2-4 やりすぎ
みんなで教室に引き上げる中、情報の早い子たちの会話が聞こえてきた。
「球技大会できるの、これ」
「さっき聞いたけど、時間が足りないから、予選のリーグ戦の試合時間をかなり短縮するって、委員が言ってたよ」
「えー、ちょっとやったら終わりとか、つまんない」
「私はそっちの方が楽でいいけどね」
なんと!
うまいこと時間がつぶれて、大したことしないで終われそうになっている!
クロエの勝ち。
私もラッキー!
大満足の結果ではないかと、私はクロエを見た。
クロエの眉間にシワが寄っていた。
ジャージ姿で青いカバーをした本を胸に抱き、クロエは懊悩していた。
そして、また、おもむろに本を開いた。
…全然満足していない。
もっとやる気だ!
クロエは歩きながら、ブツブツとつぶやき始めた。
なんだろう。
雰囲気がさっきよりヤバい。
なんと言うか、黒魔術っぽい…
後ろを歩く集団から、悲鳴が上がった。
ドキッとして振り返ると、女の子が叫んだ。
「あれ見てよ!」
川の流れのように教室へ移動していた私たちはそろって足を止め、女の子が指差す窓の外を見た。
校庭をたくさんの獣が歩き回っていた。
「あれ何よ」
「狼じゃね?」
「ちょっと、狼って…」
「ヤバいよ」
ひと目では数え切れないくらいの狼が、校庭をウロウロと歩き回っていた。
牙をむき出しにしている狼もいる。
なんというか。
狼たちは、すごく物騒な空気をかもしだしている。
女の子が泣き声で言った。
「シキ、ヤダよ怖い。早く何とかして」
後ろを歩いていたシキは、長身のため人混みにあっても目立っていた。
険しい顔をして、校庭を見ながら、シキは言った。
「間違いなくワルサ団だが…これはタチがわりい」
確かに。
なんと言うか、さっきまでのふざけたテイストがない。
あの狼たちは餓えていて、すべてを喰らい尽くしてやろうというような、凄惨な目をしている。
怒りと激しい攻撃性を感じさせる。
要は、危険、だ。
シキは言った。
「みんなは来るな。とりあえずガイドとスポコンとニクだけ来い」
シキの声は厳しかった。
私の隣にいたニクはさすがに不安な表情をしたが、ひと呼吸してシキたちに着いて行った。
みんなはその場で窓から校庭を見ていた。
クロエは、そっとその場を離れた。
私はニクたちのことも心配であったが、クロエも気になった。
一瞬だけ迷い、結局私はクロエの後を追った。
教室に着いた。
教室には、何人かの生徒が残っていた。
クロエが教室に入ると、窓から校庭を見ていた子たちが、クロエに気付いて近づいた。
「クロエ、あんたさっき、黒魔術とか言ってたよね。あの狼さあ」
クロエはニヤリと笑って即答した。
「私よ。私がしてやった」
教室がざわめいた。
事情を知らなかった生徒たちも何事かとクロエの方を見た。
クロエは気色ばんだ。
「何よ。そっちだって、球技大会やりたくないって言ってたでしょ」
茶色の髪をお団子にした女の子が怖々と言った。
「ワルサ団と違くない? 精霊じゃなく、悪霊呼んじゃったんじゃない?」
「言いがかりはやめて。普通にワルサ団だし。球技大会なくなるんだよ? うれしくないの?」
クロエはにらむようにして言った。
顔色が悪い。
短髪の男の子が苦い顔で言った。
「やり過ぎだろ。狼にかまれて誰かケガしたらどうすんだよ」
クロエはぎりりと歯ぎしりをした。
「さっきまで、こっち寄りだったくせに。急に知らないフリする気?」
「いや、クロエとは違う。別にそこまでして大会中止とか考えてない。クロエは…おかしい」
短髪の男の子は、一歩引いた。
確かに、今のクロエは近寄り難い黒いオーラを出している。
男の子に引かれたクロエの表情は、さらに歪んだ。
今のクロエは、怖いくらい黒魔術にふさわしい雰囲気をまとっている。
ぐるるる…
校庭から二階の窓まで狼のうなり声が聞こえてきた。
また、狼の数が増えたのか。
みんな、視線を校庭とクロエに行き来させた。
ボブスタイルの女の子が言った。
「クロエ、もうやめな。怖いし…なんか、気持ち悪い…」
クロエは突然、激昂した。
「何よ! 何なのよ! 結局こうなる! 私が責められる!」
「クロエ、何言ってんの」
「うるさい! 私がいなければいいんでしょ! 知ってるよ! 私のしてることなんか、バカみたいで笑えるんでしょ!」
クロエの怒りは理不尽で意味不明だった。
私はクロエをなだめなければと思いながら、教室の後ろの壁に張り付いて動けずにいた。
情けないけど、場の緊張感に対し、足がすくんでしまっていた。
教室のみんなは、話の通じないクロエに、キリキリし始めた。
「クロエはおとなしい顔して、前から何かしでかしそうだと思ってた! 黒魔術とか、高校生にもなって普通しないし」
「運動できないだけで、クロエと一緒にしてほしくない! あんた、頭おかしいよ」
「いい加減にしろよ、クロエ! 自分のしてること分かってんのか?」
クロエの目のふちが赤い。
泣きそうで泣けない顔をして、クロエはみんなをにらみつけた。
1対多勢、しかも正義はクロエにはない。
そんな中でも、ひるむことなくクロエはみんなに噛み付いた。
「球技大会も体育祭も、そういうのある度に、お前は邪魔だって言われる気持ち分かる? いなければいいって! 頑張っても、動きが変とかキモいとかって言われて、笑われるんだよ! みっともないよね。今と同じだよ! 囲まれてみんなから、お前はいらない消えちまえって言われるんだ!」
クロエは怒りのままに、激しく言い続けた。
「だからいつも思ってた。悪魔でも来て、明日、地球が吹っ飛べばいいって! じゃなきゃ、私が死んじゃいたいって! みんなについていけない私がおかしいもの。お腹痛くなって毎回毎回泣きながら一晩中吐いて…分かってるよ、甘えなんでしょ! 私が悪いんでしょ!」
みんなは言い返した。
「そういうことじゃなく。何か飛躍しすぎ!」
「分かんなくもないけど、そんなにイヤがんなくても。それで黒魔術って…。勝手に学校、休めばいいのに」
クロエは叫んだ。
「簡単に言うな! 休んだら逃げるなって言われる。そのくらいできなくて、普通に生きていけないって言われる! 自分勝手だって笑われる! 人数合わなくなるから迷惑だって責められる! 私はおかしいんだよ! できないんだよ! みんなができること、私はできないんだよ! 私には本の世界しかない! 黒魔術に頼って何が悪い!」
みんなはムッとして言い返した。
「んなもん、こっちだって、できないことも無理してやってる! 俺の苦しみだってお前は分かんねえだろ! おあいこだろうが!」
「だからって人を巻き込まないでくれる? キツくても頑張ってるのあんただけじゃない! エラそうに文句つけて、狼のこと、正当化しないで!」
「クロエの気持ちはどうでもいいから、とにかく狼を消せ!」
クロエの黒オーラがヤバい。
「球技大会ってか…球技大会自体は別にいい。それについてくるあんたらの目線が、悪口が最悪なんだよ! 人間がそもそもうざい! あーうざい! 1人でずっと我慢してた! もう我慢の限界! 今日なら願いがかなう? だったら、もうどうでもいい! 全部全部ぶっ壊してやる!」
みんながギョッとした。
クロエは本を開いた。
「バカ!やめろ!」
男の子が慌てて持っていた紙コップをクロエに投げた。
おそらく、反射的にしてしまったのだと思うけれど、紙コップは見事にクロエのおでこに当たった。
クロエは頭から水を被った。
開いた本に乗った紙コップを、クロエは右手で握りつぶし、投げ捨てた。
水に濡れたクロエは、魔女的な迫力を増した。
クロエは、さらなる怒りとともに叫んだ。
「我が願いを聞け!」
「おい、ふざけんな!」
「やめて!」
恐るべき濡れ髪クロエの迫力。
クロエに呪文を唱えさせてはならない、と誰もが感じた。
クロエを止めようとしたのは一人ではなかった。
何人かが一斉に、クロエにつかみかかろうと手を伸ばした。
その時。
「逃げろ! 校舎の中にも狼が来たぞ!」
焦った叫び声が廊下からもたらされた。
教室にいたすべての生徒たちの動きが、一瞬にして止まった。
そして。
「逃げろー!!」
悲鳴とともに生徒たちは教室を飛び出して行った。
机を蹴り飛ばす勢いだ。
私は固まって、教室の後ろにへばりついていた。
みんなから取り押さえられる寸前だったクロエも、立ち尽くしていた。
クモの子を散らすように、教室からみんなが走り去った。
静けさが戻ると、クロエはズルズルとしゃがみこんだ。
クロエのところに行かないと。
私たちも狼から逃げないと。
私は固まりきった体を懸命に動かした。




