第二百九話 愚策
承前
オットー伯爵も扉の音を立てて出て行きその姿が消えると、デイン子爵が「くくくっ」と笑った。
その笑い声を聞いたシェルケン侯爵が不愉快そうに子爵を咎めた。
「デイン、何が可笑しい」
「これは失敬。日頃偉そうにしている侯爵伯爵が、閣下に手玉に取られる様子が可笑しくて、つい噴き出してしまいました」
「ふん、あのような馬齢を重ねただけの老い耄れ連中、儂に掛かれば何程のこともない」
「いやいや、さすがは策士シェルケン閣下。次から次へと良計妙策を繰り出される御様子、ミンストレル侯爵とは一味違う。やはり閣下こそ宰相位に相応しい」
「はっはっは。なぁにこの程度、策の内にも入らんがな」
安い煽てに乗ってころりと機嫌を直し嬉しそうに笑うシェルケンに、デインは己の思い付きを披露した。
「閣下、もう一つ、こういうのはどうですかな? 国王謀殺に関わった容疑者として、国王の近くにあった侍女二名の手配状を回すというのは」
「侍女? しかし、手配も何も、あの女は我々の手の者だぞ」
「なあに、あれは閣下の手の内、いや、あの世にあって、もう見付かり様が無いのでしょう? 手配したところで何の差し障りもありますまい」
「では『二人』とは?」
「もう一人は国王自ら養女にした侍女見習で、ユークリウス殿下の妃候補との噂がある者。それが謀殺に関わったとなれば、王家の名声はさらに地に墜ちましょう」
デインはにやにやと厭らしい嗤いを隠さずに言う。
「だが、容疑も何もその娘は当時は王城にはおらなかったのではないのか?」
「ええ、マレーネ王女の所にいたらしいですな。今は秘密裏に侍女取締の下で看病に当たっているという噂もあるようですな」
「では、それを疑ってどうするのだ? 看病に当たる者には手を出すなとメリエンネ王女からも釘を刺されている。手配したところで取り調べはできないだろう」
「それだからこそです。所在不明で直接の取り調べができねば公に疑いの晴らしようがない。即ち無実に見えても白とはならず灰色のまま。となれば、平民上がりを良く思わぬ貴族令嬢共が待ってましたとばかりに尾鰭を付けて噂を広め、見る見るうちに斑に汚れることでしょう。その様な者が御闘病の陛下妃殿下の傍に放置されているとなれば貴族共の瞋りも燃え上がり、吐き出す煤もその娘を黒く染めましょう」
「成程な」
「その後に無罪となっても一度染み着いた汚れと悪評はもう落ちぬ。つまり手配状を一通出すだけで、まともに取り調べの手数も要らず、小娘とユークリウス殿下だけに留まらず、庇い立てしたメリエンネ王女、さらには国王、王妃の評判までをも落とせるという寸法です」
得意気に語るデイン子爵の思惑を聞いて、フェッテが困惑気味に口を挟んだ。
「父上方、あの娘を使おうというのですか?」
シェルケン侯爵家に養子として入れた息子が自分似の細い目と眉を顰めているのを見て、デイン子爵は不快そうに答えた。
「うむ、フェッテ、それがどうかしたか?」
「あの娘、私も近衛の当直で立番に当たっている時に何度か見ましたが、こちらが侯爵家の者と知ってか知らずか、毎度丁寧に頭を下げて通ります。その姿は幼いながらに微笑みは可憐で慎ましく、毒殺に加担するような者には到底見えません」
「それがどうした? フェッテ、お前、まさかメリエンネ姫だけでなくあの娘も欲しいと言い出すのではなかろうな?」
実父にぎろりと睨み付けられ、フェッテは慌てて首を横に振った。
「ち、違います! あのような子供に手を出すなど、私はそんな胡乱な目で見たことはありません! ただ、あの娘は近衛兵の中でも評判が良く人気も高く、それを国王の暗殺容疑で手配状を回しても誰も信じず、相手にもすまいと思うだけです。むしろ発したこちらの信用を落とすのではと……」
控え目に差し挟んだ異論は、しかし、反って父親の激しい勘気に触れた。
「煩い! 儂に向かって子供がどうこうとか言うな! この空け! 大馬鹿者!」
「は、も、申し訳ありません」
慌てて体を二つに折り頭を下げる息子に、デインは尚も語気激しく言い聞かせた。
「良いか、人とは奇なる話を好み、勝手に妄想を膨らまして悦に入るものなのだ! 幼ければこそ、陰謀に加担したと言われれば驚きと共に成程と思って喜んで触れ回るのだ! フェッテ、己の未熟を恥じよ!」
「……」
父親の烈火の勘気に触れ、フェッテは怖れて沈黙する。デインは「ふんっ」と鼻息を荒くしてシェルケン侯爵に向き直った。
「閣下、如何ですかな?」
「よ、良かろう。デイン、其方もなかなかの策略家だな。あれは形の上ではただの貴族の娘、ならば手配状に王女の印はいらぬ。今や宰相の権を預かる我がもので良い。ハインツ、書状を手配して我が印を捺せ」
子爵の激しい剣幕に押されたのか、シェルケンは一も二も無く提案を認めた。
命じられたハインツは、次々に出される下策にさらに心が重くなった。まだ陛下御夫妻は亡くなられてはおらず、貴族も平民も多くがその御闘病に心を寄せている。今、王族の名を汚そうとしても世間は甘い思惑通りに動くはずがなく、むしろ反感がこちらに向かうのがわかりきっている。そのような事をするならば御崩御、御葬儀の後だ。別れの哀しみと追慕の中でこそ、人々が喪失感を怒りで埋めようとするのだ。
侯爵自身も正式に宰相の座も得たわけでもないのに、次々と敵を作って一体どうしようというのだ。今は信頼できる味方を増やし、そして兵力を王都に集中して完全に掌握し、治安を保つのを急ぐべきだろうに。
それにあの侍女見習の正体は。
だが、如何に浅知恵であっても、自分たちの思い付きに酔っている連中を止めることはできない。無理に止めて信頼を失ってはこちらも何もできなくなる。もうこれは、この計画が成功することはありえないと見切るべき時が来ているのだろうか。
ハインツは心中を押し隠して平静に答えた。
「承知致しました。そうしますと回状先は上級貴族家となると思いますが、その娘がユークリウス殿下と懇意なのであれば、宛先からユークリウス殿下の親族は外した方が良いかと思われます」
「ふむ。刺激過剰で暴発されては面倒か。さすがだな、ハインツ。殿下の祖父と父の実家のウルブール家とウィルヘルム家は外せ。デイン、それでよかろう?」
確かめるシェルケンにデインも満足そうに同意する。
「そうですな。その外戚二家さえ外せば。ふふ、あの癪な小娘にはちょっとした恨みがありましてな。それを晴らさせていただきたい」
「何があったかは知らんが、やり過ぎは困るぞ。まあ、いずれ国王夫妻が崩御された時には、王家は大混乱となりあの娘も後ろ盾を失う。そのどさくさに好きにすればよいだろう」
「閣下、是非そうさせていただきたい」
「うむ。ハインツ、そのようにせよ」
「はい、閣下。それともうひとつ、流行り病の禁足状とこの手配状がもし前後しては、諸侯が混乱しかねません。侍医への聞き取りを重ねた態を取るためにも、数日遅らせては如何でしょうか」
「それはそうか。さすがだな、ハインツ。お前に任せる。今の段取りで順次書状を出せ」
「はい」
ハインツは頷くともう一度確認した。
「宛先はウルブール侯爵とウィルヘルム伯爵を除いた全ての上位貴族家で間違いありませんね?」
これが最後の機会だ。
「うむ。その二家以外は全て洩らすな。間違い無くな」
「はい、二家以外全て。承知致しました」
ハインツはさらに深く、重々しく頷いた。その意味も知らずにデインが楽しそうにシェルケンに話し掛ける。
「閣下、後は、王都の貴族共を一人一人、こちらに取り込むだけですな」
「まあ、こうなっては放っておいても向こうから転げてやってくるだろう。子爵、残念ながら陛下の御崩御の知らせが遠からず齎されよう。そちらも印章官として、早々に準備を整えよ」
「いや、待ち遠し……これは失敬。奇跡の御快復を祈りながら待つと致しましょう。では、私は自室に戻ってユークリウス王子殿下への召喚状を準備致します。メリエンネ王女殿下も、印を捺されるのがお楽しみなことでしょう」
デイン子爵は、悪い冗句の後には「ははは」と言う笑い声を残して出て行った。
その扉が閉まるのを待ち兼ねるようにシェルケン侯爵がグラウスマン伯爵に言った。
「では姉さん、シュレーゲにミンストレル奴を斃すように指示をお願いします」
「ええ。ピオニル領に入った後に、ね」
「もしも邪魔になるようであれば、ユークリウス殿下も一緒に」
「あら、あの子は弱らせてこちらに取り込むんじゃなかったの? 私、あの子に私の前に跪かせてみたいんだけど」
「それはまあ、上手く行けば。ですが、ミンストレルを斃すのが最優先。その邪魔になるようであれば仕方ありますまい?」
「シュレーゲは上手くやるわよ。任せなさい。じゃあ、私は領に帰ってミンストレル領に攻め込むわ」
そう言ってグラウスマンは安楽椅子から弟に向けて手を伸ばした。シェルケンはその手を取って姉の重い体を引き起こして立たせ、話しながら扉の方へとゆっくりと導く。
「ええ、姉さん。御存分に。よもや今攻め込まれるとは、ミンストレルの息子も思ってはおらぬでしょう」
「奇襲を受ける上に、当主は黒く深き森の反対側で露命を散らしているとも知らずにね」
「勝負は端から決まっているも同然ですな」
「でも、念のため援軍は出してもらうわよ」
「いいですとも。領兵千名、副隊長に指揮を執らせますのでお使いください。常備の精鋭ですから御安心を」
「あら、嬉しいけど、主力をこちらに送ってあなたの方は大丈夫なの?」
「大丈夫です。激戦と成り得るのは姉さんの方ですからな。万に一つもそちらで負けては、全てが水の泡になりますからな」
「それはそうね」
「こちらにはやはり精鋭の騎兵がおりますから、問題ありません。歩兵は領民からの徴集兵ですが、隊長に言わせれば槍を鍛えて十分な戦力になると言っていますからな。そもそも、こちらは大戦にはならんでしょう」
扉の横に立つハインツの所まで辿り着くと、シェルケンは姉の手を放して家令に命じた。
「ハインツ、指示を出せ」
「はい、直ちに」
ハインツは主に応じると、グラウスマンに恭しく頭を下げてミンストレル領侵攻を命じたメリエンネ王女の偽書を差し出した。
「伯爵閣下、御武運をお祈り致します」
「ええ、ハインツ。ではトーシェ、暫しのお別れね」
「姉さん、今度お会いする時は『グラウスマン侯爵閣下』、ですかな」
「そうね、その時は貴方は『宰相閣下』、だわね」
グラウスマンは偽書を受け取ると弟の「はははは」という嬉しそうな笑い声に送られ、こちらも楽しそうに「ほほほほ」と笑いながら、ハインツが開いた扉を颯爽と通って部屋を出て行った。
ハインツはどこかもの悲しい、どこか醒めた心持ちで侯爵の姉を馬車寄せまで見送った。
この連中が、本来余程精密精緻に為さねば見込みの薄いこの謀略を上手く推し進めて権力を奪取できるほどに王族貴族たちの私的事情に精通しているかどうか、もう一度だけ試してみたが、思った通りに不合格だった。
この先、何が起きどう進むのかはわからない。だが、人の心もわからず関係を十分調べもせずに頭の中だけで描いた絵図面が、現実の世界に思い通りに組み上げられて豪壮な楼閣として現出することはない。必ずや乾いた砂の城のように風に吹かれて崩れ落ちる、それだけは確かだ。
恐らく今日がこの姉弟の今生の別れになるのだろうと心の中で呟きながら、去っていくグラウスマン伯爵の馬車に向かって丁重に頭を下げた。
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国王に毒を盛ったというシュレヒ・パイン侍女とヴィオラ・リュークス侍女見習の手配状は二日後に各上級貴族家に送られた。自領にいて王都を不在にしていた『社交嫌い』の貴族家当主たちにも各邸から急使が送られて数日後にその手元に渡った。
ある貴族家では、受け取った手配状は家令によって執務室で仕事中の当主の所へ届けられた。
「閣下、シェルケン侯爵から書状が参っております。宰相代理として国王謀殺計画の容疑者を手配するとのことです」
「何? 謀殺だと? 前の通知では流行り病だったではないか。全く、シェルケンが関わると碌な話にならんな。困った男だ。宰相失脚だけで飽き足らず、容疑者と称して今度は誰を陥れようというのか。どれ……」
呆れながら家令から書状を受け取ったその貴族家当主は、手配の内容を一読すると血相を変えて立ち上がった。
「何だこれは!」
「閣下? 何かございましたでしょうか?」
驚く家令の方も見ず、当主は手紙を睨み付けたままに命じた。
「これを送り付けてくるとは、どうやらシェルケンは私に喧嘩を売りたいようだな。喜んで買わせてもらおう。安売りだったことを思い知らせてやる。出兵するぞ。領の治安維持に必要な兵以外の領兵全軍だ」
「全軍で出兵ですか? どちらへ?」
「王都に決まっている。準備にどれぐらい掛かる?」
「全軍ですと、どう急いでも十日以上は掛かるかと」
「それほどか」
「はい、遺憾ながら。辺境伯閣下のように常時臨戦態勢にあれば数日で動員できるのでしょうが」
「止むを得ん。だができる限り急がせよ。速やかに準備を終わらせるのだ。各地の代官にも連絡せよ。私は寄子や通過する各領の主に騒がぬようにと書状を書く。私戦に巻き込むわけにはいかん。使いの準備を」
「はっ。直ちに」
家令が急ぎ足で部屋から出ていくと、今は亡きフェルディナント・ショルツ卿の弟であるフレドリク・ショルツ侯爵は手配状を握り潰して床に投げ付けた。そして兄似の銀髪を大きく掻き上げると、壁に掛けた亡き父母と兄の肖像画を見上げながら言った。
「シェルケンの穴熊爺奴、許さんぞ。必ずや巣穴から燻り出し、己の詰まらぬ権力遊びで私の姪を貶めたことを血反吐と王都の砂を噛みながら後悔させてくれる。兄上、ヴィオラ嬢と我が家の名誉は私が守って見せます。どうか御安心ください」




