第百二十九話 調査行の夜
前話翌日
翌日、ユーキとクルティスは二人だけでミスリル鉱石の出所を探る調査行に出発した。
あの石が瘴気が籠るミスリル鉱石だということは、クルティスだけにしか教えていない。村長たちには詳しい目的は伏せ、単に資源調査ということにした。村長が案内のために村人を何人か随行させると申し出たがユーキは丁重に断り、亡くなった先代子爵がそうしたのと同じように自分たちだけで行動することを選んだ。
ミスリル鉱石は貴重かもしれないが、それより先に危険なものである。十分な対処法がわからないうちに村人たちが在処を知り、迂闊に持ち出して多くの者が物珍しさに触ったら、大変なことになる。
先代子爵はあれがミスリル鉱石だとはわからなかったかもしれないが、持ち帰ってからも机の中に秘匿保管して村長には『何も見付からなかった』と言い続けた。それは自分と娘の病の元はあの石であると感じ取って、犠牲者を増やすまいと思慮してのことだろう。それが瘴毒とは知らなかったとしても、彼の賢明さと慎重さが村人を守ったのかもしれないのだ。その遺志を無駄にしてはならない。
先代子爵が残した行程記録と手描きの地図に従えば、村の近くを流れる川沿いに遡れば片道一日ちょっとで出所に辿り着けるはずだ。
ユーキとクルティスは朝早くに馬で村を出発し、地図を頼りに遡行を開始した。
暫くの間は川幅がそれなりにあり川原も広い。自然にできた土手もあって丈の低い草の中を進むのにそれほど苦労はしない。ユーキが乗るシュトルツ号は体が強く、少々の荒れ地や茂みも何の苦も無く突き進んでいる。クルティスは勿論乗馬も上手いので、シュトルツに負けない大柄な馬を楽々と乗り熟している。
無人の自然の中に二人切りで会話を誰に聞かれる心配も無いこともあり、礼儀も言葉遣いも気にせずに気楽な雑談をしながら旅を進めた。
「ユーキ様、乗馬が上達しましたね」
「このぐらい、普通だろ? お前に比べたら、全然大したことないよ」
「いいえ、シュトルツのような気の荒い馬を、こんな荒場でも全く嫌がらせずに大人しく進ませているのは、大したものです。知ってます? ケンが『できないことをできるように』って、乗馬の練習を始めたの」
「そう、早速実行してくれているんだ。嬉しいし、良いことだよね。ケンにはまだ内緒だけど、いずれは王都で近衛の訓練を受けてもらいたいと思っているんだ。そうなると、乗馬ができないと困るしね」
「そうですか。ケンは結構上達が早いですから大丈夫だと思います。ユーキ様の馬上のお姿を見て、練習に身を入れているみたいですよ。本人はそう言いませんけど、ユーキ様がシュトルツに乗っているといつも見惚れてますから」
「そうなんだ」
「憧れられる御気分はいかがですか?」
「揶揄うなよ」
「いえ、ユーキ様にはいつでも俺たちの憧れでいていただかないと。ここの領都の娘たちなんか、今じゃあもう誰も彼もユーキ様に夢中ですよ。スタイリス殿下以上の人気じゃないでしょうか」
「本当かなあ」
「ええ、特に菓子屋の御主人さんとか。この前に買い出しに行ったら、『私は四十前……いえ三十過ぎですけど、年上は何歳ぐらいまで対象でいらっしゃるかしら』って尋ねられました」
「クルティス、今さっき、領都の『娘』たちって言ったよね? ね?」
「ええ。独身に変わりはないじゃないですか」
「怒るよ」
「大丈夫ですよ。ちゃんと断っときましたし。どうも意中のお方がおられるみたいだって言って。そしたら是非詳しく聞かせてくれって。『そういうのは秘密だから』って言ったら『堅いことを言わないで』って大量におまけしてくれたので、お相手は年下の美少女らしいって洩らしておきました」
「本当に怒るよ」
「でも、いずれは知れることですから。ユーキ様だって、ヴィオラ様の話になると嬉しそうにしているじゃないですか。秘密にするどころか、『僕にとっては世界一美しくて温かくて優しくて柔らかくて賢くて強くて慎み深くて』って褒め言葉が止まらない様子を見て、ケンがまた感心してましたよ」
「……でも、実際にそうだから」
「はいはい。ですから少しずつ領民の間にヴィオラ様の噂を蒔いていけば、実際にこの領にお迎えする時も皆、驚かずに歓迎してくれます。大丈夫です。徒な望みを抱いている小母……娘たちも、ヴィオラ様を一目でも見ればすぐに納得して諦めるでしょうし。そういう策ですから、安心してお任せください」
「クルティス、今、『小母さん』って言い掛けたよね? それにその策、お前の知恵じゃないだろ。誰?」
「フェリックス様とベア姉さんです。ベア姉さんが、ユーキ様は領民との距離は近くありたいとお考えだって言って、それならこうした方が良いってフェリックス様が。ちょっと嫌そうな顔をしておられましたけど」
「そうなんだ。皆、いろいろと考えてくれているんだね。有難う」
「いえ。それに話は小出しにした方が、何度もおまけがもらえますし」
「クルティス、それ、何度も買いに行くってことだよね。お前、逆に菓子屋さんの術中に嵌っていない?」
何時間か進むと徐々に川幅は細く流れは急になってくる。
足場も悪く勾配が強くなり、時には流れを横切って渉ったり、川から少し離れた木立の中を進んだりしなければならなくなってくる。悪路を嫌がる馬を宥め、時々休憩を入れながらさらに上流を目指して進む。
「ユーキ様、本当にこの先にあるんですかね。人跡未踏って感じですけど」
「数年前に先代子爵が一度か二度通っただけだから。その時に作られた地図を信じているだけだからね。でも、これまでのところ支流もきちんと書き込まれているし、判り易い地図だから、道は間違っていないと思う。それに、嘘の地図を作る理由も無いと思うし」
「ここまでして探す価値があるものなのでしょうか」
「わからない。もし見付かっても、鉱石からミスリル鋼を作ることができなければ、お金に変えることはできないだろうね」
「それでも探すのですね」
「うん。危険だから。今のところは人里離れているけど、誰かが偶然に見付けて知らずに触ったら、犠牲者が増えてしまう。処理法がわからなければ、できるだけ深く埋め戻してしまうしかないかもね」
「そうなると大変ですね。できれば何とかミスリル鋼にして、領の開発の資金にしたいところですね」
「うん。そっちも考えないと。だけど、皆の安全第一だから。それにまずは在処を発見しないと始まらないからね」
「はい。頑張りましょう」
進路が険しくなり出してから、二人の進みは遅くなった。岩場や灌木の深い茂みなど、馬を励ましてやらないと越えられない場所も何度も出てくる。それでももう目的地はそれほど遠くないだろうという頃に日が傾き出した。
夏とは言えど、山中の日暮れは早い。暗くなっては身動きが取れなくなる。二人は太陽が山の端に近付く前に、夜営の場所を定めることにした。
急に増水することがあってもすぐには流れに巻き込まれないように、川の土手よりさらに上で少し開けた場所を選んだ。水場も近いし、火を熾しても大丈夫そうだ。
そして休む時には『馬、鞍、人』の順が騎行の鉄則だ。
まず初めに馬。鞍を下ろして川辺に連れて行きたっぷりと水を飲ませながら全身に刷子を掛ける。それが終わったら、後は手綱を長めにして立ち木に縛り、自由に草を食べられるようにする。
次は鞍や装具。汚れを払い、あらかじめ油脂を浸み込ませておいた大きな布で艶が出るぐらいに丁寧に磨き、そのまま包んで夜露に濡れないようにする。
最後に人。二人で手分けして夕食の準備だ。
クルティスが大きめの石で簡単な炉を作る間に、ユーキは良く乾いていそうな木の枯れ枝や枯葉を大量に拾い集めてきた。
そしてクルティスが火打石を打って火口の麻紐に火を着けようとしたが、巧く行かない。
「普段、やりませんからなかなか思うように……えいっ」
力を込めて打ち合わせるが、なかなか火花が出ず、出ても火口に燃え着かない。
「ふぅ」とクルティスが溜息を吐くのを見て、ユーキは「一度やらせてみて」と手を出した。
王族にそんな作業をさせたくないのか自分で最後までやり遂げたいのか、クルティスは躊躇ったが、ユーキが「ほら」と催促すると諦めて火打石をユーキの手に乗せた。
ユーキは何かの書物で読んだ方法を思い起こし、火打石に麻紐の細かく解した部分を乗せ、右手に持った火打金の端を削り取るように火打石に一度、二度と軽く打ち付けた。
すると明るい火花が飛び麻紐の繊維が赤く燃えだした。
「おっ」
クルティスの驚きの声を聞きながらそうっと枯葉に紐を寄せ、優しく息を吹き掛けると火種は枯葉に燃え移り、小さな炎を上げた。こうなればしめたものだ。クルティスに枯葉を足してもらいながらユーキは火を細い枯れ枝へ、そして太い枝へと徐々に移して育てて行く。
太い枝が確り燃え始めたところでユーキが顔を上げると、クルティスは無表情で火を眺めていた。だがその口角が少し下がって悔しそうなのを、ユーキは見逃さなかった。
ユーキが「じゃあ、食事にしようか」と声を掛けるとクルティスは「はい、そうしましょう」と答えたが、その返事に溜息が先立ったのも聞き逃さなかった。
自分にできてクルティスにできない事があった。普段剣術で負け続けているユーキにはそれが嬉しくて、干し肉と乾燥野菜を煮た汁物に堅パンを浸し簡素な木製の椀と匙で食べる粗末な夕食も、王都で貴族たちの相手をしながら食べる豪奢な会食より遥かに美味に感じられた。
「美味しいね、これ」
「そうですかね。こういう普段と違う野外で食べると何でも美味しく感じると言いますから」
「いや、本当に美味しいよ。噛めば噛むほど味が出るし」
「はあ」
ユーキが明るい気分で、クルティスは無表情で、食事を終える頃には日は既に山の陰に隠れ、周囲は暗くなってきた。
食事の後片付けをした後は、川で体を清める。高地を流れる水は冷たく、日が落ちて空気も少し冷えてきたが、それでも夏の盛りで水浴びは心地良い。周囲は無人で人の目を気にする必要も無い。二人して裸になって川に入り、布で体を擦って一日の汗を落とす。クルティスの逞しい体が目に入るとユーキは自分が貧弱に思えてちょっと悔しくなったが、こんな自分でも菫さんは背中に縋ってくれたんだと思い出して、胸を張りながら体を洗った。
体を清めた後はもうやることがない。二人は炉の回りに座って火が揺れ動くのを暫く無言で見詰めていたが、二人で起きていても仕方が無い。どちらからともなく、今日の騎行の疲れを取り明日に備えるためにもう寝ようと言い出した。
辺りに狼や熊などの獣の気配はないが、万一ということもある。火も絶やさないようにするために、夜を半分ずつに分けて交互に見張りをすることにした。
クルティスが「先に寝てください」と言ったが、ユーキは「考え事をしたいし夜中に起きる方が辛いから」と返して先に当直に付くことにした。
東の山の上に出たばかりの明るい星が南の空に上がったら交替ということに決めて、クルティスは寝袋に入った。と思ったら、すぐに寝息を立て始めた。
何でも食べて良く眠る。羨ましい奴だなとユーキは思ったが、火熾しで勝ったことを思い出した。普段、クルティスは何をやらせても自分より上手くて歯が立たないだけに、やはり嬉しい。
クルティスと二人で一緒に過ごした記憶を辿ると、何かにつけて悔しいことが多い。
身長であっという間に抜かれたこととか、どんなに頑張っても武術で敵わなくなってしまったこととか。
でも、一緒に遊んだ楽しい記憶も沢山ある。
思い起こすと、ユーキの両親のマレーネとユリアンも、クルティスの両親のクーツとヘレナも、二人が幼い頃は殆ど分け隔てなく育てていた。ただ、二人の間での呼び名を、ユーキには「クルティス」と呼び捨てに、クルティスには「ユーキ様」と様をつけて呼ぶようにと厳しく躾けられたことを除いては。
記憶ももう不確かな幼い頃から、玩具を取り合って争ったり、邸の庭で走り比べをしたり。
幼い内はたった一歳でも齢の差は大きく、玩具を争ったらユーキが必ず勝っていた。それでもその玩具でユーキが遊びながらふと顔を上げると、クルティスが歯を食い縛って我慢しているのが目に入り、可哀想に思って堪らなくなった。一緒に順番に遊ぼうと言って渡したら、とても嬉しそうにクルティスが笑ってくれて、その笑顔を見るだけでユーキも嬉しくなった。
結局その玩具はクルティスがその後ずっと独り占めすることになったけれど、ユーキは構わなかった。その日の終わりにクルティスがユーキの手を握り、『ユーキさま、ありがと』と言ってくれた、ただそれだけでその一日が楽しい良い日になった。
さらにクルティスとの思い出を辿っていると、自然にヴィオラ嬢、当時は菫さんとの出会いが心に浮かび上がった。
菫さんの笑顔を思い浮かべ、夜空を見上げてあの瞳のような紫色の星を探してみる。でもあんなに美しく大きな星などいくら探しても無いだろうと思う。
今でも憶えているあの時の幼い泣き顔と笑顔、そして自分の手に乗せてくれた小さな手。そして僥倖としか言いようのない再会と妓楼での触れあい。お互いに心を込めて交わした手紙の一通一通。諳んじることができるぐらいに何度も読み返した。周囲の皆が背中を押してくれた妓楼での求婚、父母への紹介、そしてピオニル領へ出発する日のあの唇の感触……とそこまで来てユーキは自分の顔が思い切り緩んでいることに気が付いた。
いけない、こんなだらしない顔、もしも菫さんに見られたら幻滅されてしまう。いつでも、例え誰も見ていなくても気を引き締めていないと。気合を入れ直さなければ。
ユーキは焚火が消えそうにないことを確かめて、立ち上がった。クルティスを起こさないように少し離れた場所に移動して紅竜の剣の柄を確りと握る。
鞘から抜けば柄元から刃先へと光が走り、構えれば焚火より紅い焔が立つ。振ればその度暗闇の中に、剣が発する光の残像が幅広い紅蓮の幕となって現れては消える。
これから先、竜の力が籠められたこの剣を人に対して実際に揮うことがあるかどうかはわからない。ローゼンはできるだけ使わない方が良いと言っていたけれど、国のために必要ならば揮うことを躊躇ってはならない。それが帯剣をお許しいただいた時の国王陛下の御諭しだ。
それに、菫さんをあの時のような危難から救い出すためであれば、僕は迷うことなくこの剣を抜く。あんなことは二度とあって欲しくないけれど。
そのために、もしもの時のために、自分を鍛えなければならないのだ。紅竜ローゼンが授けてくれたこの剣を持つに相応しくあり続けるためにも。
ユーキはひたすら素振りを続けた。最初のうちはいろいろな事が心を過ったが、声は出さずに気合を入れて何度も何度も繰り返すと次第に無心になれてきた。
素振りに満足して次は型をやってみようかと思った時に、焚火の中でパチリと枝が弾ける音がした。振り向くと火の勢いがかなり弱くなっている。急いで戻ってガサガサと枯れ枝を注ぎ足していると、その音で目覚めたのかクルティスがごそごそと身動きを始めて、寝袋の中から起き出してきた。
立ち上がり背伸びをして「ふぁああ」と大きな欠伸をひとつしてから声を掛けてきた。
「良く寝た。ユーキ様、そろそろ代わりましょう」
「いや、まだ眠くないけど」
「でも、もう時間ですから。ほら」
クルティスが指差す南の夜空を見ると、明るい星が高くに昇っている。
気付かないうちにもうそんなに時間が経っていたのか。
「わかった。じゃあ、後は頼む」
「はい。寝袋を出すのが面倒でしたら、俺のをそのまま使ってください」
「悪いね。そうするよ」
「いえ」
ユーキはクルティスが使っていた寝袋に潜り込んだ。
暖かく、クルティスの慣れ親しんだ匂いが漂う寝袋に包まれて目を瞑り、毎夜眠る前にするように菫さんの顔を思い浮かべた。
菫さんが僕に向けてくれる微笑みはいつも優しく温かい。今も『明日もどうかお気張りください』と励ましてくれているようだ。
『うん、頑張るよ』と心の中だけで返事をして見ていると、菫さんに姐の椿さんが声を掛け、菫さんは慌てて椿さんの方に振り返った。
『菫、お稽古の最中に気を散らしてはなりません。専心です』
『あい、申し訳ありません』
菫さんは叱られて顔を引き締め、踊りの構えを取り直す。横では菖蒲さんも『えへへ』と笑いながら一緒に構え、『菖蒲、集中なさい』と同じように叱られても、また『あい、えへへ』と笑っている。
椿さんが三線を弾き出すと、どういうわけだかその横でクルティスが太鼓のばちを「カチッ、カチッ」と打ち合わせ、その音に合わせて菫さんと菖蒲さんが見知らぬ舞の型を踊る。首を振るたびに二人が髪に結んだお揃いの髪紐が、それぞれの名前の色に揺れ動く。
少し踊っては椿さんが二人を止めて何事かを言い、またクルティスが「カチッ、カチッ」と打つ拍子に合わせて二人が踊る。
何度か型を繰り返すうちにやがて椿さんから褒められたのか、菫さんと菖蒲さんは手を取り合って喜び合い、二人してこちらに駆け寄ってきた。
『殿下、御覧いただけました?』『ユー様、上手にできたの見ててくれた?』
「うん、見ていたよ」と答えようとした時に、二人の美しく愛らしい顔が混ざり合い、ああ、これは夢だ、今は山奥で野営中だと気が付いて、ユーキはそのまま深い眠りに落ちて行った。




