3・離婚記念日(マリーネ視点)
最終話です。
今回夫視点は無しです。彼の気持ちは皆様の脳内で補完して下さい。
「はぁ⁉︎ 慰謝料なら私が払ってもらいたいから!」
サラサの怒り形相に私は溜め息をつく。
「何を馬鹿なことを。あなたは、私が、身綺麗にしていた、ダンリーを見て、気に入ったのでしょうが」
わざと言葉を区切っていく。まるで言い聞かせるように。サラサが何を言われたのか分かっているようにグッと黙った。
「サラサ。あなたは気付いたわね? ダンリーのセンスの良さについて。私が、ダンリーの見た目を整えていたのよ。それは別に、他の女にダンリーを奪って頂戴? って唆すためじゃないの。彼は営業の仕事をしている人。私のように事務仕事だってある程度は身綺麗にしておくものだけど。営業ならば尚更身綺麗にしておく方が、相手方にも好印象だから。ただそのためだけなのに。あなたは私が素敵に見せたダンリーを横から奪ったのよ。これでどうして慰謝料を払わないって話になるわけ?」
サラサは俯く。きっと反論を考えているに違いない。サラサが黙ったタイミングで、ダンリーが口を開けた。
「マリーネ! 君と離婚だなんて、そんな! 嫌だよ。俺の妻はマリーネだけだし、ノエルから父親を奪うのか!」
「違うでしょう。あなたにとって私はただの家政婦。食事を作ってくれ、掃除や洗濯もしてくれる家政婦。あなたのスーツ。洗濯したあとに皺が出来ないように慎重に乾かしているのも私。自分のためになんでもやってくれる存在が欲しかっただけ」
「そんなわけない! 俺は君を妻として……!」
「妻として扱っていた? だったら何故浮気しているの。私を蔑ろにしているくせに何を言っているの。ノエルから父親を奪う? 子育てなど全くしたことがないくせに、言う事だけはご立派ね!」
ダンリーが必死に言い募るけれど、私は冷たく切り捨ててあげた。ダンリーはうっと黙る。
「いやだって。子育てなんてやったことないし」
「私だってノエルを初めて育てているのよ」
「でも。俺は仕事しているし」
「私は時間短縮だけど職場に復帰して仕事に戻り、家事をこなし、ノエルを手探りで育てているわ」
「それは、妻ならば当たり前で!」
「ほら。そういうことよ。つまり、お金を稼いで家事をこなして子育ても出来る家政婦が必要だっただけじゃない」
ダンリーの言葉は世の女性に対する侮辱だ。挙げ句浮気をされていた。これでは私をバカにしているのと同じ。ダンリーの……いいえ世間一般の男ってきっとこんな考え方の方が多いのでしょうね。妻ならば。母ならば。そう言って自分は仕事をして金を稼いできていると言う。
「家政婦だなんてそんな……俺はそんなつもりじゃ」
「まだ言うのね。金を稼いできているんだから何をしても許される、と? ふざけないで! 私を女として見ていないんでしょ! 化粧もしない。オシャレもしない。贈り物も身に付けない。返して欲しい。だったわね? 妻とは名ばかりの家政婦だとしか見てないくせに、女を別に求める男と一緒に居られるわけないでしょ! 贈られた物はご要望通り返してあげるわ!」
ヒートアップしてしまった私に釣られるようにノエルがグズグズと泣き出す。……ああごめんね。ママが悪かったわ。
「い、いや! 汚れてもいい洋服じゃないと困る、とか。ネックレスを付けたままノエルを抱っこ出来ない、とか。分かったから! 君だってそう言う事を言ってくれればオレだって、君のことを考えた!」
必死に言い募るダンリーに、私は気持ちが冷えていくのが分かった。今更言われても本当に許し難いけれど。言ってくれれば?
私の冷たい視線に気付いたのか、ダンリーがひっと声を上げた。
「……言ったわよ。お化粧している時間がないくらい忙しい。でも仕事に行くときだけは最低限しか出来ないけれど身嗜みだから大事。そう言ったし、最近可愛い新作ワンピースが出ても出かける機会がないから買うことも出来ない。あなたからもらったネックレスやピアスやリングやブレスレットもノエルに引っ張られてノエルを傷つけてしまうから付けられない。……一つ一つ、そうやってあなたがオシャレをしろ、とか、贈った物を付けてくれ、とか、言う度に説明したわよね? 聞いてなかったってわけよね」
低い声でぶちまける。
ダンリーが冷や汗をダラダラ流しながら「えっ? 言われたっけ? あ、いや、そういえば」とぶつぶつ呟いている。
忘れてたわけ、ね。
それを? 私の所為にする? ふざけるな。
「成る程。あなたは、話を聞いているフリをして聞いていなかった、と。他愛無い話を忘れたなら構わない。でも大事な話を忘れたどころか、言ってくれれば? 説明していない私が悪いように言ったわね? 挙げ句愛人に妻の悪口を人前で言うとか。本当に屑ね」
「愛人⁉︎ それって私のこと⁉︎」
冷たく切り捨てていく私の声にサラサが反応する。
「当然でしょ。妻子ある男と付き合っているんだから浮気か不倫。その存在はどこぞの国の王族ならば側室という手もあるだろうけど、ただの平民ならば愛人じゃないの」
かつて親友だった女にとどめを刺しておく。
「愛人。私が……愛人。そんな。いえ! 違うわ! マリーネが離婚するなら私と結婚すれば私が妻よ!」
「そう。どうぞお好きに。でもまぁかつて親友だったから忠告しておくわね。浮気する奴はまた浮気するわね。寝取った男と再婚? どうぞどうぞ。アンタも寝取られる事になるかもしれないわね。今までの話を聞いていたのかどうか知らないけど、家事も子育てもろくにしない男と再婚しても、アンタが第二の私になるでしょうね。まぁご自由に」
私が事実を指摘すると、ようやくその可能性に気付いたのかサラサは真っ青な顔色に変わっている。
「しない! こんな金遣いの荒いサラサみたいな女と再婚なんかしない! マリーネ許してくれ!」
ダンリーが何か吠えているが私は綺麗さっぱり無視をしておく。離婚経験のある上司の協力を得て離婚に大切なアレコレを教えてもらった私の手には、離婚を届け出る書類があった。
「この書類にさっさとサインして頂戴。これを役所に提出すれば離婚が成立する。有り難い事に実家の両親がノエルの面倒を見てくれるっていうし、今の職場で結婚前のように働かせてもらえるし。ああそうそう。私の上司に離婚する事を伝えたら、人事と営業の偉い人には伝えてくれるって上司が言ってたから、安息日明けの明日には、私達が離婚したって噂になると思うわ」
私が事実を告げてダンリーはようやく事態の重さに気付いたような愕然とした表情を浮かべた。
「そ、そんな……」
「何がそんな、よ。私達が同じ会社で働いていて、私達が離婚するなら私の上司と会社の人事とあなたの上司は知る事態になるのは当然でしょ」
打ち拉がれているダンリーに溜め息をついて書類を突き付けた。……まぁ結果的に外堀を埋めたのは悪かったとは思うけどね。これは当然の帰結だと思うわよ。
ダンリーが渋々とダンリーのお父様に促されてサインを入れて、これを明日役所に提出すればようやく私は心機一転で新たなスタートを切れるのだ。
「ではこれで。さようならダンリー。さようならサラサ。そしてさようならダンリーのご両親。そしてさようならサラサのご両親」
私は頭を下げて別れの言葉を口にした。サラサとご両親が最初に出て行くが、サラサのご両親……特におじさまがお怒りらしくて怒鳴り声が聞こえた。その後私はノエルを抱っこして両親と共に5年の月日を過ごした家を感慨深く眺めてから、去った。
その後のことを少し。
翌日1番乗りで離婚届を提出し、受理してもらう。離婚届受理証明書をもらい(これをもらえば、後々離婚届にサインなどしていない、等の言い掛かりを付けたときに効果がある、とのこと)清々しい気分だった。
上司には出社して直ぐに報告。上司からよく頑張ったね、と褒められた。離婚は経験しないと分からないことだが、とても疲労する。精神面でも身体面でも。やり遂げる意思が強くないと出来ない代物だった。
それでも後悔はしていない。ーー今のところは。
もしかしたらこの先、ふと寂しくなったり後悔したり。そういう日も来ると思う。だけどそういう事があるかもしれない、と考えた時に「やっぱり離婚は……」と思い直す人は、離婚に向いていない、らしい。
私も許して再構築する事を考えなかったわけじゃない。でも許して再構築ということは、浮気されたことを忘れる事になる。完全に忘れる事など出来ず、いつもと変わらない日常を過ごせるか。そう自問自答した結果。
私は無理だと判断しただけ。
だから今はこの選択が正しいと思うしか、ない。いつか。心からこの選択をして正しかった、と思えますように。
元夫・ダンリーは離婚がダンリーの有責だった事から、会社側が気を利かせてくれたのか、別の支社へ異動が辞令で出されていた。粛々と従ったようだ。
サラサはご両親からこっぴどく怒られたそうだ。まぁそうでしょうね。ダンリーと結婚したかったみたいだけど、それはどちらの家からも許されなかったらしい。それにサラサはご両親から縁を切られたそうだ。ちょっと厳しい気がするけど、まぁそこまで私が口を出すことじゃないものね。ご両親が最後の情でどこかへ行っても構わないと言ってお金だけ渡したらしい。新天地で頑張れるよう願っておきましょう。……まぁその行き先がダンリーの転勤先になったとしても、ダンリーもサラサも、もう私には関係ないけれど。
ノエルと両親と私。家族4人で今日も仲良く暮らしています。……職場が少し遠くなった事はちょっとだけ大変だけどね。
(了)
お読み頂きまして、ありがとうございました。またどこかで。
夫視点を書かないのも一つの手法かな、と思いまして書きませんでした。ご想像にお任せします。