受け流しの乙女
その時――
足音が響いた。
ダダダダダッ――
息を切らせながら、ルミナが孤児院の前に現れた。
「ミレイナさん! リオ!」
ルミナの声だった。
剣と盾を握りしめ、ルミナが駆け寄る。
甘栗色の髪が乱れている。
額に汗が滲む。
「ムギトさん……!」
血溜まりの中に倒れるムギトを見て、ルミナは息を呑む。
青い瞳が大きく見開かれる。
「ミレイナさん、リオ……大丈夫……?」
ミレイナは壁にもたれかかったまま、顔を上げる。
「ルミナ……!」
その声は掠れていた。
「子どもたちが……まだ、地下に……!」
「……!」
ルミナは顔を上げる。
青い瞳が決意の色に変わる。
「変な男が……入っていった……黒い服の……」
リオが震える声で言う。
「急いで……!」
ルミナは剣を握り直す。
白い指が柄を強く握る。
盾を構える。
「分かりました……!」
ルミナは孤児院の中へ駆け込む。
廊下を駆ける。
地下への階段。
そこへ、ルミナの足音が響く。
ダダダダッ――
「待ってて……みんな……!」
その声は、夜に響いた。
ミレイナとリオは、ルミナの背中を見送る。
「ルミナ……頼んだで……」
「お願い……みんなを……」
二人の祈りが、ルミナの背を押す。
階段を降りる。
一段、一段。
暗闇が深くなる。
灯りが揺れる。
そして――
地下。
煤と血の匂いが混ざり、空気が重く沈む。
階段を降りたルミナの目に、まず飛び込んできたのは――
固まって震える子どもたちの姿。
その前に立つ、黒衣の男――バルゴ。
「ルミナ……!」
子どもたちがルミナを見つけた瞬間、堰を切ったように泣き出した。
「ルミナぁ……!」
「怖かったよぉ……!」
「ルミナが来てくれた……!」
涙が溢れる。
震える声。
安堵と恐怖が入り混じった泣き声が、地下室に響く。
バルゴは振り返り、舌打ちする。
「……チッ、泣くんじゃねぇ」
そして前を向く。
灯りの揺れる奥で、ルミナは静かに剣を構えた。
青い瞳がバルゴを捉える。
「ようやく来たか。ルミナだったか」
その声は笑っていた。だがその笑いの奥には、冷たい刃のような殺意が潜んでいる。
「子どもたちを離しなさい」
ルミナの声は震えていない。恐怖を押し殺した、真っすぐな音。
青い瞳が揺るがない。
背後で、子どもたちの泣き声が続く。
「ルミナ……怖かった……!」
「もう大丈夫だよ……」
ルミナは優しく言う。
だが、目はバルゴから逸らさない。
バルゴはゆっくりと短剣を抜き、肩を回した。
「離す? お前が代わりに来てくれるなら考えてやる」
「そんな取引、しません」
ルミナの声は強い。
「じゃあ――奪うだけだ」
ドッ、と床が鳴った。
バルゴが踏み込む。
鉤爪のような刃が閃く。
子どもたちの悲鳴が上がる。
「きゃあっ……!」
「ルミナ……!」
ガキィンッ!
ルミナは反射的に盾を掲げる。
衝撃。
腕が痺れる。
骨が軋む。
――重い。
「ははっ、いい盾だな」
バルゴが笑う。
「じゃあ、もう一発」
ガァンッ!
再び刃が盾を叩く。
ルミナの体が後ろに押される。
「っ……!」
「どうした? ルミナよぉ」
バルゴの声が嘲るように響く。
「もう一発」
ガァンッ!
「もう一発」
ガァンッ!
「もう一発ッ!」
ドガァンッ!
盾が鳴る。
腕が悲鳴を上げる。
ルミナの足が後ろへ下がる。
子どもたちが怯える。
「ルミナ……!」
「負けないで……!」
「ははははっ! いいねぇ! その必死な顔!」
バルゴは楽しそうに笑う。
「もっと見せてくれよ!」
ガァンッ!
また叩く。
ガァンッ!
また叩く。
ドガァンッ!
また叩く。
ルミナの腕が限界に近づく。
痺れが指先まで走る。
呼吸が浅くなる。
――もう、持たない。
視界が霞む。
膝が震える。
「そろそろ限界か?」
バルゴが笑う。
「じゃあ、これで終わりだ」
刃が大きく振りかぶられる。
全力の一撃。
ブンッ!
風を切る音。
ルミナは目を見開く。
――受け止められない。
子どもたちが叫ぶ。
「ルミナ――!」
その瞬間――
脳裏に、ある光景が浮かんだ。
孤児院の中庭。
雨の日。
屋根から落ちる雨粒が、傾いた板に当たって、横へ流れていく。
「ルミナ、見て! 水が滑ってくよ!」
子どもたちの笑顔。
板を傾ければ、水は流れる。
まっすぐ受け止めなくても――
傾ければ、逸れる。
咄嗟に――
ルミナは盾を斜めに傾けた。
ガシュッ!
刃が盾に当たる。
だが、衝撃は正面から来ない。
盾の表面を滑り、横へ逸れる。
バルゴの体勢が大きく崩れる。
「……っ!」
その瞬間――
ルミナの体が動いた。
剣が閃く。
ザシュッ!
銀の刃が炎を受けて閃光を放つ。
バルゴの外套を裂く。
黒布が舞う。
血の線が浮かぶ。
「がっ……!」
バルゴが後ろに跳ぶ。
腕を押さえる。
血が滴る。
子どもたちが歓声を上げる。
「ルミナ!」
「やった……!」
「……クソッ」
バルゴの顔が歪む。
だが、ルミナは止まらない。
一歩、踏み込む。
剣を構える。
「もう、終わりです」
その声は、震えていなかった。
「……舐めんな!」
バルゴが吠える。
再び短剣を振るう。
だが――
ルミナは盾を傾ける。
ガシュッ!
刃が滑る。
そして、剣が閃く。
ザシュッ!
バルゴの脇腹に深い傷が走る。
「ぐあっ……!」
バルゴが膝をつく。
血が溢れる。
「くそっ……クソッ……!」
バルゴは立ち上がろうとする。
だが、体が動かない。
ルミナは剣を構えたまま、一歩前へ出る。
「降伏してください」
「……っ」
バルゴは歯を食いしばる。
「……覚えてろ」
低く呟き、バルゴは懐から何かを取り出す。
小さな球。
地面に叩きつける。
パンッ!
煙が一気に広がる。
「っ……!」
ルミナは咄嗟に目を覆う。
子どもたちも咳き込む。
「ごほっ……!」
「煙が……!」
煙が晴れた時――
バルゴの姿は、もうなかった。
床に血の跡だけが残っている。
「……逃げた」
ルミナは剣を下ろす。
荒い息を吐く。
腕が痛い。
体が重い。
でも――
勝った。
「みんな……」
ルミナは振り返る。
子どもたちが、涙を流しながらこちらを見ていた。
ルミナは膝をつく。
笑顔を作る。
甘栗色の髪が肩に落ちる。
「もう大丈夫。……怖くないよ」
その声は掠れていた。
けれど――確かに温かかった。
子どもたちが、一斉にルミナに駆け寄る。
小さな体が、ルミナに抱きつく。
「ルミナ……!」
「怖かった……!」
「ルミナが守ってくれた……!」
みんな、泣いている。
ルミナは子どもたちを抱きしめる。
白い腕が、小さな体を包む。
「ごめんね……遅くなって……」
「ううん……!」
「ルミナが来てくれた……!」
「ありがとう、ルミナ……!」
子どもたちの声が、地下室に響く。
ルミナは目を閉じる。
青い瞳が閉じられる。
涙が頬を伝う。
(守れた……)
胸の奥で、温かいものが広がる。
「もう大丈夫。みんな、一緒に外へ行こう」
子どもたちは頷く。
ルミナは立ち上がる。
剣を鞘に収める。
盾を拾い上げる。
「さあ、行こう」
子どもたちの手を引き、階段へ向かう。
一段、一段。
ゆっくりと上る。
光が見えてくる。
「もうすぐだよ」
「うん……!」
子どもたちの顔に、笑顔が戻る。
地下室を出ると――
そこには、ミレイナとリオが待っていた。
「ルミナ……!」
ミレイナが駆け寄る。
「みんな……無事やったんか……!」
「はい……みんな、無事です」
ルミナは笑顔で答える。
リオも駆け寄る。
「よかった……本当に、よかった……」
子どもたちが、ミレイナとリオに抱きつく。
「ミレイナ……!」
「リオ……!」
「怖かったぁ……!」
みんな、泣いている。
でも、それは悲しみの涙ではなかった。
安堵の涙だった。
ミレイナは子どもたちを抱きしめる。
「もう大丈夫や……もう大丈夫やで……」
その声も、涙で震えていた。
リオも子どもたちを抱きしめる。
「怖かったね……でも、もう大丈夫だよ……」
ルミナは、その光景を見て、小さく笑う。
青い瞳が柔らかく細められる。
(守れた……)
胸の奥で、温かいものが広がる。
だが――
ルミナは気づく。
青い瞳が子どもたちを見渡す。
子どもたちの中に、一人足りない。
「……あれ?」
ルミナは子どもたちを見渡す。
「フィンは……?」
その言葉に、ミレイナとリオの顔が曇る。
「ルミナ……」
ミレイナが震える声で言う。
「フィンは……さらわれてしもうた……」
「……!」
ルミナの顔が凍りつく。
青い瞳が大きく見開かれる。
「さらわれた……?」
「あぁ……うちらが、止められへんかった……」
ミレイナの声が涙で震える。
「変な男が……子どもを担いで……逃げていった……」
リオも涙を流す。
「私たちも……追いかけようとしたけど……」
「ムギトさんが倒れて……動けなくて……」
ルミナは唇を噛む。
白い歯が下唇に食い込む。
「フィン……」
小さな声が漏れる。
子どもたちも気づく。
「フィンが……いない……」
「フィン……どこ……?」
「フィンは……さらわれちゃったの……?」
子どもたちの声が震える。
ルミナの脳裏に、あの日の光景が蘇る。
夕暮れの裏庭。
小さな体で胸を張り、震える声で言ったフィン。
「おねえちゃんと結婚して、おねえちゃんを守るんだ」
あの真っ直ぐな瞳。
握りしめた小さな拳。
「ありがとう。でもね、今はお姉ちゃんが守る番」
そう言った自分。
守ると――約束した。
「……っ」
ルミナは拳を握りしめる。
白い手が震える。
爪が掌に食い込む。
「私が……」
声が震える。
「私が……守るって……言ったのに……!」
涙が溢れる。
青い瞳から涙が流れる。
「守れなかった……!」
ミレイナが駆け寄る。
「ルミナ……あんたのせいやないで……!」
「でも……!」
ルミナは叫ぶ。
甘栗色の髪が揺れる。
「フィンは……私を信じてくれてたのに……!」
あの小さな声が、耳に響く。
「おねえちゃんを守るんだ」
守ると言ってくれた子を、私は守れなかった。
「私は……旗印の乙女なのに……!」
ルミナは剣を握りしめる。
白い指が柄を強く握る。
「だから……必ず、フィンを助けます」
その声は、涙で震えていた。
だが、青い瞳は揺らいでいなかった。
「私は……もう二度と、守れないなんて言いたくない」
ルミナは孤児院を出る。
甘栗色の髪が夜風に揺れる。
夜の街へ。
フィンを取り戻すために。
その背中を、みんなが見送る。
「ルミナ……」
「フィンを……お願い……」
祈りが、ルミナの背を押す。
そして――
ルミナは夜に消えていった。




