とある副官のその後
人生の転機は、どこに落ちているかわからない。
好機を見逃さずに拾い上げるには、相応の手腕と度胸が必要だろう。
ミルカ様をミルカと呼べるようになった幸福は、何物にも代え難い。敬愛する上官を妻へ迎えることが出来た運命のいたずらには、いくら感謝をささげても尽きることがない。
彼女との関係が変わる契機が訪れたのは、約二年前。
二度目となる出張査察で、すったもんだの末に捕り物を成功させた日の夜のことだった。
任務は無事に終了し、王都への帰還を残すのみとなった我々は、その街の酒場で祝杯をあげた。任務成功に気を良くしたミルカ様は上機嫌で、次々に干されていく地酒が相当に強い物なのはわかっていた。が、あえて止めなかったのは、陽気に酔うミルカ様が可愛らしかったせいもあるし、潰れた彼女を背にして運びたいという、よこしまな心があったことも否定出来ない。
頭を撫で回され、普段以上に多いボディタッチに気分を高揚させながら、酒を酌み交わした。
たくらみ通りによれよれになったミルカ様を背負って宿の部屋まで運び、寝台の上に寝かしつけたまでは予定どおりだったのだが、過ぎた酒量のせいか、しきりに寒い寒いとうわごとのように発されていた。
そのままミルカ様を放置していくのもためらわれ、どうしたものかと枕元で悩んでいたら、突然開眼した彼女が起き上がり、獣型になるように命じられた。
ディノが湯たんぽになればいいのよ、と声高に主張し、同衾するよう潤んだ瞳で懇願された時点で、理性のたがは八割方はずれかけていた。
なんとか自制心を呼び起こし、布団に潜り込んだ俺を抱きしめたミルカ様は、獣型の抱き枕に満足したのか眠りに落ちた。
眠っている間に布団を抜け出せば良いのはわかっていたが、ミルカ様の香りと温もりに捕らわれた俺がそれを実行することは叶わなかった。
しばらく後、寝ぼけたミルカ様は俺の背中に跨って体中をまさぐりだした。
もふもふ~わしわし~と漏れる寝言の愛らしさと毛並みを逆立てる感覚に、わずかに残っていた判断力はまっさらに消し飛んだ。
朦朧とするミルカ様をかき抱き、思いの丈をぶつけるようにありとあらゆる手法でその身体を味わい尽くし、愛らしい鳴き声を掠れるまで導き出すことに成功した。
満ち足りた思いで眠りについた翌朝。
前夜の出来事を叱責されるか、完全に拒絶されることも覚悟していたというのに、隣にいる俺の存在を認めたミルカ様は嫌がるどころか「疲れてない?もう少し眠ったら?」と穏やかに言って頭を撫でてくださった。
これによって、襲われるはずだった後悔はどこかへ吹き飛び、満足感と新たな欲望が生まれてしまった。歓喜のあまり、柄にもなく目が潤んでいたかもしれない。
寝台の上で、喜びを噛み締めつつ起き上がって正座した俺をきょとんと見つめる瞳を前に、頭を下げて一息に望みを告げた。
「こういう場合の責任の取り方はミルカ様も承知していますよね、俺に譲歩する気はありません、結婚してください」
人間の恋人同士が、婚姻関係にあらずともまぐわうというのは承知している。ミルカ様とて、俺が初めての相手ではなかった。一度関係を持ったからといって所有者面するな、と拒否される可能性が高いとはいえ、降って湧いた機会を逃すほど愚かではないつもりだ。
声を震わせながらの求婚に、ほんわりと口元をゆるめてミルカ様は頷いた。許諾してくださったのだ。
もしかしたらミルカ様も俺を憎からず思っていてくださったのかもしれないと想像し、胸の高鳴りを押さえきれずに再び彼女を抱き寄せた。
例えそうだとしても、酔った隙につけこんだことには変わりないし、了承無しで一方的に事に及んだことは事実なので、そこについては平身低頭謝った。
王都に帰還後はミルカ様の意志が翻らぬうちにと疾風の如き早さで事を運び、随所への挨拶回りや根回しに明け暮れた。
ひと月もかからぬうちに全ての準備を整え、上官ミルカ・エルネスティ様は、我が妻ミルカ・ハックフォルストとなった。
夫婦で同じ部署は具合が悪かろう、と気を回してくださった課長が、俺を軍部に転属させたのは一年半前。
それと時を同じくして、総務省下の特別管理課では新たな人員が配属された。
文武両道な次期主席補佐官への引き継ぎで彼女は忙しく、俺自身も新たな配属先である軍務省下での新人研修に時間を取られてしまっていた。
新婚だというのになかなか共に過ごす時間が作れぬことに苛立つこともあった。しかし、深夜の帰宅にもかかわらず笑顔で出迎え、毎日優しく毛を梳いてくれる彼女の心遣いにたやすく癒され、愛情はいや増すばかりだった。
溢れ出る愛おしさをぶつけ過ぎたのだろうか、当時の彼女はいつも眠たげな目をしていた。
自制が全くきかない状態は、いくらなんでもさかりすぎだ、と自分でも苦笑するしかない。
配属先に慣れた俺の帰宅時間も安定し、引き継ぎを終えた彼女が退官を目前にした頃、嬉しいことに彼女が我が子を身ごもっていることが判明した。
可愛らしい銀灰色の子狼をあやす妻を見るにつけ、俺がいかに幸福かを噛みしめてしまう。
運命の転機は、どこに落ちているかわからない。俺の場合は、査察先の街の酒場で、地酒の空き瓶という形で転がっていた。
いつかまたあの街へ行きたいと思う。
思い出の地酒を仕入れ、また二人で酌み交わすのだ。
あの時と同じように、俺が一杯飲む間にミルカは三杯飲み干すだろう。
彼女がまた酔いつぶれたとしても、良き夫である俺が、優しく介抱するこころづもりは出来ている。
まったく問題はない。
お読みいただきましてありがとうございます。
Rいらなかった気もしますが、ドンマイ自分!
精進します。