第二章 『イッヒ リーベ ディッヒ』③
午後五時三十分。雅と一緒に、玄関から外に出る。
雨はいつの間にか上がっていて、眩しい黄赤色の西日が僅かに山の端にかかろうとしていた。
「何なんだよ!」僕は、そう心の中で叫んだ。
とはいえ、この言葉、意に沿わぬ小悪魔のような天候に投げつけたわけでは決してない。小悪魔などとは比較にならぬ大魔王、雅。瀬戸内雅に対してである。
現在、彼女は、無数のレースで彩られたピンクのマキシ丈ワンピースに身を包んでいた。ロングの黒髪は、ワンピースと同色のリボンの形をした超特大バレッタでひとつにまとめてある。まるでお姫様のような装いだが、赤く腫れた額が何とも間抜けだった。
「……ふっ」
先ほどの恨みも込めて、僕は嘲り笑いを浮かべた。
「何だ? 何か文句でもあるのか?」
案の定、むっとした様子で雅が反応する。
しれっと僕は言ってやった。
「別に」
「ふん。“あれくらいの事”で腹を立てるとは、小さい奴だ」
そう雅が唾棄する。
「“あれくらいの事”とは何だ! 由莉に、由莉に嫌われたかも知れないんだぞ!」
涙目になって僕は怒鳴った。
何ゆえ、僕はこんなにも怒っているのか?
事の始まりは、今から十分ほど前。僕が、居間で四人を待っていた時に遡る。
揃って集まってくる四人。もちろん、僕は、真っ先に由莉へと目をやった。
着替え後の由莉は、Tシャツにスキニージーンズというラフな服装になっていた。
だが、それだけに彼女の持ち前の美しさは、より一層際立っていた。
由莉に見惚れ、僕は、眼福がもたらす幸せに酔い痴れた。
すると、そんな幸せいっぱいの画角に、突然、雅がフレームインしてきた。
「み、雅。お前、それ……」
その恰好を見た僕は、声を詰まらせた。彼女が着ているワンピースもリボンのバレッタも、全て僕がプレゼントしたものだったからである。
プレゼント、と言っても、天地神明に誓って下心ある贈り物ではない。昨年の七月七日、彼女の十八歳の誕生日に、半ば強引に買わせられた物だったのだ。
そんな経緯も知らずに、由莉が声を上げる。
「雅ちゃんの服、お嬢様みたいだね」
雅は僕を一瞥すると、自らのワンピースに手を当てて答えた。
「これか? 何を隠そうこの服は、純平が買ってくれた物なのだ。それこそ、東京中の店をあちこち探し回ってな」
「ふ、ふーん。そうなんだ」
言葉尻で由莉がこちら見てくる。何となく冷たく、尖った視線だった。
僕は慌てて言った。
「き、去年の話だよ。ほ、ほら、去年、『超時空探偵アスカ』ってアニメが放送されていただろう? その主人公が着ている服と同じ物を探すように、って、雅が……」
「それで東京中を探したんだ。……優しいのね」
由莉の口調は穏やかだった。だが、どこか薔薇にも似た棘があった。
必死になって僕は弁解した。
「そ、それは雅に、探さないと見つかるまで耳元で泣き続けるぞ、って、脅されたからで……」
「へぇ、そうなんだ。二人は、耳元に顔を近づけるくらいに仲がいいんだ」
抑揚のない声で由莉が返してくる。
そこに、よせばいいのに雅が口を開いた。
「あぁ、自慢ではないが、私と純平は仲がいいぞ。この服を買ってもらった日も、豊島区に中野区、千代田区と、腕を組んで歩いたものだ」
「嘘をつくな。腕なんか組んでいない」
僕はきっぱりと否定した。
そう。あの日、服を探し回ったのは、豊島区池袋の乙女ロード、中野区の中野ブロードウェイ、それと、千代田区の秋葉原だったのだが、いずこも僕にとっては居心地が悪く、早々に帰ろうとしていた。それを雅が僕の腕を掴み、無理やり引き留めていたのだ。断じて腕を組んでいた覚えなどはない。
それなのに由莉は、
「ふーん」
と低い声で返事をし、信頼度ゼロの眼差しを向けてくる。
僕は言い知れぬ悲しみを覚えた。
更には今し方、
「雅の額を診てもらいに行ってくる」
と出かけようとした際にも、
「どうぞ、ごゆっくり」
などと言われてしまう始末。溝は深まる一方だったのである。




