

あそこには、隠し地下室があった。

敵が来た時に隠れるための場所。

もしかしたら――

アリュウは家へ走った。

扉を押し開ける。

中は荒らされていない。

いつものままだ。

部屋の奥へ進む。

壁際の大きなタンス。

その裏に、地下室の入口がある。

アリュウはタンスを見つめた。

動いた形跡がない。

ほこりもそのまま。

誰もここを開けていない。

それでもアリュウはタンスに手をかけた。

ぎしり、と重い音がする。

必死に押す。

タンスが少しずつ動く。

後ろに、木の扉が現れた。

地下へ続く扉。

兄妹が不安そうに見ている。

アリュウはゆっくりと、それを開いた。

暗い階段が下へ続いている。

冷たい空気が、下から流れてきた。

「……誰かいるか?」

声をかける。

返事はない。

アリュウは深く息を吸った。

そして――

地下室へ続く階段を、ゆっくり降り始めた。


第4話:地下の遺産

地下室へ続く階段は、思ったより長かった。

足を踏み出すたび、木の段がきしむ。外の光はすぐに届かなくなり、薄暗い空気が身体にまとわりつく。

アリュウは壁に手をつきながら慎重に降りていった。

背後ではシリューとユウが黙ってついてくる。

小さな赤翼のワイバーンも、ぎこちなく翼を広げながら階段を下りてきた。

やがて足が土の床に触れる。

地下室は思っていたより広かった。

天井は低いが、奥行きがある。壁際には古びた棚が並び、木箱や袋がいくつも積み上げられていた。

長い年月、誰にも触れられていない空気が漂っている。

「……こんな場所、あったんだ」

シリューが小さく呟く。

アリュウも首を振った。

知っていたのは入口だけだった。

だが中に入ったことはない。

子どもが遊び半分で入るような場所ではないと、父に言われていたからだ。

棚の上には、古い道具が並んでいた。

錆びた金槌、削れたのみ、革の袋。

そして、その横には分厚い本が何冊も積まれている。

アリュウは一冊を手に取った。

ページは黄ばんでいたが、まだ読めた。

山の植物の記録らしい。

別の本には、空を飛ぶ生き物の図が描かれている。赤翼のワイバーンもあった。

「……」

本を戻す。

その下の棚に、巻かれた紙があった。

アリュウはそれを広げた。

地図だった。

山の輪郭が描かれている。

村の位置も、小さく印がついていた。

さらに遠くには道らしき線があり、町や川の名前が書かれている。

そして、ずっと向こう。

大きく丸で囲まれた場所。

「王都……」

アリュウは声に出して読んだ。

そこまでの距離を指でなぞる。

百キロほど。

遠い。

とても歩いて行ける距離には思えなかった。

しかも今は、子ども二人を連れている。

アリュウは地図を静かに畳んだ。

「……今は無理だな」

呟く。

その時、ユウが部屋の隅を指さした。

「アリュウ兄ちゃん……あれ」

そこには、大きな木箱がいくつも並んでいた。

蓋には鉄の金具がついている。

アリュウは近づき、ひとつを開けた。

ぎぃ、と重い音がした。

中を見た瞬間、思わず息をのむ。

武器だった。

剣が何本も並んでいる。

長い剣。短い剣。幅の広い剣。細い剣。

光を失ってはいるが、どれもただの農具ではない。本物の武器だ。

その横には立派な弓があった。だが弦がついていない。古びた矢筒もある。

さらに奥には――

「……ヌンチャク?」

錆びたそれを見て、アリュウは少し首をかしげた。

何に使うのか分からない武器まである。

隣の木箱も開けてみる。

今度は防具だった。

胸当て。

膝当て。

肩当て。

そして、奥には全身を覆う鉄の鎧――フルアーマーが静かに収められていた。

まるで、どこかの兵士の装備一式のようだった。

「……なんでこんなのが」

アリュウは小さく呟いた。

父は狩りをするワイダーだった。

戦士ではない。

それなのに、この地下室には戦うための道具が揃っている。

不思議だった。

アリュウは再び武器の箱をのぞき込んだ。

剣を一本一本手に取ってみる。

重さを確かめる。

その時だった。

箱の底に、一本だけ違う剣があった。

鞘は黒く、装飾が施されている。

柄には金色の模様が刻まれていた。

アリュウはそれを引き抜いた。

シャッ、と鋭い音がする。

刃が光った。

他の剣とは明らかに違う。

刃渡りは七十センチほど。

細身だが、均整が取れている。

指でそっと触れると、信じられないほど鋭い感触が伝わった。

「……すごい」

思わず呟く。

まるで、今でも新品のようだった。

アリュウはその剣を腰に当ててみた。

不思議と手になじむ。

「俺はこれにする」

そう言って振り返る。

シリューとユウが、少し緊張した顔で武器箱を見ていた。

「お前たちも持っておけ」

シリューは小さな短剣を選んだ。

まだ子どもの手でも扱えそうなものだった。

ユウは少し迷ったあと、細い短剣をそっと握る。

二人とも、少しだけ顔つきが変わっていた。

アリュウは地図をもう一度見た。

王都まで百キロ。

遠い。

それに、食べ物もない。

この山を下りるだけでも命がけだ。

「……しばらく、ここにいよう」

アリュウは言った。

二人が顔を上げる。

「父さんを探す」

言葉を続ける。

「そのために、まず強くならないといけない」

逃げてばかりでは何もできない。

銀虎と戦うには、あまりにも弱すぎる。

この村には食べ物もある。

家もある。

そして――

武器もある。

「体力つけよう」

アリュウは剣を見つめながら言った。

「それから父さんを探しに行く」

シリューは静かにうなずいた。

ユウも小さく「うん」と答える。

小さな赤翼のワイバーンが、キィと鳴いた。

その声は、静まり返った地下室にやさしく響いた。

村は空っぽだった。

だが完全に終わったわけではない。

アリュウは剣の柄を強く握る。

ここから始める。

父を探すために。

そしていつか――

すべてを奪った者たちに、必ず会うために。

地下室の静かな空気の中で、その決意だけが確かに生まれていた。



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