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隠者の住む里  作者: 直井 倖之進
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第二章 『イッヒ リーベ ディッヒ』②

 僕たちは、着替えを取りに一度車に戻った。成滝さんと話をしていた僅か五分ほどの間に、風は弱まり、雨は小雨になっていた。幾ら山の天気が変わりやすいとはいえ、都合悪く変わりすぎだ。腹を立てても仕方がないのだが、それでも、空いっぱいに広がるどんよりとした雨雲を恨まずにはいられなかった。

 荷物を手に、成滝さんの屋敷へと急いで踵を返す。

 外観から想像はできていたが、屋内はそのとおりに広かった。洋館のような複雑さはなく部屋数もそれなりなのだが、一つひとつが広いのである。

 玄関から入ると真っ直ぐに廊下が続き、その左右に部屋が並んでいた。入ってすぐ左が居間、右は台所だ。続いて、左手が成滝さんの私室で、右手は浴室と便所になっていた。そして、廊下最奥の左右が、成滝さんも言っていた空き部屋だった。

 僕と恭也が左、由莉と千春、雅が右を選ぶ。廊下と部屋を隔てているのは、ドアではなく襖だった。

 襖を横に開き、部屋へと入る。

 室内をひと目見ての僕の感想は、「ここは“何の間”だ?」だった。二、三十人規模の宴会ならできそうな畳が敷かれていたのである。

 もったいないほどに広い空間を持て余しつつ、僕たちは体を拭き、服を替えた。

 着替え終わっても、恭也はまだその最中だった。僕は、彼を残して部屋を出ることにした。

 再び襖を開き、廊下に立つ。

 そこに、玄関のほうから話し声が聞こえてきた。

「里長。まさか、あいつらを家に上げたんですか?」

「あぁ。私の家に誰を迎えようと、私の勝手だ」

「それはそうですが……」

「とにかく、お前は門の修繕をしていればいい。全ての責任は、私が持つ」

「……分かりました」

 不承不承といった返事のあと、玄関の閉まる音が微かに聞こえた。

 「何か、揉めていたような……」そう考え廊下で動けなくなっている僕を成滝さんが目に留めた。彼は真っ直ぐにこちらへと歩いてくる。

「おや、もう着替えたのか? 若い人は、流石に行動が速いな」

 僕の早変わりに驚いたのかそれとも会話を聞かれたと思ったからか、成滝さんは少し慌てた様子でそう言った。

「え、えぇ。あ、でも連れはまだ着替えていますので、もう少しだけ部屋を貸していただけると……」

「それは構わんよ。ゆっくりしていけばいい」

「ありがとうございます」

「あぁ」

 僕の礼にひとつ頷くと、成滝さんは居間へと足を向けた。

 その背中に、僕は思い切って尋ねた。

「あの、迷惑だったでしょうか?」

 おもむろに、成滝さんが振り返る。

「何が?」

「この里を訪れたことです」

 少し考えて、彼は答えた。

「あぁ。確かに、迷惑だと思われている」

「思われている?」

「そうだ。お前さんたちがきたことは、既にこの里の者たちの知るところとなっていて、彼らはそれを歓迎してはいないのだ」

 「仕方がないことだ」僕はそう思った。普通にやってきたのではなく、車で門を壊して入り込んだのだ。常識で考えて歓迎されるわけがない。

 申し訳なく顔を伏せると、成滝さんは続けた。

「しかし、少なくとも私はそう思ってはいない。だから、何か困ったことがあれば相談に乗ろう。私はこの里の長、手伝えることもあるだろうからな」

 懐深い成滝さんの言葉に、僕は大きな安心を覚えた。それと同時に、急いで着替えをすませた理由も思い出す。

 僕は成滝さんに聞いた。

「あの、では、早速で恐縮なのですが、この里に病院か診療所はありますか?」

「病院? お前さん、どこか具合が悪いのか?」

「いえ、僕じゃなくて連れのひとりです。額をぶつけて腫れているんです」

「そうか。申し訳ないが、この里に病院はない。しかし、その真似事のようなことをやっている男ならばいるよ。何でも、昔、医者をしていたらしい。当然のことながらしっかりとした医療施設ではないが、どうするかね?」

「お願いします」

 僕は即答した。

「承知した。連絡しておくから行ってみるといい」

「お世話になります」

 頭を下げる僕に、成滝さんは、

「この年になると物忘れが激しいから、忘れぬうちに電話しておこう」

 と告げ、そのまま居間へと去って行った。

 「電話」の言葉で思い出し、僕はポケットから携帯電話を取り出した。画面には、今時珍しい“圏外”の文字が映っていた。

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